初めて世界一周した日本人は仙台藩の船乗りだった 喋りで蘇る数奇な運命

【若栁誉美=宮城県塩竈市】初めて世界一周をした日本人は、仙台藩の船乗りだったーー。3月17日、大道芸人「ダメじゃん小出」さんのしゃべくりにより、“図らずも”世界一周をせざるを得なかった日本人たちの物語が蘇った。この企画は、作家・大島幹雄さんと1冊の古本との出会いから始まったもの。「これを物語にしなくては」と、大島さんが思ったという船乗りたちの数奇な運命とは。

「世界一周をせざるを得なかった」知られざる日本人の物語

宮城県石巻市出身の作家である大島さんは、荻窪の古本屋さんで手にとった一冊の本に紡がれた物語に魅せられた。「この本は、ここで買わないといけない。」と思ったそうだ。

時は江戸時代。仙台から東京(江戸)まで、コメを運ぶために船で出航した船乗りたち。その途中、福島県沖で船が流され、半年間漂流の末ロシア領に漂着する。その後、日本人の船乗りたちの一部はロシアの船で世界一周を果たすが、当時日本は鎖国の時代。ロシアは漂流民を届けようとしたものの、入国は許可されなかった。

石巻の人たちがロシアにいった、今まで知らなかった・・・。大島さんのお父様は鯨取り・・・当時大島さんもロシアと仕事をしていた。そういう縁もあって、これを物語にしなくては・・・と思ったという。

大島さんは同書を題材に、小説「我にナジェージダ(希望)あり―石巻若宮丸漂流ものがたり」を執筆。2012年から石巻日日新聞で連載され、2017年に自費出版で書籍化された。

ダメじゃん小出さん(左)と大島幹雄さん(NPOみなとしほがま提供写真)

即興の喋りで蘇る、市井の人々の歴史

この物語の語りを務めたのは、時事ネタを盛り込んだスタンドアップコメディを得意とし、関東圏で人気の大道芸人、ダメじゃん小出さん。エンターテインメントの世界で繋がりのあった大島さんからの「こういう話があるんだけど、語ってみない?」という誘いから始まった、若宮丸の物語。この物語をきっかけに、小出さんは東北へ足を運ぶ機会が増えたという。話の筋は頭に入っているものの、半分以上は即興で語っているとのこと。若宮丸の乗組員だけで、登場人物が16人もいるので、スライドを使って人物を紹介する一幕も。「いかにお客様のイメージを膨らませられるかがカギ」と小出さんは言う。

(NPOみなとしほがま提供写真)

全ての記録が残っているわけではない。船乗りたちの気持ちは大島さんや小出さんが想像で補ったものだ。筆者も小出さんの語りを聞きながら、当時の政治状況に翻弄された船乗りたちの気持ちを想像してみる。ロシアに留まった人・日本へ帰りたいという思いを胸に抱えたまま病気で亡くなった人、日本まで帰ってこれたものの、出島で半年も留め置かれて自殺を図ろうとした人・・・。

結局、漂流した船乗りたちが日本に帰ってこれたのは、仙台を出航してから約11年以上も後のこと。出港時は16名が乗り組んでいたが、日本まで帰ってこれたのは、たった4名。病死した者、そのままロシアに残った者もいた。

彼らは大きな志を持って世界一周に挑んだわけではない。世に名を馳せる英雄ではなく、私たちと同じ市井の人々だ。だからこそ大島さんも小出さんも、彼らに共感し、感情移入して、物語る。英雄の物語を学ぶのも面白いが、若宮丸の船乗りたちように私たちと同じの人たちの視点から、歴史や世界との関係性を学び直すのも面白い。

「歴史ものでこういった語りをするのは、新しいジャンル。今後も宮城県で上演を重ねて作り上げていきたい」と大島さんは話す。

『我にナジェーダ(希望)あり―石巻若宮丸漂流物語』は、ウェブサイトから購入可能(http://deracine.fool.jp/)。

当日のチラシ(NPOみなとしほがま提供)
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