25日から26日未明に降った大雨で、台風19号の被災地ではわずか2週間後に再び水害に襲われ被害が拡大する「二重被災」が起きています。福島県相馬市出身で元河北新報編集委員のローカルジャーナリスト・寺島英弥さんが、二度の大きな水害を受けた故郷・相馬市の人々の今を伝えます。
二重被災に襲われた故郷の悲鳴
10月26日の土曜は、もともと南相馬の身内の法事があり、朝に郷里相馬市の実家に寄る予定でした。台風19号豪雨で市推計2993戸もの住宅浸水が起きた12日夜から、わずか2週間で水害が再来するとは、誰が予想していたでしょう。相馬では25午後〜26日未明の大雨が、12時間降水量で229ミリと、わずかな時間で10月の平年値を超え(同月の観測史上最大)、「まさか」の事態が起きました。まして、被災した家々、店々で家族総出の片付け、復旧がようやく進んださなかに。災害の少ない地方だった古里が、初めて体験する「二重被災」の信じがたい朝の光景がありました。2011年の東日本大震災から数えれば「三重」と言えるかもしれません。
中学校の同級生たちのLINEグループに、「また来たよ、水」とのメッセージが載ったのは25日午後10時14分。確かに同夜、福島、宮城に低気圧通過による大雨警報が出ていました。筆者の仙台南郊の自宅で強い雨音を気にしつつ、まさかと思いながらLINEをのぞくと、「うちも、もう少しで床上」「前(12日夜)より凄い」「いま2階で退避してます。(外は)完全に回り川状態」「やっと泥片付けたばっかりだったのに」「災害ゴミをやっと処分したばかりだったのに!」と悲鳴が続いていました。
新たに被災地が広がった
26日朝のTVニュースはまだ被害の情報が少なく、焦る気持ちを抱えて常磐道から相馬の中心部に入ると、JR相馬駅に近づくにつれて道路脇に土砂や藁くずが増え、放置された車が現れ、12日夜に深刻な浸水被害を免れた北部の通りが泥で埋まっていました。前回は街の南を流れる宇多川の水が氾濫しましたが、今回は北の小泉川があふれたと聞きました。新たに被災地が広がったのです。
道路の泥の厚さは10センチ近くあり、車の通行も難儀なほど。通りを川のようにした濁流のすさまじさが目に浮かびました。家々は総出の泥かきに追われ、積まれた泥の壁が連なりました。通りで花屋を営む友人は「浸水があっという間に水かさを増し、商品の半分をやられた」と嘆きました。
家の清掃も「一からやり直し」
通りから東にある旧国道6号沿いも小泉川からの濁流にのまれ、近隣のスナックや医院の前にはソファの山ができていました。2週間前に床上浸水を経験した別の友人は、一睡もできなかった顔で語りました。「家の一階の片付けと清掃に明け暮れ、水で重くなった畳を(災害ゴミに)出し、床下の消毒をし、本来はきょう、床にフローリングをするはずだった。一からやり直しだよ」
やはり小泉川から近い相馬駅では前夜、「上下線のホームの間が「川になって流れていた」との話を聞き、駅前から延びる商店街も新たな被災地の風景となって、片付けをする大勢の人の姿が遠くまで連なり、「高齢だと廃業を考える店も出てくるかもしれない」という懸念の声も聞かれました。
東日本大震災から立ち直った街の人々にとって過酷な打撃に
これだけの規模の水害は60年前の伊勢湾台風以来といいます。が、わずか2週間を挟んでの「二重被災」は誰も経験したことがなく、大きな衝撃を残し、「こんな水害がこれから先、当たり前のように起きるのか」と嘆息をつく友人もいます。2011年の東日本大震災、福島第一原発事故から――多大な犠牲と風評被害から――かろうじて立ち直った街の人々には余りに過酷な打撃。今回の豪雨被災地は福島、宮城の各地、茨城から千葉まで広がり、災害ボランティアの来援もいまだ少ない中、それでも多くの住民は家族や近所、身内の助けで疲れた心身を支え、「また一から」の復旧へ自らを奮起させようとしています。
筆者にとっては偶然の巡り合わせの朝が見せた、未経験の郷里の現実。自分にできることは何なのか、と思い悩みつつのリポートでした。