【写真と詩の連載】もうちょっと後で光って #10

仙台在住の詩人・武田こうじさんによる写真と詩の新連載「もうちょっと後で光って」。TOHOKU360にて2020年5月より、週末に掲載しています。

子ども頃、カレーライスというのは「みんなが好きなもの」というとてもざっくりした人気メニューだったように思う。実際、友だちもカレーライスが好きなやつは多かったし、友だちの家で遊んでいて、「ごはん食べていきなさい」ってなるとカレーライスが出てくることが多かった。 というか、ここまでカレーライスと書いてきて、なんとも面倒なので、ここからはカレーにしたいと思う。言葉自体は「カレーライス」が好きだけど、「ライス」という言葉は、ぼくの書くリズムに合わないような気がする。

話を戻そう。子どもの頃、ぼくはカレーがあまり好きではなかった。嫌いではない。だけど、積極的に食べたいと思っていなかったし、「今日、カレー」だよと母に言われると、テンションが下がった。なぜだろう。子どもの頃、その理由をよく考えた。嫌いではないけれど、どうしてあまりうれしくないのか、そんなことを考えていた記憶がある。で、答えは出ないまま、ごはんになってしまい、しかも、おかわりをしないと気まずいので、おかわりもした。次の日の朝もカレーが出た。だけど、それはうれしかった。なぜか、武田家は「朝はパン」と決まっていて、それが、ぼくはほんとうに嫌で、朝はごはんに味噌汁、納豆というものに憧れていた。でも、父にそれを言うと、とても怒られたのだ。「パンを食べろ」と。こうしたことに正当な理由などはなく、理不尽な怒りをぶつけられた。だけど、カレーの次の日だけは、ごはん、というかカレーが許された。しかも、父もカレーを食べているので、安心して食べることができた。で、その時に思ったのは「朝はうれしいのだから、夜ごはんにカレーが出ることが嫌のではないか」ということだ。

そうした記憶というか、考えたことというか、はどこかに残っているのだろう。夜にカレーを食べることが今でも苦手だ。あと、これは大人になっていくにつれて、思ったことなんだけど、自分でつくるカレーは嫌ではないのだ。もちろん、これは「自分でつくるカレーが一番おいしい」とかではない。実際、かなり適当につくる。だけど、なぜか、それは嫌ではないのだ。もしかしたら、カレーという食べ物にあまり気を使いたくないのかもしれない。自分勝手につくり、食べたい時に、食べたいと思う方法で食べたいのかもしれない。カレーって、なぜかひとりで食べたいのだ。なので、カレーのおいしいお店が話題になって、「今度行こう」となっても、あまり乗り気になれず、「そうだねぇ」って感じでごまかしてしまう。これもはっきりした理由はなく、ぼくの勝手な思い、というか、思い込みなのかもしれない。

そんなぼくがカレーに対して、考えが変わったのが、教師をしていた時だ。ぼくは中学校の教師を短い間だったけどしていて、担任も持っていた。そして、そのクラスは1年生だった。1年生というと、やはりまだ無邪気で、給食もよく食べるし、女子もおかわりをしていた。で、やっぱり、人気の献立はカレーだった。最初「カレーかぁ」と思うと、ぼくのテンションはあがらなかったけど、カレーの日のみんなはテンションがすごく、よく食べるし、おかわりも激戦で、ついついこっちもテンションがあがり、だんだんカレーの日が楽しみになっていった。

そんなある日、こんなことがあった。とある2年生のクラスの先生から「最近みんな給食あまり食べないんだよね。しかも、今日調理実習あるから、かなり残すことになりそう」と言われた。で、確認すると、その日の献立はカレーで、ぼくのクラスは欠席がいない・・・ということで、「えっ、じゃあ、もらいに行っちゃってもイイですか?」「ほんと、かえって助かる。来て、来て」・・・ということで、こっそりカレーをもらいに行く隊を結成して、そのクラスにもらいに行き、みんなでものすごい量のカレーを食べたのだった。こうして書いていて思うんだけど、きっと、今はそんなことできないよね。世の中的に。いろいろ言われたりして。でも、その時はそんなことが学校の中でもけっこうあった。そして、それはとても楽しかった。教師をしてから、ぼくはカレーが好きになった。というより、カレーをみんなで食べることが楽しかった。ということは、ぼくにとってのカレーはひとりか、みんなで食べるものなのかもしれない。

先日、ぼくが関わっている『ふうどばんく東北AGAIN』のカフェが再開した。ぼくも手伝っていて、その日のメニューはカレーだった。つくるのはぼくではないけれど、盛り付けたり、ウエイターとして運んだりしていた。『ふうどばんく東北AGAIN』のカフェは学校の机といすをつかっているので「そういえば」と、教師をしていた頃のことを思い出してしまったのだ。その時からはかなり時間が経っている。あの時13歳だったみんなも、もう40歳近い。きっと、どこかで誰かにカレーをつくったり、誰かのカレーを食べたりしているのだろう。もしかしたら、自分の子どもの給食のカレーの話とかを聴いたりしているのかもしれない。

こんなこともあった。いつも遊んでいる小学5年生の男の子がいるんだけれど、ふとしたらことから、一緒にぼくの実家に行くことになった。遊んでいると、いつの間にか時間が経ち、母が「ごはん食べていかない?」って聞いてきた。「食べる」ってなって、出てきたメニューはカレーだった。母のカレーを食べるなんていつ以来だろう。そして、となりには小学生がいる。なんとも不思議な気持ちだった。そして、母のカレーはぼくの子どもの頃より、ちょっとアップデートされていて、カレーの上に野菜の素揚げが乗っているベジタブルカレーだった。となりで食べている子がぼくに「ナス、食べて」と言って、ぼくのカレーの上に揚げたナスをに乗せてくる。「カボチャは食べれるの?」と訊くと「うん。大丈夫」と言って、まずはそのカボチャだけ食べて、母がいる台所に走っていって「カボチャだけ、おかわりください」と母に言った。母は「カボチャだけ?」と聞き返した。「うん、カボチャだけ」「いいよ。いっぱい食べて」。子どもって、やっぱり、すごいなぁと思って、なぜか、ぼくは泣いた。

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