【寺島英弥=宮城県丸森町】10月12日の台風19号の豪雨水害に遭った宮城県丸森町の被災地の状況を、先月12日の「TOHOKU360」でお伝えしました。8年前の津波被災地の光景を思い起こさせたのが、同町中島地区です。五福谷川と内川からの大水は深さ1・5メートル近くに達して家々に浸水し、広々とした田畑は見渡す限り泥と流木に埋まり、道路脇に積もった土砂は小山のようで、その中に民家が孤立していました。
そこに、中島天神社という赤鳥居の小さな神社があります。鳥居は土砂に半ば埋もれ、古い社は流木と杉木立に挟まれて、ひしゃげたように倒壊しかけていました。地元の鎮守である中島天神社には、町のシンボルである、もう一つの神様がまつられてきました。「猫神」です。お聞きになったことはありますか?
養蚕の守り神として広まった「猫神」信仰
丸森町は江戸時代から養蚕が盛んで、明治には佐野製糸場という大きな工場が創業し、昭和40年代まで2000戸以上の養蚕農家があって、生産量は県内一を誇りました。
昔から蚕の天敵はネズミでした。その害に悩まされた農家にとって頼みの綱は、ネズミの天敵のネコ。「神にすがるような気持ちでネコを飼い、それがいつか養蚕の守り神になった」と語るのは、15年前から猫神を調査してきた民族研究家、石黒伸一朗さん(61)=村田町歴史みらい館専門員=。これまで丸森町で81基もの猫神の石像、石碑を見つけました(猫神信仰は宮城、福島、岩手に広がりましたが、石像、石碑の確認数は丸森町が断トツ)。
丸くなったり、背を伸ばしたり、寝姿だったり、リアルな可愛さは建立主の愛情を伝え、それらを巡り歩く「猫神ツアー」が人気を呼んだり、猫神にちなむ名物お菓子もできました。
台風被害受けるも、無事掘り出された「猫神」
中でも最古の猫神が、文化7年(1810年)と奉納の年が刻まれた中島天神社境内の石像です。その天神社が被災し、猫神は果たして無事だったのだろうか-と石黒さんは気が気でなく、10月に2度現地を訪れましたが、水や泥に阻まれて確認できないまま。
「最古の猫神が流失」とも報じられましたが、3度目の挑戦となった先月10日、「ようやく乾いた厚い泥にスコップで挑み、40センチ下から猫神を掘り出すことができた」。こびり付いた泥を水で洗い流すと、くるりと背中を丸めた元の姿がよみがえりました。
中島天神社のすぐ近くには、丸森町産の桑の葉と生糸を織り混ぜた「シルク和紙」(桑絹紙)の県内唯一の作家である舩山達子さん(68)の工房があります。そこもまた被災しましたが、舩山さんはボランティアや応援する仲間たちから励まされ、再起を目指しています。大水から生き延びた丸森町の守り神、猫神が町の養蚕文化の復活を見守ります。