【ひとりあるき】亘理町に眠る「伝承」を訪ねる春の旅

黒田あすみ】記者は、好奇心の赴くままにひとり歩きするのが好きです。面白い発見をしたり、嬉しい出会いがあったり。些細な疑問から、芋づる式に増えていく知識も楽しい。たまの遠出はもちろん、日常のそこかしこにも心満ちる寄り道は散らばっている、そんな暮らしの記録をお届けします。

今回の舞台は宮城県亘理郡亘理町長瀞坂下(ながとろさかした)のとある山です。

江戸時代から桜の名所。戊辰戦争の出陣の地にも

寄り道のスタートは「稲荷山農村公園」の看板から。まっさらな気持ちで、傾斜のある遊歩道を奥へ奥へと登っていきました。すると、この道の先は“町の伝承”の宝庫だったのです。

急な坂道も舗装されているから歩きやすい
2~3分登ると、平地と桜の木が見えてきた

この丘陵一帯はかねてより桜と古木に恵まれたため、江戸時代は花の名所として賑わったそう。また、亘理伊達家は練兵場として弓場や馬場を設け、戊辰戦争では、侍たちがこの地で陣を整えて出陣したといいます。

画角におさまらないほど立派な枝ぶり

小野篁と黒狐の伝説が残る「尊久老稲荷神社」

桜の木の下に鎮座しているのは「尊久老稲荷神社」。元々は“尊久老(そんくろう)”ではなく“総黒(そうくろ)”の字が当てられていました。

趣がある佇まいの本殿

創建は古く、平安時代前期・西暦842年までさかのぼります。

朝廷の役人だった小野篁(おののたかむら)が、陸奥国司として国府(現在の宮城県多賀城市)へ赴任するべく磐前郡(現在の福島県浜通り南部)を通過していると、一人の子どもが現れて地方の風土民情を説きだしました。

「これは良し」と道案内を頼んだ小野篁と子どもは、共に北上していきます。すると、亘理長瀞へ差し掛かったところで子どもは「余の住処はこの深山なり」と語り、たちまち黒狐に姿を変えて消え去りました。黒狐に恩義を感じた小野篁は、のちにここへ小祠を建てて祀りました。

参考:宮城県神社庁「尊久老稲荷神社」亘理町HP「文化財をめぐろう!」尊久老稲荷神社

つまり「尊久老稲荷神社」とは「総黒狐神社」だったのです。

小野篁は時代を先ゆく副業ワーカーだった!?

小野篁は、遣隋使として知られる小野妹子の子孫。漫画『鬼灯の冷徹』では彼をモチーフとするキャラクターが登場し、アニメ『おじゃる丸』の主人公のモデルとも推測される人物です。

役人でありながら武芸にも秀で、漢学者、歌人、書人としても博識多才。平均身長150センチメートルの時代に188センチメートルの長身。様々に人間離れをしていたが故か、“地獄の閻魔庁でのお勤めも兼務していた”という逸話が残されています。

三段目のみ自然石なところが気になる

反骨精神が強く、奔放で型破りな性格から“野狂(やきょう)”とアダ名された小野篁。昼はこの世で朝廷に仕えて、夜はあの世で閻魔大王の采配のサポートをしていたのですから、ふと黒狐が姿を現しても不思議ではないと感じますね。

木彫りの狛狐?の表情がとても愛らしい

竹駒神社まで繋がっている「きつね穴」がどこかに?

