【詩の連載・手紙】エピローグ・震災を経験したまちから生まれる言葉

2022年1月から、7回にわたり掲載してきた仙台在住の詩人・武田こうじさんの詩の連載「手紙」。最終回は、武田さんが連載前に寄せてくれた手紙と、連載を終えて編集長の安藤歩美が返信した手紙を、エピローグとして掲載します。

安藤編集長、こんにちは。いきなりですが、手紙です。しかも、まあまあ長いです。よろしくお願いします。

安藤編集長と出会って、どれくらいになりますかね? そんなにたくさんではないけれど、お話をさせていただくことが何度かあり、考えていることに重なるところがあるなぁと勝手に思っていて、こうして手紙をお願いしています。

ぼくは自分のラジオ番組を持っているのですが、番組名が『手紙』なんです。番組の中では、いろいろな立場の方と手紙のやりとりをさせてもらってきました。(と言ってもメール書簡です)。「なぜ、手紙なのか」それは手紙を書くことで、気持ちを整理したり、普段考えていることより、ちょっと深い思いを言葉にしてもらえるのではないか、と考えたからです。

それと、10年前、震災後に『RE:プロジェクト通信』という媒体に最初に書いた詩が「手紙」というものでした。あの時、「手紙を書かなくては」と思ったんです。誰に、どこに、出すのかもわからなかったけれど、「手紙を書いて、出さなくては」と思ったんです。その気持ちは、いまも、ずっとぼくの中にあって、以前『TOHOKU360』に書かせてもらっていた時も、手紙を書くように言葉を綴っていました。

『TOHOKU360』の連載ですが、WEBで、自由に書く、というのは初めてのことでした。今までレビュー、エッセイなどを書かせていただく機会は何度かあったのですが、テーマや書く対象が決まっていて、「なんでもいい」というのはなかったんですよね。あと、発表するのはいつも紙媒体でした。なので『TOHOKU360』での連載は自分にとって、新しいことに、チャレンジすることでもあったのです。

そして、それはやっぱり難しかった。「書かないと、ここから先へは進めない」とわかっていても、自由に、自分のために、書くことができない。「なんて贅沢な悩みなんだろう」とは思うのですが、どうしても筆が進みませんでした。

あと、話が逸れてしまいますが、『TOHOKU360』のみなさんの記事を、書くにあたって読んでいたのですが、みなさんの写真がイイんですよね。これも今さらの感想なんですが、FacebookなどSNSを全くやったことのない自分には、記事と写真の関係をスマホやPCなどで見ていくのが新鮮でした。

文章(言葉)にはどうしても流れがあり、展開があり、間に捉われていきます。それが文章(言葉)の魅力であり、難しさですが、みなさんの写真には、自分と相手を、また時間や場面を、どう見ているかが、ダイレクトに表現されている気がして、写真をまさに「読んで」いるという感じでした。それが面白い。ただ、自分がここになにかを書くとなると「写真とは距離を取らないといけないな」とも考えました。ただでさえ、自由に書けない自分が、写真も「ただ」撮れるわけもなく、そのことで更新できなくなるのが目に見えていたからです。なので、最初は専門学校で写真を学んでいる学生の方たちの力を借りました。次に友人のカメラマンに写真を提供してもらいました。最後の方はいくつか自分で撮ったものを載せてみましたが、やはり続かなくなってしまいました。

あと、話すように書いてみたい、という自分の中の課題意識もあって、それは横書きで、ある程度の長さを書いてみたいと思ったことがきっかけでした。読むにあたって、スクロールさせるという行為にも興味がありました。なので、書かず(打たず)に、スマホの音声入力を使って、最初は話して、文字にしていきました。でも、やはり校正や修正の段階で、どうしても、いつもの形にしていきたくなってしまいます。様々な文体を作りつつも、結局載せる時は、いつもの詩のサイズ、形になってしまうことがありました。まあ、考え過ぎなのでしょうが、なんにしても『TOHOKU360』に連載するということは、自分にとって新しいことだったんです。

で、今回は、こうして安藤編集長にラブレターを書いているわけです。

さて、この連載のことになりますが、この10年とはどんな時間だったのでしょう。震災は自分たちの街に起きた、とても大きな、悲しい出来事でした。だけど、その「大きさ」や「悲しさ」は実体がわからないもので、みんな、口に出したり、言葉にしたりはするけれど、わからないまま、ずっとこの街や自分たちの暮らしを覆っていたように思います。

「なにかやらなきゃ」「やってみたい」そんな風に思うことも、この10年で増えたように思います。街のいろいろな場面で企画があり、みんながそれぞれ発信できるようになりました。街や、社会などに意識が向くことも増えたのではないでしょうか。もちろん、それは悪いことではない。でも、なにかが、引っかかる・・・そんなことを思うことも同時に増えました。

仕事というべきか、活動というべきか、難しいところですが、この10年、いろいろな場面での打ち合わせや対話に混ぜてもらう機会がありました。街に関わることは、日々の暮らしに関わることです。いや、日々の暮らしに関わることは街に関わること、その並びの方がいいかもしれません。「自分にできることって、なにもないんだな」と思うこともたくさんありました。それでも話し合うことを続けてきました。そして、その時間の流れの中で、ぼくの人生にもいくつかの「大きな」「悲しい」出来事が起きました。その出来事の真ん中に入っていくことは、とても苦しいことだけど、その時にだけ、なぜか、すべてが、一度に、わかってしまう、そんなことを思います。

