新聞記者から社労士へ #6  お金の交渉は最も苦手な分野でした

【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記
「貴君の大学採用の件、極めて困難な状況になりました」。新聞社を60歳で定年退職したら、当てにしていた再就職が白紙に。猛勉強の末に社会保険労務士資格を取得して開業してからの10年間で見えた社会の風景や苦悩を、元河北新報論説委員長の佐々木恒美さんが綴ります。(毎週水曜日更新)

ほどほどでいいやと思いながら

知人や顧問契約先からの紹介、企業訪問、ホームページによるPRなどを通じて、顧問契約先は、建設、設備工事、エネルギー、資材、看板広告、介護施設など1年に1件ほど増える一方、1、2年して契約解消する事業所も出て、他から見たらままごとをしているようなものです。

30代、40代で会社を中途退職し、社労士で身を立てようとするなら、がむしゃらに努力しなければならないでしょう。年金生活者の当方はどこか斜に構えるところがあり、真剣に取り組まなければと思う半面、ほどほどで良いという姿勢がありました。

そんな中、報酬をどうするかの交渉は、最も苦手な分野です。顧問契約する場合、その事業所の規模、人数によって異なりますが、原則は月2万円。業務の範囲、契約期間、報酬、費用負担、資料提供、守秘義務などの契約書を交わします。顧問契約した事業所が就業規則、賃金規程などを作成していない場合、顧問契約の中で処理するか、別報酬とするかは、双方で話し合って決めておりました。

最初に、相手にも事情があることを考慮し、「ご予算はいかほどですか」と問います。また、規則の作成などを依頼された場合、事業所がその規則遵守に向けて努めることを条件にしていました。規則を作っても、労働時間などの実態が規則とかけ離れている事例を数多く見ていましたから。

忙しく忘年会もキャンセル

給付金、助成金の申請業務は、依頼された事業所の意に沿うよう、一つ一つ間違いなく要件をチェックし、進めていきます。その分、神経を遣います。

ある時、当方にとっては金額の大きい雇用に関する助成金申請の仕事が舞い込みました。引継いだのは山のような書類のみ。紙の手提げ袋2つにぎっしり入っていました。

書類をめくると、不明な部分があり、懇意にしていただいている社労士に教えを乞ったり、所管の役所を何度か訪ねたり。問題を整理して、やっと目鼻がつきました。この間、事業所の担当者とは、電話やメール、面談などで幾度もやり取りし、資料提供を受けました。

最後の詰めの作業で、提出書類を再度チェック。審査機関のホームページを読み直すと、言い知れぬ不安が募って参ります。引継ぎの仕事なので、当初行われた役所や審査機関の説明会に顔出しができず、該当要件などに見落としがあるのでは、といつも気にしていたのです。

例えば対象者という意味。「事業所全員のことを言っているのか。申請者に限っているのか。全員だと、休日を取っている人も結構いて、署名や押印が今からでは間に合わない」。じとっと汗が出て来ました。焦って、朝一番で審査機関に電話します。「申請者だけでOKですよ」。救われた思いでした。

申請書類提出の締め切りは年明けの1月。暮れの12月1か月は事務所に籠り切りになりました。出勤簿や賃金台帳を点検するとともに、パソコンを打ち続けて書類を作成。次から次へとコピーに回します。それでも終わりが見えません。

恒例にしていた友人との忘年会も断らざるを得なかったのは初めてです。突発の事件や事故が起き、集中して取材に当たらなければならない記者時代に勝るとも劣らない繁忙の日々に明け暮れました。

交わさなかった契約書

さて、この助成金申請に際し、業務委託契約書を交わしていませんでした。事業所の事務担当者から大体の報酬について伺っており、お金のことでくどくどと念押しするのは、気が引けたのです。助成金の成功報酬は、交付される金額によっても違いますが、相場があり、今回は作業が繁雑だったので、8%ぐらいはいただけるのではと思っていたのでした。

ところが、助成金が入った段階で事業主は「交付額の1%でどうか」と言って参りました。理由は、以前申請したフォーム(様式)を踏襲しており、賃金、時間外手当の計算や、出欠勤の記載など、そう手間が掛からなかっただろうという言い分です。ほとほと困ってしまいました。引き継がれた書類は紙ベースでしたので、既に、知人に依頼して、フォームを作り直してもらい、見込まれる報酬を先食いし、1㌫を超える金額を支払い済みだったからです。事業所とやり取りし、最後は6㌫で合意させていただきました。

口約束や暗黙の了解などは当てになりません。契約は文書の取り交わしが必須です。トラブルになるのを防ぐ意味があります。にもかかわらず、契約書を交わさない基本的なミスをしてしまいました。契約条件が合わないのなら、その時点でやめるか、さらに話し合い詰める必要があったのです。そこをあやふやにしてしまった結果、後味の悪い仕事となりました。

【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記

第1章 生活者との出会いの中で
1. 再就職が駄目になり、悄然としました
2. DVD頼りに、40年ぶり2回目の自宅浪人をしました
3. 見事に皮算用は外れ、顧客開拓に苦戦しました

4. 世間の風は冷たいと感じました
5. 現場の処遇、改善したいですね
6. お金の交渉は最も苦手な分野でした
7. 和解してもらうとほっとしました

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