【連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。
【土井敏秀】前回の秋田百笑村佐々木義実さんの話を書いている途中、不思議な思いにとらわれた。書き終わりたくない? こんなの初めてだった。最後のしるしの(了)を書き終えたとき、ふだんなら「やったぁ」と、もろ手を挙げるのに、今回は重い足を引きずっていた。まだ、「本道」に戻りたくない。寄り道を続けたい。書きたい人がまだまだいる、と言い訳を並べて。理由は分かっている。連載の第4部もそろそろ最終コーナー。いよいよきちんと、「加茂青砂の設計図」に向き合わないといけない。なのに、致命的なことに気づいたからである。
24年前、男鹿半島・加茂青砂集落に夫婦ふたりで引っ越した。会社を早期退職した先輩に「田舎暮らしは、体力があるうちに始めた方がいい」とのアドバイスもあり、48歳で会社を辞めた。これからの暮らしの「設計図」を大まかに描いていた。目指せ!自給自足―なのだ。何せ初心者、「半農半漁見習い」から始めた。ここまでで早くも、思い当たったのである。失敗、挫折、廃棄……数え上げると、いくらでも出てきそうなのだ。にもかかわらず、新しく設計図を作ろう、だなんて机上の空論ではないか?まず反省するのが先だろう。恥ずかしさを抑え込んで、謙虚に振り返ることにした。
「今年で畑をやめる」と言ったバサマの畑を借りた。県道沿いにあり、日本海の水平線を望めた。野菜作りの本を何冊か買った。むろん、ハードル高く、無農薬、化学肥料不使用、有機農法での栽培方法の書である。農業の月刊誌があると知って購読も始めた。ジャガイモ、サツマイモ、トマト、キウリ、ナス、キャベツ、ハクサイ、レタス、枝豆、ゴボウ、ニンジン、スイカ……。何種類も植えた。小型耕運機を購入し、ささやかな機械化を図った。10年も踏ん張れなかった。ヨトウムシ(ネキリムシ)、アオムシ、テントウムシダマシなど害虫の駆除、スギナ、ヨモギ、ドクダミ、イタドリ(よく考えれば、みんな薬草なのね)など、繁殖力旺盛な植物の排除に、体も心も飽きてしまったのか、撤退した後、4年ですっかり耕作放棄の荒れ地にしてしまった。
小型船船舶操縦免許証(2級)は、引っ越す前にとっていた。漁協の準組合員になり、中古だが船外機付きの小舟を手に入れた。なんとも芸のない話だが「土井丸」のステッカーを貼った。夫婦ふたりで近くの磯場に錨を下ろし、素潜りした。アワビやサザエを狙うのである。初めてのウエットスーツに身を包み、初めてのシュノーケルをくわえ、水中眼鏡をかけた。獲物入れを兼ねた固い浮き輪にロープを結んで、少しずつ深く、と言ってもせいぜい2,3㍍のところを潜った。2003年(平成15年)9月、男鹿半島を襲った台風14号の高波で、オカにつないでいた土井丸は、さらわれ沈没した。舟を失った悔しさより、「これで、エンジンがなかなかかからず、海上で立ち往生することもない」と、ほっとした私は、漁師見習い失格である。
「頓挫の象徴」は薪ストーブだろう。その暮らしにあこがれて設置したのに、部屋の飾りになって何年になるか?この間、灯油ストーブを何台か買い替えている。ごくたまに、切り払った木の枝葉を燃やすと「やはり暖かさが全然違う。体が優しく包み込まれて、自然に広がっていく」なんて、感想を漏らすのに、それ以上、例えば薪を蓄えよう、とは動かない。スイッチのボタンを押すだけで済む、灯油ストーブに頼る。火おこしで使っていた新聞紙はまとめて、資源ごみに出している。
憧れだったのだから当初は、薪割りが全然苦にならなかった。林業業者からトラック2台分の切った丸太を運んでもらった。裏の畑には丸太の山が2つ、背の高さ以上にできた。「さあ、やるぞ」の毎日だった。これまた憧れのチェーンソーを手に、丸太を「薪割り」できる長さに切る。短い丸太の山がどんどん高くなっていく。それを1つずつ、今度はマサカリで割る。両手で握ったマサカリを振り下ろすと、ガギッ。割れない。何度か繰り返すと、「参りました」とでも言うかのように、スコーンと割れ、極端なケースでは、四方に飛んでいく。「スコーン、かきーん」は、快感である。次は割った薪を、雨が当たらない場所に、棚状に積み上げていく。1つ1つがかみ合わないと、崩れる。隙間を作らない。積み上がった幾つもの薪の壁をながめては、暮らしを支えている、とひそかに胸を張った。
大潟村にある秋田県立大学での臨時職員の仕事を得てからは、付属研究所の研究員や、学生寮の寮監も務めた縁で寮生たちが、「薪割りイベント」を開いてくれた。「一気呵成」ってホントにあるのだなあ、と助かった。薪が次々と積み上がっていった。次の展開は「さあ、火入れだあ」の場面にきて急に、秋田百笑村の佐々木義実さんが話していたことを思い出した。
「定年後、田舎に移住してくる人たちって、イラっとするときあるんだよな」。えっ?どうしてですか。「いいとこ取り、みたいなもんじゃないか」。いいとこ?「贅沢としての」田舎暮らし。「趣味の域を出ない」自給自足。それは、その暮らしで収入を得て生きている、つまりは根を下ろした生き方の延長上にはない。東北各地で、よく耳にしたのは、よそ者を「旅の人」と呼ぶ言い方である。「ムーミン谷」の物語(トーベ・ヤンソン作)の登場人物スナフキンが言う「故郷は別にないさ。強いて言えば地球かな」の自由さとは違う。「地域に責任を持たない」という意味に近い。「旅の人は、いいとこどりしている」とは、指摘されるかもしれない、と危惧はしていた。どこか「後ろめたさ」があったからである。
加茂青砂集落の区長(自治会長)の菅原繫喜さんは最近、こんな打ち明け話をしてくれた。「最初、ここの暮らしに戸惑ったべ? 『朝5時集合で、ハマ清掃をします』と案内すれば、5時ぎりぎりに来たもんな。集落の人は4時,4時半にはもう集まっている。時間厳守ではない。あなたはいつも、時間厳守だった。なぜ、みんな時間を守らないか、分かんねがったべ。いまは早く来るから、分かったんだな、と思っているよ。そうなんだよ。ここの人は、何か困ったことが起きても、早く集まれば対処できる、と自然に身に着いているのさ」。考えているのは、自分の都合ではない。みんなのことなのだ。開いてもらった歓迎会の酒席だが、真顔で説いてくれた人の言葉は忘れない。「普通は生きるために食う、って言うだろ。ここは違う。食うために生きるんだ」。「食うために生きる」は、「助け合って」生きる意味だったのだ、といまさらながらに、ようやっと、気づいた。(つづく)
*連載は30日を休み、新年6日に再開します。
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