「絶対に秋田に帰ってくるもんか」と思った上京から、 男鹿市へUターン。クラフトサケ醸造所「稲とアガベ」で働く遠田葵さんの選択

福地裕明】「就職で東京に出るときに、『絶対に秋田に帰ってくるもんか』と思ったし、まさか男鹿に移り住んで、土をいじる(農業をする)とも思いませんでした。いまだに今の暮らしは夢なんじゃないかと思うこともありますよ」と話す遠田葵さん。秋田県男鹿市のクラフトサケ醸造所「稲とアガベ」のマネージャーだ。

もともと同じ県内の湯沢市出身の彼女。一度は東京に就職したものの、Uターン(Jターン)で2021年秋から男鹿で暮らしている。なぜ男鹿に移り住もうと思ったのか、そしてこれからどんな人生を送ろうとしているのか、根掘り葉掘り聞いてみた。

クラフトサケ醸造所「稲とアガベ」に併設するショップ兼レストラン「土と風」の前で

ひとことで言えば「マネージャー」なんだけど…

J R男鹿線、旧男鹿駅舎をリノベーションした施設が、葵さんが勤める「稲とアガベ」だ。醸造所のほか店舗兼レストラン「土と風」が併設されている。

「クラフトサケ」とは、日本酒(清酒)の製造技術をベースに、米を原料としながら従来の「日本酒」では法的に採用できないプロセスを取り入れた、新しいジャンルのお酒のこと。たとえば、「どぶろく」や、フルーツやハーブなどの副原料を混ぜるなど、米を原料としながらも日本酒のルールに縛られない自由なお酒のことを指す(「クラフトブリュワリー協会」の定義より)。

旧男鹿駅の駅舎をリノベーションしたクラフトサケ醸造所「稲とアガベ」

「特にこういう役割だと明確に言える仕事はないですね」と葵さんは笑う。店舗での接客に、経理のサポート、はたまた店舗全体のタスク管理にイベント出店の企画・準備などなど、枚挙にいとまがない。

「ここ(稲とアガベ)に勤めるようになったことで、滅多に会えないような方々に会えたり、さまざまなコラボイベントができたりしたことは刺激的でした。(社長の)岡住(修兵)さんは『何でもやっていいよ』とやりたいことをやらせてくれます。…その分忙しさはありますけど」

今年は8月に男鹿で、7月、10月には東京で比較的大きなイベントを開催したこともあり、その企画運営にてんてこ舞いだったそうだ。

2022年10月に東京・下北沢で開催したクラフトサケイベント「猩猩宴(しょうじょうえん)」(写真中央、赤いTシャツを着ている方が「稲とアガベ」岡住社長)

そんな状況ではありながらも、「公私混同しすぎていて働いている感じがしない」と語れるぐらい、仕事とプライベートの垣根がなく毎日が充実していると葵さん。アクティブな印象が強めではあるが、意外にも、元々は自己肯定感が低く、どちらかといえば周りに流される性格だったそうだ。

自己肯定感が低い自分と、外からの評価のギャップに戸惑う日々

「ずっと、『自分なんて…』が口癖で、その後にネガティブなワードを続けてました」と葵さん。周りの友人らからも「言わないほうがいいよ」と言われていたらしい。

高校では「これ以上勉強するのはイヤ」と就職を志望。親や学校が決めたことに従い、良い企業に入れるようにとそれなりの成績をおさめ、部活動にも力を入れ、クラスでは学級委員長も務めた。その甲斐あって、老舗和菓子屋に就職が決まり、秋田を離れることになった。

ところが、上京し仕事に就いた途端、自分を見失った。高校まではテストの結果や内申点といった成績で「立ち位置」がわかる。が、社会に出るとそんな評価軸は一切なくなる。「自分に何ができるのかという『モノサシ』がなかった」と、親や学校など周りの評価を気にしてばかりで、敷かれたレールに乗った結果、自分の「意思」がなかったことに気付かされた。

一方で、「できているとは思っていない」のに職場では評価された。都合7年間勤めた和菓子屋では、入社4年目から副店長を任された。「ちゃんとしているように見えたんでしょうね。いつも実年齢よりも上に見られていて、無駄に貫禄があったんだと思います」

