渡邊さんが種から育てるクロマツの苗

被災地の風景に芽吹く夢 2020年の荒浜を歩く

【寺島英弥=仙台市】地下鉄荒井駅(仙台市若林区)から市バスに乗り、やがて家々も水田もなくなり荒れ地の風景に変わると、終点の旧荒浜小学校前だった。タイムスリップしたような3月10日の小雨の朝。目の前には鉄筋コンクリート4階建ての白い校舎がある。「ありがとう 荒浜小学校」の横断幕には、2011年3月11日の東日本大震災の大津波に2階まで浸されながら、児童たちと懸命に避難してきた住民ら300人余りを救った校舎への感謝が込められている。

 地元の荒浜は、漁師町の歴史と海岸の松の緑、夏の海水浴場で知られた約2200人の街だった。高さ10メートル以上の松林を越えてきた、黒い壁のような津波は古い町並みを壊し、190人の命を奪った。

旧荒浜小学校校舎
旧荒浜小学校校舎

 どこまでも平らで逃げ場がなく、人も車ものみ込まれた苦い教訓から、旧荒浜小学校の向かいには「荒浜地区避難の丘」が造成されている。高さ7メートルと10メートルの広場が連なる人工丘陵で、次の津波の折には、最大で5400人が駆け上がって避難できるという。利用開始は来月。2年前から期間限定で海開きを始めた深沼海水浴場の復活や、観光客が再来する将来に備えての復興の丘になる。

荒浜地区避難の丘
荒浜地区避難の丘

 津波の浸水地域は「災害危険区域」に指定され、古里を失った住民たちは他の土地に移り、宅地も市から買い上げられ、もう永劫に誰も住むことはできない。旧荒浜小学校から海岸へ歩くと、いまだ「撤去工事中」の現場と行き交うダンプカーの向こうに、かつての岸辺の緑陰を失った貞山運河の寒々とした水面が現れ、枯れ草に覆われた町の痕跡が目に入ってくる。

緑陰が失われた貞山運河
緑陰が失われた貞山運河

 昨年8月に公開された「震災遺構 仙台市荒浜地区住宅遺構」。流失した家々の剥き出しの土台や、津波で深さ2メートルもえぐられた窪地など、すさまじい破壊の遺構をそのままジオパークのように保存する区域だ。訪れる人々は順路を巡って足を止めては、息を呑んで「あの日」に想いを馳せる。振り向くと、生き延びた松が寂しく点在する景色に立つ「東日本大震災慰霊之塔」の観音像。耳に響く絶え間ない波音が、9年前に人を引き戻す。

 「荒浜地区住宅基礎」の震災遺構
津波でえぐられた土地の遺構
津波でえぐられた土地の遺構
荒浜の津波犠牲者を鎮魂する「東日本大震災慰霊碑」
荒浜の津波犠牲者を鎮魂する「東日本大震災慰霊之塔」

 新しい防潮堤の上に登ると、海がある。この日の雨空をそのまま映した灰色のうねりが、波消しブロック群にぶつかってはどーんと立ち上がる。広い砂浜から水平線から空まで同じ色に溶け込み、この世とあの世もつながったよう。そこに誰を思い、祈っているのだろうか。言葉を交わすこともなく若いカップルがただ一点を見つめていた。

防潮堤から望む深沼海岸
防潮堤から望む深沼海岸

 「海風にゆれる松林 海水浴場に貞山堀 自然豊かな荒浜を 未来につないでゆくことがわたしたちの夢です」 こんな言葉とともに大きな板に描かれた鮮やかな青と緑は、「取り戻したい荒浜」へと心の色をよみがえらせる。地元の被災者の1人、貴田喜一さん(74)が津波で全壊した自分の会社事務所跡に私財で建てた「里浜荒浜ロッジ」だ。お茶飲みのベンチが並び、ピザを焼く石窯もある。

里海荒浜ロッジ

 震災後、懐かしい集落復活を望む住民仲間と「荒浜再生を願う会」を結成し、現地再建を市に訴えたが叶わず。しかし、筆者が貴田さんから聞いたのは、「終わりは始まり―という言葉もある。住むことはできないが、荒浜で新しい夢を描きたい人たちと、ここからまた始めたい」という熱い思いだった。ロッジは共感する来訪者との交流の場になり、一時は維持費難に陥りながら昨年6月、応援する人々が「ロッジ応援団」を結成した。

 荒浜では、活気ある新しい風景をつくり出そうという動きも盛んになってきた。住むことはできないが、被災地の浜々に連なる被災地を再生利用するプランを市が3次にわたって公募した。荒浜には、体験型観光果樹園のほか、仙台の大学生らの農地復旧ボランティア団体「ReRoots」の元メンバー、平松希望さんが「平松農園」を来年ごろオープンさせ、荒浜産のネギやブロッコリー、枝豆やニンジンなどを生産する―と報じられた。

 そんな1人になった荒浜の元住民に、この取材の帰り道に偶然出会った。「寄っていきなさい」と声を掛けてくれた渡邊學さん(75)=深沼アグリサービス経営=。

取材で出会った渡邊學さん

 地元でボーリング(掘削)の会社を営んでいたが津波で自宅もろとも流されたという。「一時は路頭に迷いそうになったが、先祖伝来の土地に戻って新しい仕事を始めよう、と市の買い上げを断り、公営住宅からここに通って烏骨鶏を飼うようになった。新鮮な卵を売っている。ダンプの運転手さんも帰りに寄って買ってくれるよ」

渡邊さんの飼う烏骨鶏

 2年前に簡易な事務所を建て、鶏小屋には真っ白い烏骨鶏が200羽いる。その鶏糞を発酵堆肥にして「雲南百薬」(オカワカメともいう)を、畑で楽しみに栽培している。長寿の薬として中国から伝わった野菜で、栄養価が高く、ネットには多彩なレシピが紹介されている。

 市の跡地利用の公募に申し込んで1500平方メートルの土地を借り、大きなハウスを建てて烏骨鶏を300羽に増やし、畑も広げて本格的に野菜を有機栽培し販売するつもりだ。

烏骨鶏の卵

 「被災地になった荒浜も変わっていく。大きなスポーツ公園もできる。昔の町は戻らないけれど、また人が集まる場所になるよ。私は、あの松の緑も復活させたいんだ」

 畑の一隅に、淡い緑のクロマツの苗が育っている。「震災後、松の植林が盛んだが、荒浜のクロマツでないとうまく育たないんだ。私は海岸で松ぼっくりを採ってくる」と渡邊さんは言って、かごに集めた松ぼっくりを一つ手に取り、白っぽい種を見せてくれた。

 「順調に苗は育ってるよ。クロマツの根元には『松露』(しょうろ)というキノコが生える。うまいんだよ。そんな楽しみな夢もある」

渡邊さんが種から育てるクロマツの苗
渡邊さんが種から育てるクロマツの苗
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