【10yearsafter】土地の記憶とこれからを、絵でつなぐ 美術作家・佐竹真紀子さん

【安藤歩美】扉を開けて展示室へ入ると、すぐに一枚の絵に目を奪われた。一面に鮮やかな青が塗られた横幅3.6メートルのキャンバスいっぱいに、家屋や神社、小学校、バス、漁船に松林……ある集落の生活や文化がひとつひとつ、丁寧に彫られている。それらを目で追っていくうち、目の奥がじんわりと熱くなるのを感じる。

描かれているのは、津波で大きな被害を受け、今では居住が禁じられた仙台市若林区・荒浜の風景だ。しかし不思議だ。例えば荒浜小学校には、校庭で運動会を開く人々の姿がありながら、屋上に避難する人々の姿もある。海には津波で流されてしまった家々がありながら、海水浴を楽しむ人の姿も、クジラを地引網でみんなで浜辺に引くようすもある。400年以上の歴史を持つとされる荒浜の、昔のこと、震災のこと、現在、そして未来への想像が、同じ一枚の絵の中で繰り広げられているのだ。

「荒浜の人にお話を聞いているとき、時間軸が飛ぶことがあって。昔のことを聞かせてもらったり、今こんなことしてるんだよねって戻ってきたり、これからこうなってほしいよねというお話になったり。言葉で同じ場所の時間を旅するように行き来するその感覚がすごくいいなと思っていて、それを絵で表現したいと思ったんです」。仙台市内で個展「波残りの辿り」を開催中の仙台在住の美術作家、佐竹真紀子さんはそう話す。

仙台出身で、震災当時は東京の美術大学に通っていた佐竹さんは、2013年から仙台市沿岸部の荒浜を歩くようになった。当時荒浜に向かうためにバスに乗ったとき、「このバスは終点にはしばらく止まりません」という車内アナウンスが耳に残った。

「違和感があったんです。まちが流れて、別の避難所に移って、災害危険区域という呼び名がついて。街の人はもうそれが日常になっているんだな、と。その違和感に慣れたくない、私の中で深沼が途切れずにあったらいいなと思ったんですよね」

東京に戻り、意味を考えるよりも先に手を動かした。終点「深沼」のバス停を自分で作ってみたのだ。「作ってみたら、これがあるべき場所はここじゃない、と感じたんです」。佐竹さんは2015年、その「偽物のバス停」を荒浜の、元々バス停があった場所へ置きに行く。これがきっかけとなり、荒浜の元住民との交流が始まった。「偽バス停」の存在は好意的に受け入れられ、2016年には偽バス停の「深沼」が終点となるバスが一日限りで復活するイベントも開かれた。

佐竹さんが設置した「深沼」の偽バス停(2016年筆者撮影)
深沼の偽バス停が終点となるバスが運行するイベントも開かれ、元住民らがその風景を喜んだ(2016年筆者撮影)

佐竹さんは「偽バス停」を置いたことをきっかけに、元住民が荒浜に通って毎週末開いていたお茶っこや、地域を知るイベントに参加するように。そこでは昔の荒浜の生活のことや、これからこの場所がどうなってほしいのかということ―いま肉眼で見ることのできる荒浜の姿だけではない、伝承や、記憶の中や、想像上の荒浜の姿を聞くことができた。

冒頭の絵には、そうして佐竹さんが元住民たちから「聞かせてもらった風景」がたくさん描かれている。地区対抗の運動会があって、大人もスーツ姿で参加して全力で楽しんでいたこと。豊かな松林があり、貞山堀には船が行き交っていたこと。そして震災後もこの土地の文化を絶やすまいと元住民が始めた「里海荒浜ロッジ」「海辺の図書館」「スケートボードパークCDP」といった拠点や、3月11日に荒浜から一斉に風船を飛ばす「HOPE FOR project」といった、震災後に生まれた風景も盛り込んだ。

「『震災前』『震災後』って言葉をどうしても使っちゃうことがあるけど、本当はずっと地続きなもので、断絶せずにつなげる絵がほしいなと。土地を歩いて、彼らが話してくれたからこそ描けたもの。それを私はこんな風に受け取れたよ、と形に残せたらいいかなって」

11月から始めた個展には荒浜や蒲生など仙台市沿岸部に住んでいた人々も訪れ、絵の前で地域のことを懐かしそうに話してくれるのだという。「クジラが打ち上げられたときには、やぐらで住民みんなに知らせていたんだよ、とか、この絵に描かれていないことも教えてくれるんですよ。仙台の街中でも震災のことを喋りにくい状況になっている中で、話したり、考えたりする手がかりにもなれば、とも思います」

震災後に居住が禁止され、その土地がこれから誰に、どのように利用されるのかも決まっていない。そんなはざまの時間にあった荒浜に、佐竹さんのバス停は置かれていた。時が経つにつれ、区画整備が進み、道は変わり、防潮堤が建ち、新たな土地の担い手が決まってゆく。いま荒浜を含む仙台市沿岸部では、農園や大型体験型施設などの計画や整備が進む。

急速に移り変わる景色の中で、「これから新しく作っていく風景には似合わないだろう」と、佐竹さんは荒浜と蒲生に10カ所以上あったバス停を徐々に撤去するようになった。

「バス停を建てていたとき、それ自体が大事というより、そのバス停の周りにあった風景のことをたくさん聞いていたんです。その風景こそが自分が伝えたいことなんだろうな、と。色んなことに出会わせてもらった、見させてもらった分、描きたいことがいま、無限にあるんです。これからはそれをちょっとずつ形にしていけたらいいな、と思っています」

個展では、アルバムに「偽バス停」のある風景とその後が記されている
津波を受けた土地に豊かな松林が広がることを願って、松の苗木を育てていた男性を描いた絵

震災が起きたとき、東京で美術学生たちと「アートで何ができるんだろう」と、不安を持ち寄るように話していたことがずっと心に残っていると、佐竹さんは明かす。「震災直後の『どうするの?』みたいな問いの中を、ずっと回り続けているような感じが今もある」。そして、そのときに感じていた被災地との距離を、少しずつ縮めているのだ、と。

絵は「遅く生まれてくる」メディアだと言われている。「自分が考えるのに長くかかるからこそ、絵のような遅い手法がちょうど考える幅に合っているなと思っていて。でもそういう人は結構いるんじゃないかと思います。直後だから触れられなかったけど、どこかの時期に今できるなと思ったとき、言葉を描いたり絵を書いたりすることで整理されていくことが多いんじゃないかなと思っていて。急にではなく、ぽつぽつと、どこか片隅で生まれてくるんじゃないかな。そんな絵の遅さと、受け取り方の幅の広さみたいなものを、今は信頼してやっているところです」

佐竹さんの個展「波残りの辿り」は、12月27日(日)までの金・土・日限定で、仙台市青葉区大町の「東北リサーチとアートセンター(TRAC)」で開かれている。

▼佐竹さんの「偽バス停」についてはこちらの記事をご覧下さい

連載・10 years after】東日本大震災後、東北では震災の経験をきっかけに自分自身の生き方を見つめ直して進路を変えたり、新しい取り組みを始めたりした人が多くいらっしゃいます。そして10年目という時を経て、その思いや経験はいま、アート作品やプロジェクト、ビジネスなど多様な形で表現され、花開いてきています。震災後のこの地で何が芽生え、育ち、いま日本や世界にどんな影響を与えようとしているのか。全国に伝えたい東北の今を、東北の地から発信します。

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