自分をロールモデルに、女性が生き生きできる社会を目指す epi&company代表・松橋穂波さん

【福地裕明】自分が好きなこと、やりたいことを形にして、女性が活躍できる社会をつくりたい。この10年、松橋穂波さん(30)はまさに、この具現化に向けて会社を立ち上げ、自らロールモデルになって突っ走ってきた。

商品企画、マーケティング、モデルキャスティング、就活支援などの事業を行うepi&company(エピ・アンド・カンパニー。以下、「epi」と記載)の代表取締役社長を務める彼女の第一印象は「姉御肌」だった。「美しい人は、自信がある人」「モデル事業は手段であって目的ではない」といった言動は興味深く、話をしているだけで引き込まれるものがある。彼女の魅力は一体何なのか、迫ってみたいと思った。

epi&company社長の松橋穂波さん
epi&company社長の松橋穂波さん(2021年4月、福地裕明撮影)

私は何ができるだろう…と、一年近く迷走

2011年、宮城教育大学の3年生になったばかりの頃、青森県八戸市の実家から父親が倒れたとの連絡があった。すぐさま帰省したものの、意識は二度と回復することもなく7月に56年の生涯を終えた。父の職場は東日本大震災の津波で全壊。職場を立て直すために奔走する中での震災関連死だった。

それまでは、社会課題に目を向けるような「意識高い」系ではなく、おしゃれや飲み会に明け暮れるごく普通の女子大生だった。が、父の死によって、突然「被災者」となり、震災と向き合わざるを得なくなった。

「父はまだ、やりたいことがあったはず…。なのに私は?」と、自堕落気味の学生生活を振り返り、「父に恥ずかしくない生き方」をしようと、自分の好きなことで、かつ、震災復興や仙台・東北のために何ができるのか手当たり次第探してみた。

学習支援ボランティアなどに参加してみたものの、夢中になれるものを見つけることはできず、結局、大学3年の一年間は「迷走の時期」となった。

身近にあった「好きなこと」に気付き、起業へ

そんなとき、カナダの支援団体から奨学金を受け取れることになった。授与式の会場を訪れたら、自分が座るべき席に何やら大きな包みが置かれていた。それは、化粧品だった。

「あなたは被災者である前に、ひとりの女性なのだから」

支援団体の方からの何気ない一言に、もともとおしゃれが大好きだったことを思い出した。「自分が被災者だ」だと思い込み過ぎて、大切なこと、大好きなことが、いつもそばにあることに気付けなかった。

被災直後は生きることに精一杯で、おしゃれが後回しにされる。だからと言って、遠慮しているのもおかしいと感じていた。おしゃれは「生きる」原動力。そう考えたら、目の前が開けた感じがした。「好きなこと」と「やりたいこと」が一致した。

「生き生きとした女性が増えれば、社会は元気になる」。そんなメッセージを掲げて活動する企業や団体を、片っ端から調べた。首都圏にはあったが、仙台や東北にはほとんどなかった。「誰もやっていないのであれば、私がやるしかない」と立ち上がった。

震災以降、自宅に男女を問わず友人がやってきては飲み明かす機会が増えていた。誰かがいつしか「穂波会」と名付け、将来のことなどを話すようになった。「せっかくだから、やりたいことやろうぜ!」と、「生き生きとした女性を増やす」ためのイベントをやろうと盛り上がった。

将来について話すだけでなく、バカ騒ぎもした「穂波会」(2012年頃撮影。松橋さん提供)

知識も経験も、活動資金もなく、あるのは学生たちの情熱だけ。「穂波会」メンバーを中心に実行委員会を立ち上げ、友人など周りを巻き込みながら大学からモデルを集め、学生による学生のためのファッションショーを実現させた。それが、現在まで続く「東北キャンパスコレクション」の始まりだ。

ゼロからの立ち上げで本当に大変だったが、「やり切れた」という達成感は大きな自信になった。ショーが成功していなければ、今の私はない。もともとは、一回限りのつもりだったが、やりたいことを形にすることの楽しさに気づいた。

と同時に、ほとんど素人だった学生モデルがメイクやウォーキングのレッスンを重ねるうちに、彼女たちが「自信」に満ちた表情を見せるようになるのを目の当たりにしたことで、「女性は人に見られることで美しくなれる」ことを実感した。ファッションショーを続けることで自信を持つ女性を増やし、「社会をよくする」ことができないか。それこそが、自分がなすべき道ではないかと思った。

