【渡邊真子通信員=宮城県石巻市】宮城県石巻市を会場に開かれたアートと音楽、食の総合芸術祭「Reborn-Art Festival」(以下RAF)は、大盛況の内に9月10日に幕を閉じた。「ママだけの夏休み」という大義名分のもと、筆者はこのイベント期間中に仙台から石巻に3日間通い、RAFを満喫した。同県内とはいえ、目的がなければなかなかやってくることのない石巻市を訪れたのは、約10年ぶり。牡鹿半島にまで足を延ばしたのは、今回が初めてであった。

 初日は牡鹿半島の展示をくまなく巡るガイド付きのアート鑑賞ツアーに参加し、翌日は石巻の市街地をRAバスと徒歩で観て回り、後日、仕事を休んでもう1日だけ、ひとりマイカーで訪れた。そして、RAFが終了した11日後、取材で再び荻浜を訪れた。




人々のオアシス 牡鹿ビレッジ

(左)食堂「はまさいさい」 (右)この日の「はまさい定食」(撮影:渡邊真子)

 津波で流された荻浜公民館があった場所に、イベント閉幕後も引き続き営業を続けている食堂「はまさいさい」がある。そこで、RAF会期中に食べる機会がなかった「はまさい定食」をいただくが、地元で獲れたお魚2種“コチの南蛮漬け”と“めひかりの天ぷら”が実に美味しかった。食堂の近くには木がふんだんに使われた可愛らしい形の公衆トイレがあるが、これもRAFを機に設置されたもの。この辺りには、以前住宅が建ち並んでいた。 

牡鹿ビレッジにある公衆トイレ(撮影:相沢由介)

 トイレの道路を挟んだ向かいには、屋号の「マルシチ」という呼び名でも親しまれている「湾ショップおぎのはま」という小さな商店がある。お邪魔した時には、赤ちゃん連れの若いお母さん、漁師さん、おばあさんなど地元の人がひっきりなしに訪れていた。ちょっとしたオアシスなのだろう。商店、食堂、公衆トイレが揃ったこのエリアは「牡鹿ビレッジ」と呼ばれ、よそからこの地域を訪れる人にとっても、必ず立ち寄ってしまうであろうドライブインのようなスポットとなっている。

「湾ショップおぎのはま」のベンチで寛ぐ地元のお母さん(撮影:相沢由介)

「ここは見逃されやすいんだよ」と、鑑賞ツアーでガイド役だったワタリウム美術館CEOの和多利浩一氏が説明してくれた展示場所が、「湾ショップおぎのはま」の裏手にある。会場マップには「伏見家納屋近く」とある。

伏見家納屋の前で説明をするワタリウム美術館の和多利氏。奥の車の中に映像作品が展示されている。(撮影:渡邊真子)

『伏見家納屋』とRAF

「3年半ぐらい前になるのかな?ap bankのスタッフの娘(こ)が最初ひとりでこの地域をぐるっと回っていて、ここに来たのさ。あそこの倉庫を会場にするっていうのは、そのずっと後の話で」
そう話してくれたのは、展示場所を提供した伏見眞司さん。代々荻浜で牡蠣の養殖業を営み、宮城県漁協の代表監事やみやぎ石巻地区支所の運営委員長など、様々な肩書きを持つ方だ。伏見さんはその建物を「倉庫」と呼んだ。そこは、震災前まで伏見さんの自宅があった場所だった。

「家の中にいてね『ゴオオオオオーッ』とものすごい音が鳴ったんだ。でもまさか津波だと思わなかったんだ。あれは津波が浜の方にあった家々をなぎ倒して来る音だったんだよ。バリッ、バリッって…。ほんとにすごい音なんだよ。まだその音が耳から離れないんだけどさ」

 地震が発生した時、伏見さんは漁協の事務所にいた。職場の皆を帰して自分も帰宅した時には、既に家の壁などが潰れていた。とりあえず浜に下がろうと作業服に着替えている最中に津波がやって来た。障子を開けると、ガラス張りの縁側から見える庭の木の茂みの向こうから津波がやって来るのが見えた。
 作業服も半分着たまま慌てて裏玄関から出た時には、あっという間に津波に飲まれてしまった。必死でもがいているうちに、ちょうど隣の家の屋根のところで浮かんできた。屋根に這い上がった途端、今度はその家ごと荻浜から石巻市の隣町・女川町の手前まで流された。

