【仙台ジャズノート】小さなまちでベイシースタイル ニューポップス

【佐藤和文(メディアプロジェクト仙台)】ジャズ音楽が最もジャズらしい点をひとつだけ上げろと言われたら「多様性」を上げることになります。米国ニューオーリンズで生まれて以来、ジャズ音楽はさまざまな音楽的要素を吸収したり、合体したりしながらその姿を変えてきました。そのためもあってあらゆる音楽的志向の人たちが「楽しい」と感じるポイントが必ず潜んでいるはずです。

一方、演奏する側にとっては、ジャズの間口が広い分だけ取り上げる曲の選択肢も多く、いわゆる「バンドカラー」を育てるのに苦労することにつながります。身近なジャズの現場に可能な限り足を運ぶようにしていると、一つのグループから伝わってくるメッセージが明瞭なケースと、そのバンドが目指している方向性がやや散漫な印象を受けるケースがあります。

ここで紹介するアマチュアのビッグバンド「ニューポップス」はバンドカラーがとてもシンプルに伝わってくる例です。宮城県の東南端、太平洋沿いにある山元町(やまもとちょう)を拠点に活動しています。昭和43年(1968年)、山下中学のブラスバンドOBが中心となって結成しました。以来、52年間、カウント・ベイシー楽団スタイルのビッグバンドジャズと、往年の人気ラテンバンド「東京キューバンボーイズ」のラテン音楽を目標としてきました。

ニューポップスの全体練習。毎週土曜日の夜に行われる
ニューポップスの全体練習。毎週土曜日の夜に行われる

ベイシー楽団はジャズの基本というべきスイングの形を親しみやすい選曲とアレンジで示してくれます。ニューポップスがベイシースタイルをどう追いかけ、どんなレベルで演奏してくれるかは、ジャズ入門編、ビッグバンド実践編としてもおすすめです。東京キューバンボーイズとの交流を土台とするニューポップスのラテンは、日本人にはなじみのある伝統的なラテンナンバーを数多く取り上げます。往年のジャズファンにとっては懐かしいはずだし、若い人にもジャズとラテンの融合の現場に触れてほしいものです。

毎週土曜の夜に行われる練習の様子を取材しました。個人練習が1時間、全体練習が2時間の組み立てでした。時間を無駄にしない、きびきびとした練習ぶりは社会人らしく好感が持てました。二手に分かれて個人練習で出す音を聞いていても、年期と気合いが伝わってきます。

ニューポップスの個人練習。全体練習の前に1時間みっちり音を出す。
ニューポップスの個人練習。全体練習の前に1時間みっちり音を出す。

メンバーは20人。代表(バンマス)以外に専任のコンサートマスターを置いています。平均年齢は60代半ばでしょうか。最近、女性や40、50代の参加も目立ち、毎秋、仙台で開かれる定禅寺ストリート・ジャズフェスティバルの紹介文で「じじいバンド」と自ら書いているよりは若い印象です。音大を出ているメンバーが2人いるそうです。

ニューポップスの全体練習は本番形式で

2011年3月11日に発生した東日本大震災の際、山元町では津波によって637人が犠牲になり、町の約40%が浸水しました。ニューポップスのメンバーも6人が家を流されました。それまで練習場としていた代表の自宅の土蔵も地震のために使えなくなり、町の施設を借用して活動を続けてきました。

ニューポップス代表、森久一さん(74)に聞く

―活動はいつから?

森:山下中学校(山元町)に初めてブラスバンドが出来たのが昭和34年ごろです。当時、ビッグバンドの人気が高く、華やかでした。OBさんたちが集まって昭和43年にニューポップスを結成し、昭和44年の正月にはビッグバンドスタイルでステージを踏みました。ずいぶん早かったですよね。山下中のブラスバンドは地方でもかなり早い時期に活動が始まっています。たまたま熱心な先生が赴任してきたこともあり、大変な情熱でした。

―ジャズのビッグバンドをやるうえで吹奏楽の経験は下地になりましたか?

森:いや、そうではありません。最初はポピュラーな曲をなんでもやりました。ラテンも歌謡曲も。47、48年ころになってブラスバンドがかなりの活況を呈しました。当時、力のあった仙台高校のブラスバンドにあこがれて、山下中学から仙台高校に進む生徒がいました。仙台高校の学内コンサートを聴きに行ったときに、仙台高校のブラスバンドのピックアップメンバ-でビッグバンドを組んでジャズを演奏していました。びっくりましたね。

-新しい人が入って現在に至っていますね。みなさん、出身は山下中学校ですか?

森:10年ぐらいはそういう形で活動したが、それ以降は、北は名取市、南は相馬市あたりから来ています。仙台のように人口が多い街と違って、いなかのまちでビッグバンドを目指すこと自体、物理的にも、人的にも難しい面があります。でも、われわれが活動をきちんとやっていれば、やりたい人は自然と集まってくる。そう思ってやってきました。

-活動拠点はずっと山元町ですか?

森:そうです。東日本大震災(2011年3月11日)まではわたしの自宅の土蔵を改修して使っていましたが、大震災で被害を受けました。メンバーも6人ほど家を流されました。ピアノを担当するメンバーはピアノを3台も流されました。奥さんもピアノを弾く人なので。あのときが本当に危機的な場面でしたが、それでも頑張って9月の仙台の定禅寺ストリートジャズフェスティバルには出ました。

-みなさん、どうおっしゃっていたんですか?