記念すべき第1回TOHOKU CAMPUS COLLECTION(2012年)のモデル、スタッフ勢揃い(松橋さん提供)

大学卒業を控え、普通に就職すべきか迷ったが、最後に背中を押してくれたのは亡き父だった。「人はいつ死ぬか分からない。だったら、やりたいことをやろう」と起業することを決め、大学卒業後の2013年5月、「東北女子学生コミュニティepi」を立ち上げた。

ファッションショーに出演してくれたモデルたちにさらなる挑戦の場をと、モデル事業に参入。登録したモデルをepigirlと名付け、ポージングや笑顔作りのレッスンを兼ねた個別スタイルの撮影会を定期的に開催した。さらに、企業が商品開発やマーケティングのために若い女性の意見をヒアリングする際にepigirlを派遣するなど実績を積み重ね、2015年11月に「epi&company」として法人化した。

「epi」とはフランス語で「穂」を、「&company」は「仲間たち」をそれぞれ意味する。要するに「穂波と愉快な仲間たち」、すなわち「穂波会」そのものだ。

ワイワイガヤガヤしながら、好きなこと、楽しいことをやろうよという「原点」をいつまでも忘れないという思いを社名に込めている。

epi&companyのロゴマーク。「東北の女性のための会社」を表現するため、東北6県を6本の穂でイメージした
epi&companyのロゴマーク。「東北の女性のための会社」を表現するため、東北6県を6本の穂でイメージした

自信は成功と失敗を重ねながら身につけるもの

元々は引っ込み思案な女の子だった。何か大きなきっかけがあって、自信を持てるようになったわけではない。思い返せば、「きっかけ」と「気づき」があった。

前者は、小中学校時代に先生から機会を与えられたこと。学級委員や卒業式の送辞役などを勧められ、恥ずかしいと思いながらもやり遂げることができた。

後者は、発表している自分の言動を、誰もさほど気にしていないことに気付いたこと。「多少失敗しても恥ずかしくはない」と度胸がついた。

そうやって小さな成功体験を積み重ねてきたせいか、モデルの歩き方や表情を見続けているうちに彼女たちの「自信のある、なし」が分かるようになった。自信のない子は、目線が下を向きがちで、背中が丸くなり、総じて暗く見える。自信のなさが表情や態度に出てしまう。

「美しい女性って『自信のある女性』だ」という思いが確信に変わった。しかもそれは、練習し、経験を重ねればクリアできると。

ファッションショーのレッスン風景(2016年12月。epi&company提供)

モデル業は、オーディションの当落を避けて通ることはできない。「落ちたくない、失敗したくないから参加したくない」という不安な思いも当然あるだろう。でも、参加しなければ成功も失敗も経験できない。自信を持つためには、失敗という経験も欠かせない。

落ちることは怖いけど、「私、やります」という小さな勇気を持つためにも、ちょっとした自信を持つことは不可欠だ。たとえオーディションに落ちたとしても、誰も落ちた人のことを気にしてはいない。そう思えば気楽だ。それこそはまさに、自分が歩んできた道だ。

そんな体験があってか、epigirlたちにはリクエスト撮影会など仮にオーディションに落ちても仕事が回ってくる機会をつくった。ポージングのレッスンをしつつ、撮られる経験を重ねることで自信を持たせる仕組みだ。実際に、オーディションに何度も落ちてしまっても、撮影会で人気が出たことでリベンジできた子だっている。

初めてファッションショーを行ったときの学生モデルは15名。今は50名以上がepigirlとして登録している(2020年10月、松島離宮にて。epi&company提供)

私は、「私の人生」という物語の主役

「私は、『私の人生』という物語の、主役だ」

そんな思いを胸に、これまで率先垂範してロールモデルを自ら示してきた。

会社を立ち上げて間もなく6年。「自身の成長」とともに会社も成長してきた。「epiという会社は私自身」と語るように、文字通り、自分のライフスタイルそのものを事業にしてきた。

ファッションショーを皮切りに事業を展開できたのは、ターゲットとなる同世代の女子大生の目線でできたから。現在は、結婚や出産、子育て、キャリアアップなど、同年代の悩みが寄せられる。そんなとき、「女性としてどうあるべきか」を軸に寄り添い方を考えている。

