【加茂青砂の設計図】「からっぽね病み」の後ろめたさ

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

【土井敏秀(もの書き)】「ここでだば、食うだけはできる。からっぽね病み(怠け者)でなければな」―男鹿半島西海岸にある加茂青砂集落の区長で現役漁師の菅原繁喜さん(78)の口癖である。集落内で山菜採り名人と呼ばれる大渕芳男さん(76)は「男鹿半島の山は宝の山。雨降ったから休む、という人でなければ、山菜採りで食っていける」。海と山相手、つまりは自然との折り合いをつけながら、生計を立てていく。2人が口をそろえたのは「まじめに働け」ということなのだが、食っていけるなら、これほど心強いことはない。

生計が成り立つのは、多くの人が都会に出ていった「過疎地」「限界集落」だからこそ、ではないか。人が少ない分、分け合う量が増える理屈である。今、過疎地がそこを離れる原因にはならない。移り住む理由にはなる。「境界なき土起こし団」代表の農業齊藤洋晃さん(47)が話す「農業の自由と、無限の可能性を求めて、人が地方へ移動している」は、説得力を持つ。

齊藤さんの口から「農業者はさびしがり屋」という思いが飛び出した。えっ?フイをつかれた。話は「農業は1人でやっていると、すごく孤独です。土と向き合っていれば、作物は育ちますが、それだけでは、何の作物を誰のために、どんなふうに育てるか、というアイデアが充実しません」と続いた。新鮮に聞こえる。

「一緒に農業にかかわる仲間や友達、野菜を買ってくれる人のことを考えながら、仕事をするんです」という農業に取り組む姿勢が「境界なき土起こし団」に結びついた。

堆肥の作り方を説明する佐々木友哉さん。刈った草の上に米ぬかをまき、さらに水で溶かした天然酵母を振りかける。それを繰り返す

国道59号線沿いにあり、日本海を望める開墾中の「リゾート農園」(仮称)で10月7日(土)、2回目の体験教室が開かれる。講師陣を含めおよそ20人の「団員」が参加する。前回やり残した整地作業だけでなく、初めての畝立て作業を行う。土を細長く盛り上げて栽培床を作り、両脇を歩けるようにする。畝立て機を使うのが普通になっているが、団員はやはり、鍬を使った手作業である。「昔の人の苦労を思い起こせる」し、きれいにまっすぐにできれば、「上手だなあ」の視線を集める腕の見せ所でもある。畝には秋播きのニンニクの「種」を植え付ける。「境界なき土起こし団」の栽培品目第1号はニンニクとなった。

次の作物を何にするか。雪降る冬を飛び越えて春の農作業で考える。ソバの案が出る。「土起こし団」はSNSのラインで、情報を共有している。するとソバに合わせて「それはいいね。畑の水やりも必要ないみたいだし」「前にソバ植えの手伝いをしたとき、日本ミツバチの大群がソバの花に群がってるの見たよ」と意見や体験談が寄せられる。

開墾した耕作放棄地の一画で堆肥を作るため、穴を掘る

話が広がる。「偶然だけど、日本ミツバチの巣箱を寄付してくれる人、知ってるよ。日本ミツバチのハチミツは貴重でしょ。ソバを植えるのだったら、検討してみて」

「そうだ、収穫祭はやらなくちゃ」「歌があるといいなあ。作業しながらみんなで口ずさむの。日本語と英語両方あるといいね」

あれはだれが言ったんだっけ? 「夢は実現しなくてもいい。夢は『夢を見ている今』を支えているのだから」と。ミツバチに関するやり取りを見ていると、「本当に今を支えている」証明みたいなものである。

前にも書いたが、「土起こし団」が開墾している場所は、私が耕作を放棄した土地である。ヨシコバアサンが「もう年だから、来年はおめやれ」と貸してくれた。24年勤めた会社を辞め、「半農半漁見習い」の肩書で、自給自足を思い描いていた50歳。若かったなあ。10年も続いたか。イタドリの地下茎など野生の生命力に負け、退散してしまった。結局は菅原さんの言う「からっぽね病み」だったのである。

ヨシコバアサンの息子大友捷昭さんは、この連載に登場した「マグロみたいに、いつも泳いでいないと死んでしまう」という、仕事人間体質の漁師である。借りた畑から退散した立場で、捷昭さんの話を聞いていると、どうしたって、私はただのからっぽね病みである。後ろめたい。すると今度は、その後ろめたさから逃れたい、となる。「開墾できる耕作放棄地あります」と大書されたTシャツを着て、アピールしようと考えた理由は、ここが出発点だったのだ。大いに腑に落ちた。後ろめたさは、それだけのパワーを秘めていた。代表の斎藤さんをはじめ「土起こし団」に参加してくれる人たちが来てくれたのだ。

初めて手にする鍬の使い方を教える斎藤さん

境界はさらに外れていく。開墾地の両側の耕筰放棄地の2人の持ち主から「うちのも開墾していいよ」と声をかけられた。そのうちの一人大友玲子さん(87)は「おっきいサツマイモやキャベツを作ったでえ。昔は化学肥料なんてなかったから、刈った草を堆肥にしてやったもんだ。イモもホクホクしてなあ。化学肥料を使ったのとは味が違う。なんぼでも使っていいよ」とありがたい。彼女にも昔と同じ堆肥で育った野菜を、食べてもらわなくちゃ。収穫祭がグンと近づいてきた。

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