だけど、日々の暮らしは、人との関係は、そこで立ち止まらせてはくれません。いやでも、前に、先に進んでしまいます。それが生きていく、ということなのでしょう。だからこそ、ぼくは、進むことを止めることはできないか、と考えるようになりました。その「悲しみ」の中に居続けることができないか、と。もしくは、ずっと、ここ(そこ)にいることができないのなら、せめて、速度を遅くすることはできないか、と。

「悲しみ」を大切にすることとはどういうことなのか。そもそも、大切にするという考えが間違っているかもしれません。だけど、ぼくは立ち止まること、乗り越えないこと。そう思うことで、言葉を探してきました。このページに、これから載せてもらう作品たちはそんな言葉が紡がれているものです。

10年という時間でなにかをまとめようとしたり、区切ろうとすることは間違っているかもしれないし、もちろん、これからも変わらず、いろいろな視点で話し合うことができたらと思っています。だけど、いま、こうして手紙を書いておくことも大切なことだと思いました。安藤編集長はどうでしょう?このサイトの編集長とはどのようなお仕事で、街に、暮らしにどのようなことを感じているのか、きいてみたいなぁと思います。そして、写真、お願いしますね。

2021年9月11日
武田こうじ

武田さん、お手紙ありがとうございます。武田さんの手紙を読んで、これまで東北で過ごしてきた月日を思い、少し涙ぐんでしまいました。

11年前に東日本大震災が起きたとき、私は東京の学生でした。東北はそれまで私にとって遠い場所でしたが、学校の夏休みや冬休みを使って初めて岩手県や宮城県を訪れたとき、優しくも逞しい人々の姿や、澄み切った空気、地元にはなかった雄大な風景に心を大きく動かされました。

人が生きる姿の強さや美しさ、刻々と移り変わり、すぐに目の前からなくなってしまう風景を書き残したい。私はそんな思いから、大学院を修了して新聞記者となり、再び宮城県にやってきました。沿岸部のまちを歩き、その場で出会った方から昔の風景のことやいまの暮らしを聞き、目の前に広がる風景を書いて、書いて、書いてきました。だけど記事を書けば書くほど、書ききれていないことがあるのではないか、これで目の前の現実を本当に表現できているのだろうか、と考えることも増えていきました。

一般的にニュース記事を書くということは、できるだけ曖昧さを残さず、物事の輪郭をはっきりさせるということだと思っています。それは前提知識のないどんな人にでもわかりやすく物事を伝える「型」である一方、枝葉末節を省き、ともすれば複雑な人の気持ちや物事を一面的に紹介してしまうものにもなりえます。できるだけ単純化せずに書くことを心がけながらも、言葉で輪郭を明瞭にするほど、そしてこの街で生きるほど、言葉にできないことーー武田さんの言う、「みんな、口に出したり、言葉にしたりはするけれど、わからないまま、ずっとこの街や自分たちの暮らしを覆っていた」その空気感ーーも実感していったのです。

私が武田さんに出会い、初めてその朗読を聞いて感動したのは、武田さんがまさにそうした、人の「言葉にできない言葉」を、言葉で表現していたからでした。

ことばにできない
そんなことばにかこまれて
まちはないた

ここであなたとであい
ここであなたとくらし
ここであなたにふれる

「てがみ」より

ニュースが物事の輪郭を明瞭にするものなら、詩は、その境界を水彩画のようにふんわりとしたグラデーションで描くことができるものではないでしょうか。作品に解釈の余白があり、一人ひとりが自分の感情や体験と重ね合わせ、じっくりとそれぞれの心に吸収することができる。そして同じ人でもきっと、そのとき考えていることや心の状態次第で、受け取り方も変わる。武田さんの作品や朗読からは、そんな詩の表現の広がりと可能性をいつも感じさせてもらっています。

私自身だけではなく、多様な地域の多くの人が、凝り固まってきた「ニュース」の世界に新しい視点や表現をもたらしてほしい。そんな思いから始まった住民参加型ニュースサイトTOHOKU360も、立ち上げから丸6年が経過しました。武田さん自身もこのサイトでの連載が新しい挑戦になったというお話、とても嬉しく思います。多くの人が地域を多様な視点から伝え、それによって街に新しい交流や行動が生まれる。一人ひとりの「伝える」を通じて地域によい循環をもたらすことができるような、そんなメディアになれたらいいなと思っています。

今回の「手紙」という連載タイトルから連想しましたが、記事を書くことは、手紙を書くことに似ていますね。伝えたい人を思い浮かべて、自分だけが知っていること・思っていることをどうしたら一番伝えることができるのだろう?と一生懸命考えて、いろんな手段を使って表現する。そしてそんな探求は、これからもずっとずっと続いていくのだと思います。

この街で生きるひとりとして、これからも武田さんの作品を楽しみにしています。

2022年3月11日
安藤歩美
(写真は福島県・JR常磐線からの風景)

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TOHOKU360は、東北のいまをみんなで伝える住民参加型ニュースサイトです。東北6県各地に住む住民たちが自分の住む地域からニュースを発掘し、全国へ、世界へと発信します。

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