まず具現化したのが、昨年6月に立ち上げたフィットネス事業だ。「パーソナルジム」の運営をepigirl経験者に任せた。モデル時代に培ったボディーケアやトレーニングのノウハウを活かすとともに、彼女たちがモデルを「卒業」した後のセカンドキャリアを考慮した。

2020年に立ち上げたフィットネス事業「E Style Lab」(epi&company提供)

次の一手として考えているのは、妊婦をお祝いする「ベビーシャワー」。ベビーシャワーとはもともとアメリカの文化で、妊娠した女性を尊重し、彼女が主役になるパーティーのこと。これを何とかして日本でも根付かせられないか思いを巡らせている。

ベビーシャワーの最大の特徴は、赤ちゃんを産む女性自身が主役であること。生まれてくる赤ちゃんだけを祝福するのではなく、「妊娠おめでとう!」「出産頑張って!」といった思いを形にすることで妊婦に「私はひとりじゃない」と前向きになってもらうのが真の願いだ。輝く女性のためにも「新たな日本の文化として根付かせる」と意欲的だ。

昨年8月で30歳になった。もともと、30歳になったら自分のために何か特別なことをやろうと思っていた。これまでは「20代の若手女性経営者」などと呼ばれたりもしたが、これからはそう言った呼ばれ方もされなくなる。立ち位置が変わって「見られ方」が変わるのであれば、自分の「見せ方」も変えていかなければと、思っていた。

七五三、入学式、卒業式、成人式と人生の節目に写真を撮っていたので漠然と、自分自身の写真を撮ろうとは思っていた。日々、モデルの撮影を見ていたこともあって、撮られたいという願望もあった。

きちんと「松橋穂波」というひとりの人間を写真に収めたい、「じゃあ、脱ごう」瞬間的にと思った。

覚悟を決めてスタジオを訪れたものの、ギリギリまで不安や恥ずかしさはあった。他人に生まれたままの姿を見せる恥ずかしさと、自身のスタイルに対する恥ずかしさ。しかし、撮られた写真データを見て、純粋に「悪くないな」と思った。コンプレックスのあるパーツも「気にすることでもなかった」し、「これはこれで美しい」とも感じることができた。反対に、「美しい私を見て!」と、自らSNSで発信することにした。

30歳の記念に作成した写真集。表紙が一番のお気に入りだという。全世界の人に見て欲しいと、この写真とともにSNSで発信した(松橋さん提供)

加齢や妊娠、手術など人生が如実に表れる、体。それをありのままに受け止めて、「こんな私ってステキじゃないか」と思える写真集に仕上がった。「私にだってコンプレックスはある。撮られてみて『悪くない』と思ったように、女性たちもそういったことに気づいてほしい」

他者に見せる見せないは別問題。ただ単に、写真を通して客観的に自分を見つめ、「今の自分」に自信を持ってもらいたい…。そんなメッセージを込めて発信したつもりだ。実際にSNS上でも好意的な反応が寄せられた。影響を受けた女性も実際にいるだろう。「これは、ロールモデルを示してきた私だからこそできることじゃないかな」

これからも好きなことに挑戦できる私でいたい

SNSにはこんなことも書き記していた。

次の撮影は10年後。
どんな私になっているのか、
どんな私に育てるのか、
楽しみです。

10年後は40歳。しかも震災から20年の年にもあたる。
どんな「私」になっているだろうか。東北はどんな姿を見せているだろうか。

ただ、10年後は「あまりに先過ぎて、実感できない」。今は「10年後もやりたいこと、好きなことに挑戦している私でいたい」としか言うことができない。

あのときもらった化粧品は、まだ使っていない。「もったいなくて」八戸の実家に置きっぱなしになっている。

もし使うとすれば、それは「やり切った」と感じたときだと思っている。その日がやってくるのかどうか今は分からないけど、事業を立ち上げるきっかけとなったアイテムだからこそ、ゴールだと思ったときに使いたい。自信を持った女性が巷にあふれるためにも、まだやるべきことはたくさんある。

父・俊逸さんが亡くなってまもなく10年。墓前では「あなたの娘はすごいぞ」と伝えたいし、父も「よくやった」と返してくれると思う…と、穂波さん。(2021年5月、福地裕明撮影)

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