森:仕事が忙しいときとか、厳しいときほど、バンドをやることで解放感のようなものを感じますよね。東日本大震災は本当に未曾有の大災害でした。厳しい状況で、生きること自体が問われる場面になったわけですが、間違いなくバンドが救いになりました。気が紛れたこともあったし、精神的に救われたんです。だから活動を再開することにほとんど異論がありませんでした。この町でもたくさんの方が犠牲になりました。637人も町民が亡くなっているなかで、楽器なんかやっていて、ちゃらんぽらんのように見られないかと、そういう場面かというご批判もあったと思います。しかし、だからこそ気合をいれてきちっとやろう、聴いてくれる人たちのなぐさめにもなるだろうと考えました。

-ビッグバンド一筋ですね。

森:最近はビッグバンド単独、しかもジャズということになると、発表の場が限定されてきます。それでもジャズ一本で突き進むと「なぜ歌謡曲をやってくれないか」「民謡もやってほしい」といった声が出ます。そんな中で、多少苦労しながらジャズとラテンに限定してやってきました。それがバンドの個性になっているはずです。

-カウント・ベイシーのスタイルを追い求めてきた理由を教えてください。

森:ベイシーはジャズに入門するための基本中の基本と思っています。それをこなしたうえで、何とかしてデューク・エリントンまで進みたい。でも、それは事実上、極めて難しい面があります。「サド・メル」(サド・ジョーンズ&メル・ルイスオーケストラ)も、いい曲がたくさんあるが、同様に難しい。ベイシーの場合、多様な演奏スタイル、間口を持つので、一生懸命に取り組めば、ジャズの教科書に準じたような演奏ができるという魅力があるんです。ジャズの本当の基本-フォービート、スイングなどが一番はっきりした形で出ているバンドなので、いろいろ挑戦して他のバンドを手掛けても、最後はベイシーに戻る感じです。

若い人にはもっと別の選択があるかもしれませんね。それでもベイシーバンドの基礎的な要素はきっちり抑えなければならない。ビッグバンドとしての基本的な形があります。4・4・5の編成(トランペット4人、トロンボーン4人、サックス5人)とかね。それを除外してカウント・ベイシーは考えられません。基本的な形自体が避けて通れない一つのパターンとしてあります。若手はもっとロック調などがいいとかいろいろあっていい。バンドとしては、それは次の方々にお任せですね。

-今の若い人は伝統的なラテンの演奏に接する機会はあまりないのでは?

森:わたしたちのラテンは、東京キューバンボーイズの見砂直照(みさご ただあき)さんという、非常に高名な方と知り合いになったことから始まりました。見砂さんにも3度ほどきていただき、(指揮)棒も振っていただいた。そんな縁で、譜面自体、キューバンボーイズの譜面を使わせてもらっています。その意味で、うちのバンドにとっては恩人です。もうお亡くなりになりましたが、見砂先生のご指導を受けた縁を大事にしています。今でもステージのラストに2、3曲必ずラテンを入れることにしているんです。

-今後、ジャズをどのように演奏していきたいですか?

森:こういういなかのまち、小さなまちで、ジャズをメーンにして、しかもビッグバンドのスタイルでこれまでやってきたこと自体がわたしたちの誇りなんです。ジャズを聴いていただくための窓口、役割を担ってきたつもりですが、ジャズが本当に受けいれられたのかとか、これからジャズでやっていけるかについては、さほど自信があるわけではありません。ただ、わたしどものバンドの基本姿勢として、そうだったということでもあるし、繰り返して演奏の場を持ってきたことによって、何百人と人が集まる。ある部分で定着しているのだろうと思います。ちょっと難しいものを目指しながら少しずつレベルアップしてきたんですね。歌謡曲を演奏する道を選んでいれば、もっと簡単な譜面で演奏できることもあったでしょう。歌謡曲なら確かに聴衆にも受けたかもしれませんが、ジャズ音楽を目指すバンドマンとしては、おそらく続かなかったはずです。満足感はあまりない、でも、もうひとつ、今、力が足りなくてやれないことを少しずつ積み重ねながら同時に楽しみながらやることが大事。それが今日につながっているはずです。

-社会人の場合、仕事や家庭での役割があって、演奏活動を続けるのが難しいこともあります。

森:わたしたちのバンドでは練習に来なければ、演奏できない曲を(初めから)選んでいます。休んでばかりいたら、とてもやれるものではありません。本番だけさっときて、初見で演奏できるようなレベルでやっているつもりはありません。毎回、練習には14、5人は集まります。バンドとしての演奏行事も年間10回ほどあります。だから練習は必須です。年間の活動としては1月初めのコンサートで行事をいったん終わりにします。そこから半年間は行事をほとんど持たないで練習だけやります。練習は毎週土曜日。年末年始を除いて休みません。それくらいやっていないとワンステージこなせません。

【連載】仙台ジャズノート
1.プロローグ
(1)身近なところで
(2)「なぜジャズ?」「なぜ今?」「なぜ仙台?」
(3)ジャズは難しい?

2.「現場を見る」
(1) 子どもたちがスイングする ブライト・キッズ
(2) 超難曲「SPAIN」に挑戦!仙台市立八木山小学校バンドサークル “夢色音楽隊”
(3)リジェンドフレーズに迫る 公開練習会から
(4)若い衆とビバップ 公開練習会より
(5)「古き良き時代」を追うビバップス
(6)「ジャズを身近に」
(7)小さなまちでベイシースタイル ニューポップス
(8)持続する志 あるドラマーの場合

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TOHOKU360は、東北のいまを東北に住むみんなの手で伝える、参加型の"ニュースプロジェクト"です。経験豊富なメディア出身者で構成される「編集者」と、東北6県の各地に住む住民の「通信員」とが力を合わせ、まだ知られていない価値あるニュースを一人一人が自分の足元から発掘し、全国へ、世界へと発信します。

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