台風19号から一カ月 寒さ忍び寄る宮城県丸森町で続く苦闘

10月12日夜、東北地方を広く襲った台風19号の豪雨水害から1カ月。被災当時、阿武隈川河畔の街が丸ごと水没したような惨状となった宮城県南部の丸森町を11月10日、東北工業大教授の大沼正寛さんと訪ねた。(文・写真 寺島英弥)

大木や土砂の山が積もる五福谷川周辺

中心部を浸した茶色の水はこれまでに排出され、泥のかき出し、清掃を終えて再開した商店や食堂もある。だが、通りにはいまだ多くのシャッターが下ろされ、人影はまばらだ。中心部の東南を流れ、12日夜に大氾濫した五福谷川(阿武隈川支流)は元の小さな河道に復したが、土手に沿った家々の周りには厚い泥が残り、水田も見渡す限り泥に埋まっている。

元の河道に復した五福谷川と泥に埋まった田んぼ

丸森町内では阿武隈川支流の五福谷川、内川、新川の計18カ所で破堤したと報じられた。町の南に向かう45号線は不動尊キャンプ場付近から通行止めと聞き、五福谷川をさかのぼる道に向かうとすぐ、上流から根こそぎ運ばれたと思われる大木や、土砂の山が両岸に堆く積ってきた。

中心部から約2キロの地点にある五福谷橋。橋の北西側のたもとが2メートル近い落差で崩れ落ち、土手もコンクリート護岸も激流でとえぐり取られ、たもとにあった2階建ての商店が沈み込むように傾いている。

「山津波」に襲われた筆甫地区

10月12日に上流部の筆甫地区では、12時間で517.5ミリもの降水量を記録。その雨の塊が激流となって川を下った。五福谷橋は木々の残骸や土砂で蓋をされ、渦を巻くように激流があふれたのだろう。対岸の家々は無数の流木と土砂の山に埋もれ、さながら2011年3月11日の津波被災地の惨状をほうふつとさせた。「だから、山津波というんだ」と地元の人が力なく語った。

大きく迂回した道をたどり、土砂崩れの現場をいくつも見ながら、山間の筆甫地区に着いたのが午前9時過ぎ。集落の一軒の家が倒壊していた。訪ねた農家の主人は「12日の夕方、早くから仲間と集会所に寄って住民の安否確認電話をしており、6時ごろ1度家に戻ったところ、裏山から土石流が押し寄せた」。飲料水にしていた沢をたどった土石流は、自宅の母屋をそれ、養蚕施設の端の部分を直撃。シャッターを壊し、施設内に泥をあふれさせた。

前日の土曜日から地元や仙台からボランティアが泥のかき出し作業に駆けつけ、この日も17人がスコップを手に、粘着するような重たい泥と格闘。一時孤立状態だった集落へはボランティアの来援も遅かったが、「おかげで大分はかどった」と主人は笑顔を見せた。

筆甫地区からの帰り道にも、濁流で橋のたもとの土がえぐられ、護岸が空洞になったり、めちゃめちゃに破壊されたりした現場を見た。

土砂に埋もれた天神様の鳥居 中島地区

さらに下り、五福谷地区から近い中島地区では、内川から氾濫した濁流も流れ込み、12日午後6時半ごろには高さ1メートルほどの浸水があったと現地で聞いた。

この地区の被災風景もすさまじく、田畑であったろう広大な泥の中に車が横倒しで埋まり、天神様の赤い鳥居が土砂の山から顔を出していた。大震災の跡に広がった土色の荒れ野を思い出させる風景に、家々が浮かんでいるようで、その1軒1軒で高校生を含めた大勢のボランティアが懸命に家族を手伝っていた。

寒さ忍び寄る中つづく苦闘

それでも、人の手はまだまだ足りず、集落や農地、産業、暮らしにどれほど時間が掛かるのか想像もつかない。町役場のそばに、運び込まれた災害ゴミの巨大な山ができていた。それらの一つ一つが住民たちの家財やかけがえない品々だ。「町内で総量19000トン」という発表に、他の自治体から処理支援の申し出が届いているが、数字では表せない町民の暮らしと思い出の山、無念に消えゆく歴史の山に見えた。冬の寒さが忍び寄る中、町の人々の苦闘は続いている。

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