「何もねくなって、周りの人もいねくなった。それが思いもかけず、(RAF実行委員長・APバンク代表理事・音楽プロデューサーの)小林武史がこの被災地で何かできないかって。元気づけるとか、それには色んな形があるけれども、海の近くでこうゆうものをやりたいんだって、そういう話だった」




荻浜湾の牡蠣の再生

「今は牡蠣のイカダもいっぱいあるけど、何もねくなったんだから津波で。母貝(ぼがい)もなくなって種が取れない。ここの荻浜湾っていうのは(牡蠣の)種場でもあるから、またよそからここに母貝を持ってきてここで産卵させてここで種を取ろうっていう計画があったのさ。ほんでやろうと思ってた矢先にね、ここの岸壁にくっついている天然の牡蠣が大放卵したわけ。そしてものすごい種が取れた。それも今まで見たことがないような量。海が真っ白になったんだよ、放卵で」

 震災後の荻浜湾をみた専門家が、母貝がないからもう牡蠣は獲れないと言っていたのだが、それを覆す自然現象が起きた。「子孫を残すっていう本能がね、やっぱりあるんだなと。牡蠣っていうのは生命力強いしね、だから太古から今までこうやって生き延びているんだな」

 荻浜湾の牡蠣は、その神秘的な大放卵の種をもとにずっと現在まで続いており、「今はもう完全に復活したから」と伏見さんは笑みを浮かべた。

荻浜湾に浮かぶ牡蠣養殖のイカダ(撮影:相沢由介)

 荻浜湾は「垂下式牡蠣養殖」の発祥地である。その養殖方法を考案したのが、沖縄県大宜味村の宮城新昌氏。そのおかげでこの荻浜はじめ、宮城県全体の牡蠣養殖が発展したということらしい。それを記念して防潮堤の前に建てられた牡蠣の顕彰碑も津波で流されてしまったが、沖縄各地で募金活動が広がり、あっという間に資金が集まり、現在の場所(石巻市役所荻浜支所跡)に再建することができたとのこと。

復興支援の色んなカタチ

「荻浜が牡鹿半島の(RAFの)メイン会場になって『大勢の人が来る』ってことをどうゆう風に受け止めているかって、それは、みんな賛否両論あるんだ。あんまり来過ぎてうるさかったとか何とかって言う人もいれば、活性化になって良かったって言う人ももちろんいる」

 今年の夏は長雨の影響もあり、RAF前半の来場者数はそれほどでもなかったが、お盆期間の辺りからの客足がすごかったという。一日だけで2,500人もの人が荻浜を訪れた日もあった。受け入れ体制にしても、水や電気の供給の問題にしても、反省点や課題はいっぱいあるんだ、と伏見さん。そんな話を伺っていくうちに、伏見さんの存在なくして、RAFの成功は有り得なかったのではないか?と思った。RAF主催者側と地元の人々や企業・役所とを繋ぐ橋渡し役であり、重要な役目を担っていたということは、筆者でも容易に想像ができた。

「夜中にたまに市内に行くとさ、2階の事務所からスタッフたちが降りてくんだよ。皆知り合いだからさ、『なぁんだまだやってんのか?』って。真夜中だよ。毎晩徹夜で事務処理してんだよ。朝早くから夜遅くまで…ああいうとこ見っとな、やっぱり、ああ応援しねきゃなって。一所懸命になってやってっからさ。みんなが『成功させよう』って」

 多くのスタッフやボランティア、スポンサーの力はもちろんのこと、地元の住民もそれぞれの形で関わって、成功を収めたRAF2017。東京や各地からRAFのために集まった多くのスタッフやアーティストたちが、伏見さん宅にちょくちょく遊びに来るという。石巻の面倒見の良い頼れる親父さんのもとに、人々が集まるのはごく自然のことのように思う。

