【10 years after】市民の手で、未来に伝わる震災の記録をつくる 佐藤正実さん

【安藤歩美】この10年近くの間、沿岸部の風景はめまぐるしく移り変わってきた。この前は通れたはずの道が、道が変わり通れなくなっていたり、山を削って作られた造成地に、新しい住宅地が生まれていたり。震災後に公園や野球場、校庭などの敷地に建てられていたプレハブの仮設住宅も解体が進み、高く土を盛った土地の上に、新たな商店街が建つようにもなった。「被災地」と呼ばれる場所に暮らしていても、私たちはそんな連続して変化してきたはずの風景たちを、覚えているようでいて、忘れていってしまう。

そんな風景を、震災直後から写真で記録し続けている人がいる。3.11オモイデアーカイブ代表の、佐藤正実さん。震災直後の3月にTwitterで宮城県各地の市民が撮影した写真を集めた佐藤さんは、10年が経とうとする今、当時写真が撮られた場所と同じ地点で写真を撮り、各地の移り変わりを記録している。震災の記録を、どう次の世代に伝えていくのか。その難題の鍵は「市民が使い続けること」にあるという。

震災当時と同じ地点から、10年目の今を記録する

七北田川の河口、多様な水鳥が集う蒲生干潟を擁する、仙台市宮城野区の蒲生地区。海に面する自然豊かなのどかな集落は、震災後は人の居住が制限された工業地帯に姿を変えた。

建設工事が進む巨大な防潮堤。その向こう側にある「日本一低い山」日和山の頂上で、佐藤さんはカメラを向けていた。震災直後に市民が撮影した写真を手がかりに、その地形や木の形、電柱の角度などから写真が撮られた場所を探し出し、同じ撮影地点に立って、現在の風景を写真に収める。

「 “震災の教訓”というと大きなものになりがちですが、それよりもっと身近な、自分の暮らしている身の回りの風景が震災のときどうだったのかを伝える術が、もうなくなってきている。それがまさに今、風化につながっていると思うんです。写真の形で残っていけば、体験者がそれを使って説明できるし、そうでない人も理解する元になる。だから、見えなくなっていく風景をとどめておくべきだろうと」

Twitterで届いた、生活者目線の震災の記録写真

東日本大震災の発災直後。仙台市内は停電が続き情報の入らない状況が続く中、Twitterでは安否情報や給水情報など、市民が身の回りの生活情報を多く発信していた。昭和の仙台の生活風景など、市民の撮った写真を保存・活用するアーカイブ活動を続けてきた佐藤さんは「これが貴重な記録になるかもしれない」と直感し、3月22日にTwitterで震災画像の募集を開始。その呼びかけに、これまでに3万枚以上もの写真が寄せられた。

「報道のような被害状況の写真よりも、炊き出しや給水のようす、コンビニでおにぎりが配られることを知らせる張り紙など、みなさんが日常で困っていることをそのまま写してくれていました。プロではなく、地元の人たちが協力してくれたからこそ、震災を生活者目線で伝えてくれる写真が届いたんです」

停電・断水下の食事のようすなど、生活者目線で震災を伝える写真が多く寄せられた(「3.11キヲクのキロク 市民が撮った3.11大震災 記憶の記録」より)

佐藤さんは届いた写真を元に4月、市民による震災記録のプロジェクトを始動。集まった写真を編集し、翌年3月に「3.11キヲクのキロク 市民が撮った3.11大震災 記憶の記録」として書籍化した。そして今、佐藤さんら「3.11オモイデアーカイブ」は当時市民が撮影した写真の「その後」を記録するために、宮城県各地を歩いて撮影地点を探し、現在の風景を写真に収めている。撮影地点がわからないときは、その土地を歩き、住民に話を聞きながら特定していく。

「生々しい被害状況の写真もあり、最初は写真を見せて大丈夫かな、という不安がありました。でも住民の方に写真を見せていると、自然と周りに人が集まってくる。女川や石巻でも、『俺の家はこの辺でね』と話したがる方々がいました。震災直後は仮設住宅の集会場などで話していたとしても、8年、9年と経つ中で、震災のことを語る場が少なくなっているのでしょう。思いを吐き出したい気持ちはみんなあって、それが写真を見た瞬間に噴き出してくるのを感じました」