上顧客が集まる老舗百貨店などで接客を学び、上司から「そろそろ店長に」と昇進をほのめかされたとき、違和感を覚えた。「ここが好きで就職する人が多いんですが、私はそうじゃなかった。自分の時間を割いてまで会社(店舗)のことを考えられない私が店長になったら、下につく人たちは気持ちよく働けないだろう」と考えるようになり、「ここにはいられない」と考え抜いた末に会社を辞めることにした。

退職が最初の決断。コロナ禍で居場所失い地元・湯沢へ

「実はこれが、私にとって最初の決断でした」

それまでは、どちらかといえば周りに流されるように生きてきた。結局それが、生きづらさにつながっていたことに気付かされた。会社を辞める一年ぐらい前から「自分のやりたいことをやってみよう」と空間デザインの勉強を始めていた。

「周りの若い子たちはコンクリート打ちっぱなしのパースを作ってましたけど、私は木造空間ばかり。昔から木の香りが好きで、木造が好きなんだと実感しました」

そうやって学ぶことに楽しさをおぼえながら職を探そうとした矢先、タイミング悪く世の中がコロナ禍一色となった。接客経験しかなく、デザイン業界未経験の自分は「いらない人材」となった。バイトで食いつなごうにも、近所のコンビニですら「週1回3時間程度」しか空きがなかった。ふと、「コンビニでバイトするために東京に来たんじゃない」と嘆いた。

時を同じくして訪れた近所のスーパー。産直の野菜が目にとまった。袋に生産者の顔写真が添えられていた。「この人たちの頑張りが、食卓に並ぶんだなあ」と思った瞬間、「秋田に帰ろうかな」という言葉が口をついた。

でも、秋田で暮らす自分が想像できなかった。東京でアクティブに過ごしていたこともあり、地元・湯沢に戻ってもやりたいことがあるのか、不安は尽きなかった。「働くのであれば、一緒に働きたい人と思える職場がいいな」と考える中で、以前帰省した際に母親に連れていってもらったカフェを思い出していた。

近所のおばあちゃんたちが自宅に集まって語らい、お茶飲みする「お茶っこ」の雰囲気が漂うカフェが、葵さんにとって「いい意味での違和感」があり印象に残っていた。秋田県内の尖った人たちが紹介されているWEBサイトでカフェの女性オーナーを探しあて、「勤めたい」と談判したところ、接客に対する思いに通じるところがあって、接客を任せられることになった。カフェの居心地の良さだけでなく、オーナーがつくりたい地域の未来やまちのあり方などにも共感するところがあり、ひとまず地元に「居場所」を確保することができた。

このカフェのオーナーのように、湯沢にも新しく物事を起こそうという人はいるが、まだまだ少数だ。葵さんが感じたのは、地元に暮らす人ほど、平凡な暮らしを求めている人が多かったこと。「私がいったん地元を離れたから、余計に感じるようになったんでしょうね」としながらも、「女性といえば結婚、出産」が優先される考え方と、「やりたいことがあるのに、何もしないのはもったいない」と考える葵さんのスタンスの違いから、次第に地元の友人と会う頻度が少なくなっていった。

居心地の良さを求め決断を繰り返し、男鹿へ

「固定観念を変えるのは難しいと、あらためて思いました。何年もかけて無意識に身についてきたことからはなかなか抜けられないな、と。私もそうでしたけど、気付くことができました。自分で選択・決断したことで自由になれたんでしょうね」と話す葵さん。自分自身の居心地の良さを求めていくうちに、交友関係が変わっていったという。横手や湯沢のカフェや、古民家を改装したゲストハウスなどに集まってくる地域おこし協力隊の子や学生たちと話しているほうが性に合った。

同世代で集まっては、「最近の仕事、どう?」「このまちどうする?」といった真面目な話で盛り上がった。「県外から移住してきた友人たちは、『なければ作ってしまおう』といった精神なんですよ。まだまだ保守的な考えが根付いている秋田ではとても新鮮に思えたし、素直に、そういった考えの人が増えたらいいな」と、少しの負荷や刺激があることで楽しさを見出せるような、自分にとっての居心地の良い場を求めるようになっていた。

そんなある日、「男鹿に来てみないか?」と同世代のメンバーから声をかけられ、男鹿へと足を運ぶことになった。気の合う仲間に最初に連れて行かれたのがTOMOSU CAFE(トモスカフェ)だった。「このまちにワクワクのあかりを灯すカフェに」と、地元の方々が共同で立ち上げたカフェの居心地の良さに葵さんは惹かれた。

