【加茂青砂の設計図 #5】都びとに映る蝦夷

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、99人が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

「元慶の乱(がんぎょうのらん)」に関する本は、「古代秋田の住民闘争」と副題のついた「元慶の乱・私記」(田牧久穂著、1992年)だけではなかった。2017年に出た研究書「元慶の乱と蝦夷の復興」(田中俊一郎著)があり、小説では「羽州ものがたり」(菅野雪虫著、2011年)と、高橋克彦の「水壁―アテルイを継ぐ男」(2017年)の2冊が出版されている。

計4冊の本がそろった。全く知らなかった古代の「反乱」が、「きちんと勉強しなさい」と訴えかけてくる。「はい」と頷き、ページをめくった。

この時代、大和朝廷は支配地を全国に広げていたが、東北を侵略してきた理由は「金、鉄、馬の産地」だった。物欲は人間の基本的欲望だから、人を動かす力が強い。西欧諸国が展開した植民地主義が、世界中を席巻したことを思えば、善悪の価値観とは関係なく、人類はそう歩んできた。西欧の芸術は、奥深く花開いている。京文化は「日本」を代表して誇り高い。芸術文化を育む土壌は、数多くの犠牲を必要とするのだろうか。

秋田城跡史跡公園にある政庁の模型=秋田市寺内焼山

「都のひと」には、その東北で生きている人々・蝦夷が、どう映っていたか。「元慶の乱と蝦夷の復興」から引用する。学問の神さまと呼ばれる菅原道真は「野犬のように馴染まず、性惰はみな狼の如く、取引で価をふっかけては誤魔化す」という人間像を描く。空海が書き残した内容について著者は、「蝦夷は羅刹の系統で人ではないとまで言っている。老いた鴉のような目をして獣の皮衣を着る、というのは宮廷人の絹の衣と比べて野蛮と言いたいのだろう」と説明している。

羅刹(らせつ)って、調べたら「人を食う悪鬼」。そんなあ。菅原道真と空海といえば、常に敬語を必要とする、チョー有名人ではないか。その二人が東北に足を運んだこともないのに「都のうわさ」そのままの認識だなんて。東北で暮らしていた「先輩」たちを、そんな目で蔑んでいたのだ。菅原神社では合格祈願をした覚えがあるし、空海は真言宗開祖の弘法大師ではないか。彼が開いたとされる、幾つかのお寺で拝みもした。その2人でさえ東北の人々をバカにしていた。いや、こんなことも知らずに、ありがたがっていた私の方が、バカである。

「何不自由なく」とはいかなかったかもしれないが、蝦夷が生活を営んでいる場に、突然やってきて、「城」を築いて力を誇示し、従わせようとする。時代環境は違うけれども今、この地に暮らす者のひとりとして、「地域の自治・独立を求めて」の戦いが光を放つ。資源欲しさの侵略とは「格」が違う。「自治独立」の真っ当さを、きれいごとで終わらせてはいけない。「元慶の乱」を取り上げている4冊の本からは、その熱い思いが伝わってくる。それを受け止め、静かに熱くなってきた。

「反乱」という言葉は、権力側から見た歴史観である。蝦夷たちにとっては、「いつもの暮らし」を取り戻そうとする、やむを得ない戦いだった、と位置付けられる。「元慶の乱」は、結論を急げば、蝦夷側が降伏した形をとった。朝廷側に「秋田河以北を己が地と為さん」という要求を、突き付けたうえでの降伏だった。大和朝廷が討伐したのではない。

国ってなんなのだろう。だれのためにあるのか。

(つづく)

エッセイ:水神さまのおつかえ

海沿いの散歩コースに、近ごろは全く利用されていない水場がある。雨水、雪解け水、里山から自然に絞り出される「絞り水」の、用水路の役割しか果たしていない。

石組みで造った小さな堰から流れ落ちる水が溜まって、かつては米研ぎ、野菜洗いなどの場所として重宝されていた。私が引っ越してきた20数年前には、淡水貝のカワニナが生息しており、それを餌にして育ったホタルが、砂浜の上を舞っていた。

かつては貴重な洗い場として利用された水場=男鹿市加茂青砂

水がちょぼちょぼ流れ落ちる所が、ゆさゆさうごめいている。何かいる。底の泥がかき回され、よく見えない。(われながら好きだなあ、と苦笑するのだが)取り急ぎ餌になるものを、と、散歩の途中で家に帰った(5分もかからないので、大層なことではない)。煮干しを数本持って、戻った。そっと投げ入れる。

がばっ。早速来たねえ。釣りにすればよかった。特徴ある2本のハサミで分かった。あれはモズクガニに違いない。

カニって、鼻が利くのだろうか。もう1匹が、下手のほうからカニ歩きでやって来た。そっちへも煮干しを1匹。子供の頃に帰ったような気持ちの高ぶり。楽しい。

上海ガニの仲間だという、モズクガニを初めて食べたのは、約30年前の会社員時代。秋田県南の支局にいた後輩が、生きているカニを土産に、秋田市まで酒を飲みに来たのだ。

どうやって食べるのか。鍋を真ん中に、向かい合って座った。大きめのボールには、カニが7、8匹、その横にすり鉢が? 本場の中国料理を作るわけではないだろう。

まずは手本を見せてもらった。両手でつかみ、生きたまま甲羅をばりっ。エラを捨て、幾つかにちぎり分け、全部すり鉢へ。粗くすりつぶす。身もカニみそも、殻さえも一緒。それをスプーンですくって、沸騰した鍋に。味噌を溶かし、入れる。千切りネギをたっぷり入れたみそ汁の出来上がり。濃厚なうまみが刺激的だった。以来、まだ味わってはいない。

早とちりしないでください。だからって、見つけたカニを、食べようとしているわけではありません。用水路をきれいにし、いずれかつての水場に戻せないかな、と思い描いています。ですから、あの2匹のカニは、水神さまに、おつかえする身の上なのです。

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