全国に153ある「幸町」とつながろう。「日本全国幸町プロジェクト」仙台から始動

阿部公信】みなさんは、自分が住む町の名前が付けられた理由を知っているだろうか。仙台市宮城野区幸町(さいわいちょう)では、昨年から幸町市民センターが中心となって、町名をいかした取り組みを進めている。その名も「日本全国幸町プロジェクト」。幸町市民センターによると、「幸町」は、全国各地に153あるという。縁起がいい名前が付けられた町がつながることで、新たな地域活性化を目指している。

私は転勤族で、これまで福島、東京、福井、大分に住んだことがあるが、確かに各地に「幸町」はあった。「おもしろい視点の取り組みだな」と感じたので、プロジェクトの企画会議を取材することにした。

仙台市民の暮らしを支えてきた幸町

7月13日、仙台駅から路線バスに乗り、北東に2.5㎞ほど離れた「幸町」に向かった。車内でスマホ検索すると、地区内には、江戸時代に仙台藩士の鈴木与兵衛が水不足を解消するため、私財を投じて作った灌漑用の沼“与兵衛沼”があることがわかった。さらに「幸町」のランドマークになっているのは仙台市ガス局のガスタンクで、アクロスプラザ仙台幸町やイオン仙台幸町など多くの商業施設もあり、仙台で暮らす人たちを長年に渡って支えてきた地域とも言えるようだ。

幸町市民センターに着くと、この日は、10代から70代まで7人の企画員が集まり、今年度のプロジェクトの進め方について会議を行っていた。

“幸せになりたい”地名に込められた思い

「幸町日本全国幸町プロジェクト」は、地名に込められた先人たちの思いがきっかけで始まった。幸町市民センターの髙倉祐一館長は、1971年に開校した仙台市立幸町小学校の当時の学校要覧に幸町の由来が書かれていることを教えてくれた。

幸町について この学区に幸町と呼ばれる地区はない。戦後、引揚者や戦災家庭等およそ百家庭が火薬庫あとに建てられた更生寮に落ち着いたとき、苦しいことの多かった今までの生活からぬけ出し、『幸せになりたい』、『みんなと力をあわせて幸せな町をつくろう』という願を込めて幸町(さいわいちょう)」と名付けたのだという

戦時中には陸軍の軍事工場が作られ、戦後はその跡地などをいかし、工場の建設や住宅化が急速に進んだ。昭和27年に仙台市から呼称として「幸町」が認められ、バスの停留所、郵便局、小学校など公共施設にその名が使われるようになったという。昭和51年には「幸町」が住居表示された。

テキスト

自動的に生成された説明

プロジェクトを通じて、自分が住む町を深く知る

地名に先人たちの幸せに対する願いが込められていたことを知った髙倉館長が町名を活かした地域おこしのアイデアを思いつき、このプロジェクトは始まった。昨年度は各地の「幸町」とつながるにはまずは自分たちが住む「幸町」をもっと知る必要があると考え、企画員が幸町の魅力を調べて発表したり、まち歩きのイベントを開催したりなどした。

今年度は、SNSなどを活用することで「幸町」の魅力発信や、各地の「幸町」とつながることを模索している。この日の企画会議では、メンバーの1人から、トレイルカメラを使って与兵衛沼周辺などに生息する野生生物を撮影することで新たな魅力発信にいかせないかとアイデアが出された。企画員たちは、実際に撮影された映像を見ながら、意見を交わした。また、各地の「幸町」とつながる足がかりとして、まずは同じ宮城県内にある「幸町」に声をかけてみることが決まった。

自立的な取り組みが自分たちの地域を救う!?

髙倉館長は、「このプロジェクトを通して、『幸町』に暮らす人たちの幸せが少しでも増えれば」と話してくれた。今後の動きとしては、11月に幸町市民センターで開催される「ふれあい祭り」でプロジェクトをPRしていく予定だという。

自分たちが住む地域の魅力を知り、自分たちのアイデアで盛り上げていく。社会が複雑化し、人口減少や縮小経済がますます進むと、地域社会において自立的な取り組みはさらに重要になってくると思う。「日本全国幸町プロジェクト」がこれからどんな展開を迎えるのか。実は私自身、また転勤で8月から仙台市内に住むことになったので、このプロジェクトの今後の動きも取材し、また伝えていきたい。

この記事は、仙台市の宮城野区中央市民センターとコラボした市民記者養成講座「東北ニューススクールin宮城野」の受講生の制作した記事です。宮城野区を舞台に活動するさまざまな地域密着の市民活動を取材し、発信していきます。他の記事は下記の画像バナーからご覧ください。

*TOHOKU360で東北のニュースをフォローしよう
X(twitter)instagramfacebook