2017年からの新連載「アジアの街角〜陸奥の風」は、東北のニュースサイト「TOHOKU360」と、アジア各地からニュースを届けるニュースサイト「シンガポール経済新聞」及び「ムンバイ経済新聞」、シンガポール唯一の日本語週刊誌「週刊SingaLife」の4媒体が国際ニュースネットワークを築き、お互いの地域の現地ニュースを交換し合う取り組みです(詳細)。今回は「週刊SingaLife」より、シンガポールで開催された原辰徳氏の講演会のもようをお伝えします。
4月23日、シンガポールで前巨人監督の原辰徳氏の講演会(主催:東海大学同窓会シンガポール支部、後援:東海大学校友会・東海大学同窓会)が開催された。原辰徳氏が語る自身の半生と、野球から学んだ事とは――。
「他の部員の3倍は厳しくするからな」父親が監督を務める東海大相模高校野球部へ
私は高校進学が人生の岐路になりました。当時、私の父が東海大相模高校野球部の監督を務めていたのですが、私も東海大相模で野球部に入部したいと考えていました。それを父に告げたのですが、父からはもっと沢山の高校を見なさいとアドバイスを受け、甲子園を見に行ってきました。当時は作新学院の江川さんが旋風を起こしていた時代でした。たまたまですが江川さんとも会話もしました。江川さんは全く覚えていませんでしたが(笑)。
ただ甲子園を見に行った後も、どうしても東海大相模に入学したいという気持ちは変わらなかったので、父にその気持ちを告げました。すると父は「他の部員と実力が五分五分ならお前は補欠だ、7対3でようやく考える。そして他の部員の3倍は厳しくするからな。」と言われました。そんなことを言われて、私ももちろん覚悟して入部したつもりだったのですが、入部したら想像以上でした。
実力の面では幸い他の部員より秀でていたので問題は無かったのですが、練習時の私に対する厳しさは想像以上でした。その厳しさと言ったら、先輩や同級生から本気で同情された程です。ただ、そうした中でも父からの愛情は感じていました。高校野球が終わった時には父にこう言われました。「お前もキツかっただろ、でも俺もキツかったぞ」と。これを聞いたときには、父の下で野球をやってて良かったなと思いましたね。
高校卒業の際、私は巨人軍にドラフト1位で指名されなければプロには行かないと決めていました。結果的には指名を受ける事が出来ず、東海大学に進学することを決めました。ただ、それでも自由競争になった僕のところに巨人軍のスカウト2名がいらっしゃいましてね。父は彼らとは会わなかったのですが、母と2人で面会をしました。そこで母が席を外した際に二人が囁くわけですよ。「もし原くんが入団してくれたら契約金はいくらだろうか」「今年ドラフト1位の彼が4000万円ですから、それ以上は払わなければいけないでしょうね」って。大人は怖いなと思いましたが(笑)、僕はやはりドラフト1位で巨人に入ると言う事を決めてましたから、それを聞いても気持ちが動じる事は無かったですね。
父親と共に!?大学へ進学。そして運命のドラフトを経て巨人軍へ
そんな事を経て東海大学に進学するわけですが、一つだけ計算違いがありました。私の進学が決まった後、父が「辰徳、俺も東海大学野球部の監督になるから」と言われましてね。さすがにこの時は「おいおい、話が違うだろ」と思いました(笑)。
<原辰徳氏プロフィール>
1958年7月22日福岡県生まれ。東海大学相模高校・東海大学政治経済学部を卒業後、1981年にドラフト1位で読売巨人軍に入団。1995年に現役を引退し、2002~2003年および2006~2015年にかけて同チームの監督を務め、セ・リーグ優勝を7回、日本一を3回経験。2009年には、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本代表監督としてチームを優勝に導く。2016年に読売巨人軍特別顧問および東海大学客員教授に就任。