「やっぱりこのイベントで色んな人と出会えたし、そういうところから色んなものが生まれてくるからな、悪いことじゃねえと思うんだ俺は。自分たちひとりでここまで来れたんでねえんだから我々だって。それを忘れんなってみんなさ言うんだ。自分たちの力でここまで来れねよ。国とか県とか、たくさんのボランティアの人たちがここに来てくれてさ、そして色んなことやってもらったんだから。それを忘れちゃダメだって。それ忘れたらバチ当たるからなって、俺はここの組合員には言ってるんだ。――今まで色んな人たちが来てくれた。これからだって来んだから、それに対してはみんなおんなじ気持ちで接しなきゃダメだって、俺はそう思ってる」

 伏見さんのお宅にお邪魔した翌朝の新聞に、世界の傑出した芸術支援者に授与される「第26回モンブラン国際文化賞」を小林武史氏が受賞したという記事をみつけた。その翌週のテレビニュースでは、震災後出荷の遅れが続いていた生食用の牡蠣が、7年ぶりに例年通りの9月29日に出荷されたと報じていた。

 後日、伏見家の倉庫前で行なわれたバーベキューの様子をテレビで観る機会があった。小林武史氏とスタッフたちが、地元の漁師さんや婦人会のお母さんたちと肩を並べてお酒を飲んでいた。取材時にも写真撮影をやんわりと遠慮した伏見さんだったが、テレビ画面の中でも、体格の良い伏見さんの笑った横顔がチラッと映っているだけだった。「…誰かな、誰かお世話する人いねえと…」。自分の役割はそんな感じだと謙遜していた伏見さん。男前。

 現在は、高台に切り開かれた新しい土地で真新しい住宅に暮らす伏見さんだが、お邪魔した時もまだ外は一部工事中であった。荻浜周辺を職場としている人でも、今では石巻の市街地に家を構え、通いで働きにやってくる人が多いという。だから、朝や日中は活気づいていても、夕方になると特に若い人たちはみな帰っていき、夜には一気に人影がなくなる…。すごく寂しいことだと伏見さんは言う。

「ここの産業は牡蠣だからさ、やっぱり荻浜のこと、ここの牡蠣の良さを多くの人たちにもっともっと知ってもらって、あとはスーパーで買ってもらえればいいんだ」
 RAFを機に、石巻や牡鹿半島、荻浜の知名度は一気に向上しただろう。そして「ここの名産の牡蠣もちゃんと知れ渡っていったら、これほどいいことねえっちゃ」と伏見さんは言う。それが地域を潤し、活性化にも繋がるんだと。

地元産牡蠣の入ったカキーマカレーはテイクアウトもできる(撮影:渡邊真子)

 食堂「はまさいさい」での看板メニューのひとつに、荻浜の名産である牡蠣と宮城県産大豆を細かく刻んでキーマカレーに見立てた「カキーマカレー」がある。「今後は、牡蠣を使ったメニューをもっと増やしていきたいですね」とは、浜のお母さん方と一緒にはまさいさいで働くRAFスタッフの佐々木裕香さん。

はまさいさいの厨房とRAFスタッフ(撮影:相沢由介)

 ちなみに、伏見さん一番の牡蠣のおすすめ調理法は「蒸し牡蠣」。水は入れずにそのまま鍋に投入して蒸すと、牡蠣のエキスが凝縮して非常に美味しいのだそう。冬の牡蠣シーズンはこれからだ。RAFをきっかけにこの土地に魅了されてしまった筆者は、きっとまた牡鹿半島を訪れてしまうだろう。来年のプレイベントも、2年後のRAFも、この地を訪れる人はきっと多いだろう。より一層地域と一体化することで、さらにパワーアップしたRAFになることを願わずにはいられない。

 作品展示会場の目印でもあったRAFの黄色いのぼりはもう取り外されていたが、見知った荻浜湾沿いの道をずんずん進む。「観に行って来てもいいんだよ」と、取材時に出会った地元住民みなさんのお墨付きで、イベントの象徴ともいえる鹿のオブジェにまた会いに行った。道中の海や洞窟にあった作品はもうきれいさっぱり撤去されていたが、“White Deer”は今も変わらず、空を仰ぎながらそこに凛として立っていた。山の緑、空と海の青、真っ白な鹿のコントラストは、やはり美しい。

“White Deer (Oshika)” 作・名和晃平(撮影:渡邊真子)
(※現在“White Deer (Oshika)”は一般公開しておりません)





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