【続・仙台ジャズノート#89】最初は音が出るだけでうれしかった

続・仙台ジャズノート】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?
街の歴史や数多くの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化やコロナ禍での地域のミュージシャンたちの奮闘を描く、佐藤和文さんの連載です。(書籍化しました!

【佐藤和文(メディアプロジェクト仙台)】ジャズ音楽最大の特徴である「アドリブ」についての受け止め方は、音楽活動を続けている人の間でもさまざまです。筆者のようにジャズアドリブに魅力や可能性を感じる意見だけではありません。「ややこしい感じ」「難しそうだ」「何をやろうとしているのか分からない」「プレーヤーがひとりで盛り上がっている」「楽譜の細かい指定を満足にこせないのにアドリブなんて・・」-などなど。いずれの指摘にも一理はあります。むしろ、それらの懐疑的な意見を意識して演奏することからジャズ音楽は始まると言ってもいいのではないでしょうか。

アルトサックスを触り始めたばかりのころ、音が出るのがうれしくて、アドリブもどきの音を出して喜んだものです。一緒に付き合ってくれたバンドメンバーたちはあまりの未熟さ、図々しさに驚いたはずですが「初心者にはよくありがちなこと」と受け止めてくれたようです。何とも申し訳なく、ありがたいことです。

演奏する側の立場で見れば、ジャズアドリブの場合、とにかく踏み出してみないと、何も始まりません。人前で思い切って出した音が、意味不明な響きにしか聴こえなかったとしても、自分をさらけ出す勇気を試す機会にはなるような気がします。未熟なゆえに出来が悪いのは当たり前。特にジャズ特有のリズムの“ノリ”を身に着けるのは難しく、今でも、相当意識していないと、甘くなってしまいます。

管楽器を人前で演奏するのは今でも恥ずかしい。学生時代から楽しんできたドラムの伴奏者的サポータ感覚が好きだとあらためて分かる今日このごろ。

気心の知れた人たちの前とはいえ、気分にまかせて音を出すだけではどうにもならないのですが、極めて初期のころ、仲間内で自在にアドリブする練習ができたことで、ロック系のリズムなら比較的スムーズに音をつなげることができるような気がする-とか、歌謡曲のフレーズや祭囃子のような日本調になってしまうのは、警戒していても時折顔をのぞかせるリズム「タンタカタン」に流れたときである-などの傾向をつかむことができました。(ちなみに平野雅昭さんのデビュー曲「演歌チャンチャカチャン」(昭和53年)は徹底して「反ジャズ」です)

要するに長い間、ジャズを好んで聴いてきたとはいえ、自己流のドラムの経験しかない身で、どんな音楽的下地になっているかが、見えたのは大きかった。自分でも「なんとかならないかなあ」と思っていた問題で、最近の個人レッスンであらためて指摘されたポイントがあります。それはアドリブするうちに、「ド」の次は「レ」、「レ」の次は「ミ」という感じで、隣同士の音が連続する傾向がある問題です。「ドレミファ問題」と密かに名付けています。明らかに手癖にまかせた演奏であり、隣同士の音を並べない「飛ばし」を意識して使えていないためです。そのため分かりやすすぎて面白味がないフレーズになりがちのようです。

先日のレッスンでは、この問題を実務的に回避するための指示が一つ出ました。その内容は、がっちり練習してから報告することがあればあらためてこの連載のネタにします。

この連載が本になりました!】定禅寺ストリートジャズフェスティバルなど、独特のジャズ文化が花開いてきた杜の都・仙台。東京でもニューヨークでもない、「仙台のジャズ」って何?仙台の街の歴史や数多くのミュージシャンの証言を手がかりに、地域に根付く音楽文化を紐解く意欲作です!下記画像リンクから詳細をご覧下さい。

これまでの連載はこちら

*TOHOKU360で東北のニュースをフォローしよう
X(twitter)instagramfacebook