【連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。
【内山節(哲学者)】私の家がある群馬県上野村は、人口千人強の山奥の村である。人口のおよそ4分の1が移住者で、エネルギー対策でも日本の最先端の村のひとつになっている。森を手入れしたときでてくる利用できない木をペレットにして、発電や暖房などに使っている。私の家の屋根にもソーラーパネルが載っているが、各家々を結んだ太陽光発電の充実や、砂防堰堤を利用した小型水力発電の建設も、以前から検討課題になっている。
ところが大型風力発電やメガソーラーといったものはやる気がない。村人の気持ちとしては、村は自然と人間の里なのである。もっと正確にいえば、自然と生者と死者、さらに神仏の里である。亡くなった先輩たちのつくったものがいまも村を守り、自然や死者のなかに神仏の存在を感じる。そういう精神を共有しながら維持されてきたのが村である。
村が新しいことをするときには、生きている者だけではなく、自然や死者、神仏の許しも必要だと村人は考えている。大型風力発電やメガソーラーの建設を自然も歓迎し、死者や神仏も喜んでくれるというのなら造ってもよいだろう。だがどう考えてもそうは思えない。風力発電の無粋な羽根が回っている景色を、空を飛ぶ鳥が喜んでくれるだろうか。自然は神仏の世界でもあるという伝統的な考え方にもとづくのなら、神仏はあの無粋な景色を楽しんでくれるだろうか。そう考えていけば、結論はすぐにでてくる。
近代以前の日本の村では、村を治めることを村の自治に任せてきた。こうして生まれたのが惣村自治である。村には庄屋や百姓代がいたが、彼らは村のとりまとめ役であり、武士が直接村を治めていたわけではなかった。
村の自治が成立した要素には、第一に、村の暮らしにとって必要なものの大半が村でつくられるという構造があった。エネルギーの軸になっていたのは薪で、それは周囲の森が提供してくれる。水車が用いられることもあったが、その動力は地域を流れる水が運んでくれる。家は近くの森から出た木材などを使って、地域の大工と村人が協力しあってつくっていた。衣類もその地域で生産できる麻や木綿、苧麻、生糸などからつくられた。
もちろん、食糧も自給していた。米は納税用の作物であったり、お金が必要なときの換金作物という性格が強かったが、もちろん多くがとれる地域では村人の食糧としても用いられていた。つまり、かつての村は地域で採取できたり生産できるものを巧みに利用して生活をする村としてつくられていたのであり、だから私の家のある群馬では粉食文化が発達したし、雑穀文化が発達した地域も、芋をよく食べた地域もある。
エネルギー、食糧、さらに衣や住も地域でまかなっていたことを基盤にして、かつての惣村自治は成立していたのである。
とともに自治を成立させた第2の要素として、神仏の世界の共有があった。いま私たちが使っている宗教、信仰という言葉は、明治時代になって外来語を翻訳するために生まれた言葉で、明治以前の日本には、宗教も信仰も存在しなかったと考えてよい。ただし、神仏の世界は存在していた。それは、特別な精神世界を意味するものではなく、自分たちの暮らす世界のなかで軽んじてはいけないものでしかなかった。森を山の神が護り、水源を水神が護っている。水田を田の神が支え、地蔵菩薩や観音菩薩、阿弥陀如来などが生死を超えた〈いのち〉を支えている。そういう気持ちを共有しながら、村の暮らしを護ってくれている大事なものに感謝する。伝統的な神仏の世界とはそういうものである。
村や町が衰退したのは経済基盤が弱いからだという意見をよく聞く。だが本当にそうなのだろうか。そんなことより、村や町で暮らすことに魅力を感じなくなったことの方が大きい。村や町といっても、今日では働いている人の圧倒的多数がサラリーマンという地域が多くなっている。暮らしに必要なものを自分たちでつくるというより、給与収入ですべてを買う生活が村や町でも広がった。さらに農民も特定作物を生産し、その収入で必要なものを消費するかたちが広がった。自然と生者と死者、神仏とともに生きているのだということを感じとれる時空は衰弱し、そうなれば所得の少ない地域、消費に不便な地域ということばかりが意識されるようになる。
可能なかぎり必要なものを自分たちでつくり、余ったものを販売する。とともに、必要なものをつくりだしてく時空のなかに、自然や死者、神仏の世界の支えがあることが感じられる。そこに持続可能な地域があるのだということに、私たちはもう一度気づかなければいけなくなった。
内山節(うちやま・たかし)プロフィール
1950年東京生まれ。独学で哲学を学ぶ。NPO法人森づくりフォーラム理事。哲学者の肩書だが、哲学の思想の流れと言った講演(「哲学=難しい学問」)ではなく、人が生きている中に哲学を見出す―という内容で話す。元立教大学21世紀社会デザイン研究科教授。1970年代から東京と群馬県上野村を往復して暮らす。考え方の基本に「自分のいのちは自分だけのものではなく、他者や自然、思いを寄せる人々と共有している」を据える。内山節著作集(全15巻)、「日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか」「いのちの場所」など著書多数。
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「加茂青砂の設計図第3部」の最後に、内山さんの寄稿をお願いした。3部に登場した若者たちが歩んでいる世界の「骨格」を、示してもらえた。群馬県上野村の実例を挙げながら、自然、死者、神仏とともに生きる世界に、この国の人たちが培ってきた暮らしがあることを、伝えてくれた。この連載企画第4部では、その骨格を基本に、具体的な設計図を描きたいと考えている。その間、連載は休みます。(土井敏秀)
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