【連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。
第5部最終章プロローグ「何の設計図なのか」
この連載のタイトルがなぜ、「加茂青砂の設計図」なのか。狙いがあって論理的に名付けたわけではない。突然、何かのお告げのようにひらめいた。そう言えば、聞こえはいいが、ただの思い付きというのが、正直なところである。なので、書き始めた第1部からずっと引っかかっていた。最終章の第5部になって、やろうとしていることがやっと、見えてきた。
秋田県・男鹿半島西海岸の一隅にあって、「時」に縛られず、わずかな縁でつながった、どんな時代の人の出入りも自由な、「加茂青砂ムラ」の物語なのではないか。ムラは架空でも、構成する一つ一つに目を凝らすと、確かにどれもが「ホンモノ」。幾つもの「ホンモノ」が登場する架空のムラ。「かもあおさ笑楽校」という名前の学校が、すでに活動している。ならば、ムラの設計図が早急に必要とされるのは、当然ではないか。
住民の多くが高齢者で「限界集落」の範疇に入れられるが、特別な集落ではない。この国の数多くの集落が似た環境にある。だから恐らく、どの地名でも、ムラを作れる。そこはそこでしか成り立たないムラになる。東京ムラはない。葛飾柴又ムラならある。秋田ムラはない。川反ムラならある。そこでのひと同士の関係は、相手が誰かが分かる距離を保っている。ひとりの物語を、みんなが共有できる距離である。
そうか。この連載は最後に、ムラの図書館として、姿を現すことになるのだな。加茂青砂で暮らしてきた、あるいは、たまたま訪れた人たちの思い、生き方が詰まった、まだ仮称だけれど、「かもあおさ笑楽校付属図書館」。分類項目を考えると、「蔵書」が足りない、とすぐに気づく。もっと目を見開き、耳をそばだたせよう。五感を研ぎ澄ますのだ。それがこの地での私の役割だからである。それに気づいたのは、享年89歳のお年寄りの死だった。
2023年(令和5年)夏。その人の納骨に立ち会った。この集落では、土葬で見送った時代の名残が残っていて、住民有志が葬儀を手伝う。喪服を着ることはない。棺桶を埋める墓を掘る作業がしやすい格好で、なのだ。ジャージ姿で構わない。土葬のころには、力持ちの男が遺体の入った棺桶を一人で背負い、海を臨む墓地の階段を上ったという。
「有縁無縁という言葉あるだろ。地縁血縁はないが、人としての縁はある。おめみでなやつのことや。だから、おめが入るのが有縁無縁塔や。ここにもある。昔からいたんだな、おめみでなやつ」
「はあ? 移住者が入る墓がそうなの?」「そうだ」
そんな(「まさか」と疑いたくなる)会話をしながら、墓の周りをきれいにし、遺族が葬儀場から帰ってくるのを待った。集落には、お寺はなく、墓地と位牌を納める「十王堂」がある。この日の葬儀の喪主は、看護師をしている孫娘が務めた。そうだ。あの話を伝えないと。
「おじいさんが、北海道の蟹工船に乗って稼いだ初めての給料で、何を買ったか、聞いたことありますか?」
「いいえ」
「本です」
「本?」
「そう。初めて買った本は、『アンネの日記』だって。ナチスに殺されたユダヤ人の女の子アンネ・フランクの日記。漁に出たときも、船の隅っこで泣きながら読んだそうです」
「初めて聞きました。全然知らなかった。そんなおじいちゃんだったなんて。ありがとうございました」
夫婦二人で老人向け施設に入ってから、数年はたっていた。詳しい経緯は知らない。ただ、恐らくは誰にも言わなかっただろうことを伝えられて、ほっとした。そう想像できたのは、この地に引っ越して来てから間もなく、20数年ほど前、集落の懇親会で初めて交わした話だった。「お前が来てよかった。やっと本の話ができる」
その後、行事ごとに開く懇親会で、話しかけてくるのはいつも、会がお開きになる直前だった。「おれんちさ来い」が口癖だった。おじゃました家では「(小林多喜二の)蟹工船を、蟹工船の上で読んだ奴なんて、おれぐれなもんだべ」が口癖だった。
本を読んでいることを誰にも言えない。私も、小、中学生時代に似た思いをしていた。「男の子は外で遊ぶもの」と決まっていた昭和30年代(1955年~)。本を読んでいるのを知られたら、「シスターボーイ」と、からかわれるのがオチだった。女っぽい、という意味の和製英語で、当時の流行語である。童話「人魚姫」を読み、主人公のかなわぬ思いに、なんてかわいそうなんだーと、立ち上がれなかった……。それに気づかれたら、教室内が「シスターボーイ」の大合唱になるのは目に見えていた。
似た者同士という雰囲気が、自然と伝わったのだろう。「お前が来てよかった」のセリフに、つながったのではないか。そしてそれは、伏線にすぎない。孫娘が、「アンネの日記」を買ったおじいちゃんを知り、彼女の中でこれから、「それを読む若者像」が生き始める。このためだったのだ。どの分類に入るのだろう?「蔵書」が一冊増えた。
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