左は3月11日、津波で水没した女川町中心部を女川町立病院(現女川町地域医療センター)から撮影した写真(女川町観光協会提供)。右は2020年10月14日、佐藤さんが同地点を探して撮影した現在の風景

気仙沼では、震災直後のまちの写真を見た住民がふと漏らした「懐かしいごだ」という言葉に驚きもあった。「その懐かしい、にはきっと二つの意味があって、一つは当時は生きるのに精一杯で、記録を取る暇がなかったということ。もう一つは、震災前のまちを感じ取れるからではないかと思うんです。震災の被害を受けたまちでは、元のまちが津波で一度破壊されて、その後に更地になって、まったく新しいまちができた。震災直後の写真には、まだ震災前のまちの名残が感じられたのかもしれません」

地元の人に話を聞きながら、写真が撮影された場所を特定する(佐藤さん提供写真)

写真に、人々の「記憶」のキャプションを付けていく

写真をもとに、人々の会話が生まれ、その人の胸にしまわれていた経験や思い、記憶が語られていく。佐藤さんの活動の目的は写真を記録することだけでなく、こうして写真を通じて震災を経験した人々の生の言葉――多くの「キャプション」(写真説明)を引き出していくことにある。

「写真を見せるとその人の記憶が蘇り、語ってくれる。写真とともに、その言葉たちをキャプションとして記録していく。そのキャプションを未来の人が読んだときに『これはよくわからないけど、これならわかる』と一つでも共感できるものがあれば、自分が経験していない震災のことも、自分ごとのように想像できるようになると思うんです。だからこそ、市民が撮った身近な写真や、当時の生活を物語る言葉が生きてくる。そうしたキャプションをたくさん作り続けていくことが、この活動の目標なんです」

佐藤さんは写真を入り口に、市民が震災を語り合える場づくりを数多く企画してきた。仙台を中心に他県でも開催された「3.12はじまりのごはん」は、震災翌日に食べたごはんの写真をもとに、参加者それぞれの経験や記憶を語り合うというもの。仙台の荒浜や蒲生で開いた「3.11オモイデツアー」は、元住民たちと震災前の写真を見たり実際に歩いたりしながら、交流を通じて震災前の生活や文化を知ることができる体験ツアーだ。

「『10年』という言葉が一人歩きしてしまう時期。ハード面での復興は一丁上がりでも、人の心は一丁上がり、にはならない。人それぞれの時間の流れがあり、グラデーションがある。だからこそ、語る場が必要だと思うんです。写真はその一つのきっかけになる。そしてそこで語られた言葉は、のちに貴重な記録にもなるはずです」

震災翌日のごはんの写真を見ながら、震災当時の生活について思い出したことや経験を付箋に書いてみんなで語り合う「3月12日はじまりのごはん」(協働/せんだいメディアテーク、3.11オモイデアーカイブ提供写真)
元住民らが震災前の写真を見ながら暮らしの思い出を語り合う、3.11オモイデツアーの「オモイデを語る会」(佐藤さん提供写真)

アーカイブは、タイムカプセルに入れてはいけない

「アーカイブはタイムカプセルに入れてはいけない」というのが、佐藤さんの信念だ。かつて三陸を襲った大津波の伝承を私たちが受け取れなかったのは、記録を記録のままにして「使ってこなかったから」だと、佐藤さんは話す。今を生きる私たちが記録し、語り合い、記憶を言葉にして共有する。3.11オモイデアーカイブはそんな機会を生み出し続けることで、写真記録を現代で活用しながら、人々の経験や記憶を未来へ繫いでいこうとしている。

「これからはもっと若い人にもたくさん活動に加わってもらって、より関わりしろを広げていきたいですね」。震災前と変わらず穏やかに水面が光る蒲生干潟と、建設工事が進む巨大な防潮堤との境界で、佐藤さんは前を向き、そう微笑んだ。

3.11オモイデアーカイブ
http://sendai-city.net/omoide/

連載・10 years after】東日本大震災後、東北では震災の経験をきっかけに自分自身の生き方を見つめ直して進路を変えたり、新しい取り組みを始めたりした人が多くいらっしゃいます。そして10年目という時を経て、その思いや経験はいま、アート作品やプロジェクト、ビジネスなど多様な形で表現され、花開いてきています。震災後のこの地で何が芽生え、育ち、いま日本や世界にどんな影響を与えようとしているのか。全国に伝えたい東北の今を、東北の地から発信します。

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