【写真連載企画:東北異景】自然の摂理は時として思いもよらない景観を生み出す。一方で、人間という社会的動物は欲望のままに巨大な建築物や異様な光景を作り出してきた。あらためて注意深く見回すと、我々の周囲には奇妙で不可思議な風景、違和感を覚える「異景」が数多く潜んでいる。東北の写真家・佐瀬雅行さんが、東北各地に存在する「異景」を探す旅に出かける。
【写真・文/佐瀬雅行(写真家)=青森市】北向きの緩やかな斜面を覆う芝の間に白っぽい石が連なり、巨大なサークルを描き出す。以前から気になっていた青森市野沢の「小牧野遺跡」をようやく訪れることができた。ここは縄文時代後期前半(約4000年前)に造られた環状列石(ストーンサークル)を主体とする遺跡だ。
青森県庁に近いバス停から乗車し、南西の丘陵地に向かう。20分ほどで野沢のバス停に到着。さらに落葉広葉樹林の中にだらだらと続く未舗装の坂道を1.5km上ると、市街地や陸奥湾を一望できる舌状台地の上に遺跡が広がっていた。
遺跡の存在は古くから知られていたが、1989年に青森山田高校の生徒らが行った発掘調査で環状列石の一部が見つかった。青森市教育委員会の発掘調査で環状列石の全容や墓域、竪穴住居跡、湧水遺構などが確認され、1995年に国の史跡に指定された。
発掘調査報告書によると、緩斜面に切土と盛土を行うことで平坦地を造成し、台地の東側を流れる荒川から運んだ河原石が並べられているという。環状列石は三重構造の円環で、それぞれの直径は立石を中心とした中央帯が約2.5m、内帯が約29m、外帯が約35m。さらに外側の弧状や直線状の列石を含めると最大径は約55mになる。秋田県鹿角市にある特別史跡「大湯環状列石」は国内最大のストーンサークルで、隣り合う環状列石の直径は万座が52m、野中堂が45m。小牧野遺跡はそれに匹敵する規模といえる。
使われている石は約2900個で総重量31t。1個当たり平均で約11kg、最も重い中心の立石は493kgにもなる。河原から大量の重い石を運び上げ、同心円状に並べていく作業にどれほどの労力と年月が費やされたのか、想像もできない。集落から離れた台地で大掛かりな土木工事を成し遂げた縄文人のエネルギーは何に起因するのだろうか。
環状列石に接する東側の墓域では、100基を超える土坑墓が確認されている。遺骨を取り出し土器に納めて再葬する土器棺墓も4基出土していることから、共同墓地だったことは間違いない。同時に祭祀や宗教儀式を行う施設であり、方位や太陽の動き、周囲の景観を表すために眺望の良い場所に造られたと推測されている。
北に10kmほど離れた特別史跡「三内丸山遺跡」との関連性も気になるところだ。縄文文化のイメージを大きく変えた大規模集落が営まれたのは、気候が温暖だった縄文前期から中期。小牧野の環状列石が造られた後期には寒冷化で集落の規模が縮小し、分散化が進んでいた。三内丸山で栄えた縄文人の末裔たちが小牧野の周辺に移り住み、いくつもの集落が力を結集して巨大な記念物(モニュメント)を生み出したのかもしれない。彼らは台地の上の聖地で家族や仲間の死を悼み、大地や海の恵みが豊かなことを願い、太陽や星をはじめとする全ての自然に畏敬の祈りを捧げた。想像の翼を広げることは遺跡見学の醍醐味だろう。
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