今回の取材は、彼女のターニングポイントとなった男鹿の「TOMOSU CAFE」で行った

「オーナーやスタッフの皆さんが私のために集まってくれたんです。『男鹿ってこんなところだよ』『葵ちゃんだったら、こういうところに住んでみたら?』など、親身になってくれたのが嬉しかった」と素直に感動した。そんな出会いをきっかけに、「こんな人たちが一緒なら、男鹿に住んでみたい」「自分に家族ができたときに住んでみたいまちだ」と思うようになった。

それまで男鹿といえば、観光で行くところであり、住みたいという感情を抱く場所ではなかった。「若い人が一人でも多く移住してくれるだけで、まちは活気づく」と熱心に誘われたものの、残念ながら葵さんが関われるような仕事がなかった。

「移住は無理か」と諦めかけていたら、男鹿の友人から長文の求人案内のスクショが届いた。それが、「稲とアガベ」を男鹿で立ち上げようとしていた岡住修兵さんの求人だった。「一緒に働きませんか?」とさまざまな職種が羅列してあり、そこに「接客」という文字を見つけた。

「どんな会社か調べてみたんですよ。『あっ、お酒つくるところだ』って。元々日本酒は飲めなかったんですが、湯沢に戻ってから高頻度でいただくことが増えまして…。湯沢もお酒のまちなので、作り手さんたちと出会って話をする機会もあったので」と、彼女の中で弾けるものがあった。酒づくりという自分の中の新しいジャンルを知ることができるのは面白そうだし、酒づくりの現場を見ながら、そこで直接販売できることも魅力だった。すぐさま、岡住さんに長文のメールを送り、面接を受けることになった。

「岡住さんには、老舗和菓子屋で働いてきたこと、接客とはどうあるべきか、私だったらどうお客さまと関わるか、などといった話をしました。価値観や大切にしたいことが共通しているということで、その日のうちに採用が決まりました」

こうして彼女は、2021年10月から「稲とアガベ」立ち上げメンバーのひとりとして男鹿に住むことになり、現在に至っている。

「稲とアガベ」の愛すべき仲間たち(写真提供:遠田葵さん)

次は自分が「居心地の良い場所」をつくる

「稲とアガベ」に勤めるようになって1年が過ぎた。毎日新しい出会いがあり、知らなかったことを知る機会が増え、その都度新鮮さを感じている。ふと、新入社員のころを思い返すことがあるという。

「研修で『無知の知』って教わったんですけど、18歳の自分には理解できませんでした。でも、今の立場になってみて、意味がわかってきたような気がします。『知らない』ことがベースにないと、調べようとしないし、どんどん視野が狭くなっていくなと思いました。人の意見を聞いてハッとすることもあります。自分が無知であることを知っておくことはとても大事だと思っていますし、忘れないようにしています」

公私ともに目まぐるしく環境が変わった葵さん。男鹿に誘ってくれた仲間のひとりは大切なパートナーとなり、その縁で土いじりにも関わるようにもなった。

「男鹿に住むことも、酒づくりに関わることも、農業をやることも、東京に住んでる頃には想像もつかなかったです」と笑う葵さん。男鹿に暮らし始めた頃、自身のSNSでこんなふうに思いをつづっていた。

知らない世界に飛び込む恐怖と興奮。
小さな決断を積み重ねて、その行動に自分自身で責任を持つこと。
どこまでも素直でいること、真っ直ぐ相手や物事に向き合うこと。

「稲とアガベ」HP向け撮影時のオフショット(写真提供:遠田葵さん)

「いま、明確にやりたいものは何かとは言えるものはないけど、自分が居心地のいいと思えるところを作りたいですね」と話す葵さん。「ここにいる自分が安らげるだけではなく、一緒に過ごしたい人たちが周りにいて、そうしたコミュニティのメンバーたちと繋がりながら、自分がここにいることで他所から人が遊びにくる、さらには遊びにきたことで刺激を受け、また違う何かを作り出せるような場を目指していけたらいいな」と話を続けた。「ぼんやり考えているのは、せっかく農業に関わっているので、たとえば農業をベースに、ゲストハウスとか人が集えるようなことをしたいですね。人と接するのが好きなので」

「ぜひ男鹿に、『稲とアガベ』に遊びに来てください。欲を言えば私に会いに来てください。言い過ぎですかね」と茶目っ気たっぷりな表情を見せた。

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