日本三大稲荷のひとつで東北を代表する「竹駒神社(宮城県岩沼市稲荷町)」は、「尊久老稲荷神社」と同じく小野篁が西暦842年に創建。この地には白狐の伝承がありました。

陸奥国へ旅立つにあたり「京都伏見稲荷大社」へ参拝した小野篁は、「五穀豊穣・商売繁昌のご利益がある稲荷明神を、陸奥国を護る神とする」よう懇願しました。その真心に感動した稲荷明神。分霊を白狐へと姿を変えて小野篁の元にやってきます。

共に京を出発した道中で突如、八声啼き声をあげた白狐は森へ駆け込み、そのまま姿を隠しました。そこで“御神意にかなう森の地”へ、小野篁は、稲荷明神を主祭神、白狐を神使いとする「竹駒神社」を建てて祀りました。

参考:竹駒神社HP

白狐と黒狐は両社創建の由来から“夫婦”といわれ、両社を繋ぐ「きつね穴」がどこかにあるとも。「尊久老稲荷神社」本殿南側の斜面に建つ境内社が、それではないかと伝えられています。

狐をかたどった陶器など神具が供えられている

桜の古木が生い茂る、かつての賑わいの面影

さらに境内の奥はもう、ちょっとした獣道。頭上を覆うかのごとく満々開に咲き誇る桜の木々からは、花の名所として賑わった江戸時代の面影が偲ばれます。

さながら異世界へのトンネルのよう

山で自生する桜の古木は力強い。それは、整然と植樹された桜並木とは異彩を放つ美しさです。鳥の鳴き声が響き、清風が通り抜け、植物と空が調和している。ジーッと立っていると、まるで自分も自然の一部に溶け入れたような心持ちがしました。

何本もの枝が折り重なった桜のアーチ

しばらく進むと味わい深い東屋が登場。その周囲を様々な樹種が彩り、華やかな一角になっています。実はここまで、記者が歩いた距離は150メートルほど。まだまだ元気だったのですが、造作の格好良さや天然木の日焼けした風合いに吸い寄せられて、つい一休みしてしまいました。

ふぅ。一息つこう

「癒しよね。せめてもの、ね」

桜の枝先を見上げていたら、対面から年配のご婦人が。挨拶を交わしたところ、互いに亘理町の同地区に住まうご近所さんでした。雰囲気が和らぎ、ご婦人が自身のこれまでを語りはじめます。

天に向かって咲く桜の花

「これまで一緒に来ていたけど、どうも主人の体調が良くなくて。でも、私ひとりで来ちゃった!」とおちゃめに微笑むご婦人。「震災前は山元町にいたけれど、津波で全部流されちゃったから。もう戻ることはないし、こっちへ引っ越してきたの。それからは桜を見に足を運んでいて、今年はなんだか咲くのが早いみたい。癒しよね。せめてもの、ね」

農作業の時を告げる「種まき桜」

「良い写真を撮ってね」と温かいお言葉を頂戴して、ご婦人とはここでお別れ。歩みを進めると次第に空間が広がり、一際大ぶりの桜の巨木が待っていました。樹齢は不明ですが150〜200年は経つとみられ、樹高約17メートル・根回り約4メートルにも及びます。

遠目に「これはご褒美だ」と思った
背景に、太平洋の水平線を望む

この木はエドヒガンザクラという野生の樹種で、その特徴が“地域の風習”になっていました。

この近隣では最も早く花が咲き、ソメイヨシノよりも早い開花の時期が、稲の種もみを蒔くベストタイミングと重なります。

さらに高台で大きく育ち、開花の様子が遠方からも見通せたことから「種まき桜」の愛称がつけられ、長く住民たちに愛されてきました。

参考:亘理町「ぶらっとわたり」HP
太い幹からは新たな枝葉が芽吹いていた

隣に建つ鳥居には「尊久老稲荷神社」の文字が。鳥居は“神の聖域と人々が暮らす日常との境界線”なので、ここが「尊久老稲荷神社」の入口。そう、つまり、本来の経路を逆行していました。なるほど、ご婦人と対面ですれ違うわけです。

「尊久老稲荷神社」と彫られた鳥居と「種まき桜」

先に帰路についたご婦人が、車窓からバイバイと手を振ってくれました。「来年も来よう」と心に決め、記者も両手を頭上にかかげてバイバイ。ゴールテープのごとく鳥居をくぐって、大満足のひとり歩きは幕を下ろしました。

国道6号線からほど近く、気軽に足を運ぶことができる

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