【震災とイエ】家々の土台が剥がされていく

 シタビラメの干物で出汁を取り、白菜、芋がら(里芋の茎)、大根を煮て、お餅を入れる。その上に、たっぷりイクラをかける。荒浜の海と大地の幸を詰め込んだ、佐藤家の正月のお雑煮だ。

震災後も荒浜に通い続ける佐藤優子さん

 仙台駅から海へ向かって車で約30分、震災前には3千人弱の人々が住んでいた仙台市若林区荒浜。東日本大震災で集落ごと津波にのまれて186人が犠牲となり、2011年12月に仙台市が居住を原則禁止した。400年とも、500年とも言われる歴史を持つ荒浜の集落はあの日、一瞬の震災でなくなった。これまで荒浜には、津波で流された家々の土台だけが残されており、その光景が、この場所に確かに人々の生活の営みがあったということを生々しく物語ってきたのだが、ここに来て、その土台を撤去する工事が急速に進んでいる。

 撤去工事をするショベルカーが轟音を上げる、昨年12月中旬。佐藤優子さん(53)は、海からすぐそばの自宅跡に建てた作業小屋の前で一人、雑煮の出汁となるシタビラメを焼いて正月の準備を始めていた。「仮設住宅の台所は狭くて魚をさばくと掃除が大変だし、焼くと火災報知器が反応するでしょ。この場所なら、大声で歌いながら作業もできるしね」と、屈託のない笑顔で笑う。

青い小屋の前で、シタビラメを焼く佐藤さん

 佐藤さんは、荒浜の漁師の一家。漁師の父親(80)とともに、震災後の自宅跡地に、青い小屋と、真っ赤な小屋を建てた。周辺に建物が何もなくなった荒浜で、佐藤さんの建てた小屋は異彩を放っている。青い小屋は、漁の道具を置くための小屋。赤い小屋は、漁に使う網を編んだりするための作業小屋だ。家のブロック塀は正面側の一部だけが残されていて、その前には花が一列にきれいに植えられており、敷地内の畑ではよく手入れされたイチジクの木や大根が育っている。

 佐藤さんは、荒浜から車で約15分離れた仮設住宅から毎日のようにこの場所に通い続けている。午前4時半に起床して、漁師の父とアカガイ漁に近くの仙台港へ向かう。その後、荒浜の自宅跡で貝の選別作業や箱詰めをして、市場へ運ぶ。その後また荒浜に戻り、暗くなるまで仕事や農作業をして過ごす。居住が禁じられた後も、佐藤さんの生活はこの場所で続いている。

佐藤さんが自宅跡に建てた赤い作業小屋

 仮設住宅では4畳半程度の台所と6畳2間に、両親と暮らす。収納が足りずにたくさんの荷物であふれてしまい、ちょっとした音も隣に筒抜けになるプレハブ仮設住宅は、海からの風を吸い、広々とした土地で歌いながら仕事をしてきた人々にとっては、息苦しい環境だ。「ここ(荒浜)に来て波の音を聞きながら作業すると、気持ちが落ちつくの」と、佐藤さんは話す。

 海と生きてきた荒浜の漁師の人々のくらし。仙台港が建設される前の昭和30年代ごろまでは荒浜の海から漁に出ており、波の荒い荒浜の海に負けぬよう、「エグリガッコ」と呼ばれる先の尖った特殊な船を用いて漁をしていた。砂浜から人力で船を海に出すのも戻すのも、大変な労力が要る。漁から帰ってきた船を漁師の家族や住民たちで引き、手伝ってくれた住民には獲れた魚を「おふるまい」していたという。海のそばに建つ神社「ハッテラ様」には、いつも海での安全と大漁を祈願した。

津波で流され、鳥居だけが残った「ハッテラ様」

 2011年3月11日。地震後、佐藤さんは津波から船を守ろうと父と向かった仙台港で、慣れ親しんだ海の、豹変した姿を見た。「海に、小さい渦巻きが、右巻きのもの、左巻きのもの、何万もの数が渦巻いていたんです。こんな光景があるのか、と信じられない気持ちで見ていた」

 堤防を超える波を見て、追いかけてくる津波から、車で必死に高台へ逃げた。寒さに震えながら車内で夜を過ごした翌日、津波が襲来した高台の下へ降りていくと、「核戦争の後のような光景が広がっていた」

 船は奇跡的に無事だった。「父は無事だった船を見て、『仕事をしろということなんだ』と悟ったみたい。自宅再建をしなきゃいけないこともあって、震災後は死にものぐるいで働いていて、体重が5キロ減った。それだけ無理をしているんだね」と、佐藤さんは気遣う。

漁の道具を置いている、佐藤さんの青い小屋
漁の道具を置いている、佐藤さんの青い小屋

 自宅跡地は昨年夏に仙台市が設定した買い取り期限を迎えたが、佐藤さんは、この土地を売らなかった。今年中には市内に自宅を再建する予定だが、これからも荒浜の自宅跡地を売り払う予定はない。「この場所があるからこそ、おじいさんおばあさん(両親)がほっとする。ここで亡くなった先祖も含めて、私たちがこれまでずっと生きてきた場所。心の拠りどころなんです」

 佐藤さんの小屋のもとには今も、荒浜の元住民が訪ねてくることがある。「通りがかったら、お茶っこ飲まいん、って誘うの。そしたら、5、6人とか、10人くらい集まってくることもあるんですよ。それで世間話をして、『またここで待ってっからね』って言って別れるんです」

 荒浜が、夕焼けの赤色に染まる。「こうなると、日が暮れるのはあっと言う間。寒くなるよ」と、佐藤さんが急いで作業の片付けを始める。荒浜の大地から剥がされていく家々の土台のもとには、まだ小さな松の苗が、あちらこちらに生えていた。荒浜の海岸には震災前、住民に愛された豊かな松林があった。「震災のとき、松の木が子孫を残すためなのか、たくさん種を落としたんです。それが今、こうして生えてきた。土台を取るとき、切らないであげてほしい」と、愛おしそうに見渡した。

佐藤さんの自宅跡に掲げられている黄色いハンカチ。全国からの支援に感謝する内容が記されている

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