【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記
「貴君の大学採用の件、極めて困難な状況になりました」。新聞社を60歳で定年退職したら、当てにしていた再就職が白紙に。猛勉強の末に社会保険労務士資格を取得して開業してからの10年間で見えた社会の風景や苦悩を、元河北新報論説委員長の佐々木恒美さんが綴ります。(毎週水曜日更新)
ストレスから病に
社労士業を始めてまもなく9年。さまざまな方と出会う中、悩み、苦しんでいる人が何と多いことかと、改めて認識しています。障害年金の申請などを依頼された人のお話しに耳を傾けるうち、間違いなく手続きを進め、給付を確実にしたいと思う一方、社会全体として救済の手を厚くする必要性を感じております。
Bさんは、大学卒業後プログラマーとして地元のシステム開発会社に入社し、会社から評価され、3年後東京にある関連会社の研究所勤務に。研究所に寝泊まりしながら、システム開発に取り組んだものの、今一つ成果が上がらず、心身ともに疲弊してしまいました。真面目なBさんは、自身を責め続け退社。
その後、不眠、言い知れぬ不安、食欲減退、意欲低下、そして自殺願望の症状を呈し、うつ病と診断され、以来自宅に戻って夜昼逆転の生活が続きました。
「このままではいけない」。そんな思いにかられたBさんは、資格を取ったり、アルバイト勤務をしたり。ある時はビルメンテナンス会社に就職、屋上の雪下ろし、清掃作業などに従事しました。古手の従業員から「手際が悪い」「なぜ仕事ができない」などと怒鳴られ、作業中に怪我をしました。
外に出るのは隔週の通院日だけ。コンピューター仲間だった友人とも縁が切れ、引きこもり状態に。症状は段々高じていきました。「障害年金の申請ができないものか」と80代の父親から依頼を受けたのは、Bさんが最初にうつ症状が出てから20年以上経っていました。
申請後、じりじりしながら待ち、「もし駄目だったら」と心配しました。散歩の途中、父親から携帯電話に連絡が入り、「2級に認定されたようです」と言われたときは、社労士業を始めて最もうれしいときでした。障害基礎年金2級の金額は月6・5万円ほどで、そう多い金額とは言えないながらも生活費の一部に充てたり、たまに好きなものを買ったりしているといいます。少しでも心の安定につながれば幸いです。
それでも、この年金は3年ごとの有期年金。「症状が変わらないのに、打ち切られるのではないか」。支給は継続されていますが、親子の不安は続きます。
関門を辛うじて突破
40代のCさんの場合は、在学時代から不眠、食欲不振に悩み、体がだるく、落ち込むことが多かったといいます。体調は悪化し、幾つかの病院を回り、薬を多用したせいか、人と会うとおう吐の症状が出ます。
障害年金の請求を依頼されましたが、20代のとき最初にうつ病との診断を受けた病院は、お医者さんが既に亡くなり廃業しており、認定の要件となる「初診日」の証明がネックでした。幸い、Cさんが当時、心の病で病院に通院していた、と証言してくれる知人がいて、その申し立て書を添付して申請。それが効を奏したのかどうか、2級に認定されたのです。
Bさん、Cさんのケースは関門を何とかクリアし、責任を果たすことができ、良かったと思っています。一方で、申請を却下されたり、打ち切られたりする例も耳にしており、財政状況と関係してか、年々厳しさを増す国の姿勢を危惧しております。何かにつまずき、心の奥に言い知れぬ悩みを抱えてしまった人は大勢いるようです。いったん、軌道から外れると、なかなか戻れない。それは他人事でなく、誰にもそんな危険性が潜んでいます。
2か月の成年後見
「今日、持つかどうか分かりません」。60代半ばのD子さんから電話があったのは、ある朝のことです。
急いでD子さんの母親E子さんが入所している特別養護老人ホームに駆け付けると、D子さんが唯1人、付き添っておりました。E子さんは、脈を取る看護師さんに小さな声を出し、30分後、逝きました。「有り難う、有り難う」と涙目の看護師さん。
80代半ばのE子さんは、リュウマチが高じて認知症となり、入所当時の要介護3から4に容態が悪化。最近は吐き気をもよおし、食事を受け付けなくなり、水分を1日100㍉㍑摂るのがやっとでした。
E子さんを特養に入所させるなど、ずっと世話し元気だった夫は誤嚥性肺炎を起こし、先に逝去。D子さんから遺族年金の請求などを依頼されたことがきっかけで、E子さんの成年後見人をお引き受けし、わずか2か月で逝ってしまいました。
この間、後期高齢者医療保険料、介護保険料、固定資産税関係で区役所を、預金口座の名義変更で郵便局や銀行を、年金関係で年金事務所を、さまざまな相談で家庭裁判所を、それぞれ訪ねました。E子さんとの面会は4回、特養の職員から、容態などを聞いておりました。
その半面、生活上のことは特養頼りでした。仮にE子さんが特養に入居せず、自宅で生活していれば、とても成年後見人としての役割は果たせなかったと思います。成年後見は、財産管理や施設への入居手続きなど、法的な処理をするとされていますが、経験者からお聞きすると、実際には寝たきりの方の身の回りのお世話などをしなければなりません。社労士としての普段の仕事が少なく、時間に余裕があったから、辛うじて事務だけはできたというのが実感です。
我々団塊の世代が75歳の後期高齢者となり、介護・医療費が膨大化する「2025年問題」がまもなく到来します。特に認知症の1人暮らしのお年寄りを誰がどんな形で支えていくか、切実な情勢を身近に感じました。
【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記
第1章 生活者との出会いの中で
1. 再就職が駄目になり、悄然としました
2. DVD頼りに、40年ぶり2回目の自宅浪人をしました
3. 見事に皮算用は外れ、顧客開拓に苦戦しました
4. 世間の風は冷たいと感じました
5. 現場の処遇、改善したいですね
6. お金の交渉は最も苦手な分野でした
7. 和解してもらうとほっとしました
8. 悩み、苦しむ人が大勢いることを改めて知りました
9.手続きは簡明、簡素にしてほしいですね
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