【加茂青砂の設計図】イタドリとの攻防と「耕作放棄地」

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

【土井敏秀(もの書き)】秋田県・男鹿半島西海岸にある加茂青砂集落の耕作放棄地を、開墾してくれる「境界なき土起こし団」の2回目の体験教室は雨で中止になった。10月7日だったのが、11月4日(土)に延期した。初回から1ヵ月以上経っている。「土起こし団」のみんなも、どんな状況なのか、気になっているだろう。雨の晴れ間を見て、開墾の現場「リゾート農園」(仮称)に行った。集落から約1㌔、急な登坂もあるのだが、車でなら5分もかからない。やはりなあ、根を深く掘りださなかったイタドリが、生き生きとした若葉をどんどん伸ばしていた。回復力がすごい。地面がほぼ見えなくなっている。前回、鍬の使い方を初心者に教えるため、深掘りしたところだけが、辛うじて表面が見えている。

私はかつて、この場所を借りて耕していて、結局は「耕作放棄地」にしてしまった。小型耕運機を購入して、「機械化」を図ったので、10年は続いただろうか。はっきりとは覚えていないが、やめた理由はしっかり覚えている。イタドリとの攻防に敗れて、放棄したのである。地下茎で勢力を増していくから、這いつくばって何度も掘り返しては、その地下茎を抜き、処分した。

「境界なき土起こし団」代表で講師の斎藤洋晃さん(能代市二ツ井町)と、同じく講師の佐々木友哉さん(藤里町)のように、イタドリを堆肥にする、という発想がなかった。根や地下茎をゴミ収集袋に入れ、燃えるごみに出していた。畑仕事そのものは好きだった。何しろ肩書は「半農半漁見習い」である。「来年はやめる」というバサマが「おめ、好きに使え」と貸してくれた。賃貸条件はない。それでも何年かは、収穫したジャガイモなどを届けた。

植物の生命力はたくましい。しっかり整地した場所なのに、1ヵ月で若い緑に覆われた(男鹿市戸賀加茂青砂)

畑をそのまま引き継いだので、すぐに耕せた。畑の中にイタドリはない。畑の周りと道路の際に控えめに生えていた。互いの領分を守っていればいいなあ、とのほほんとしていた。休憩すれば、日本海の水平線を見渡せるのである。それが年を追うごとに、次々とイタドリが侵入してくる。限度を知らない。「この辺でもういいか」という歯止めが利かない。凶暴ですらある。どこを攻めてきているのか、が見えないので、なおさら困る。地下ではイタドリの地下茎と、ほかの樹木の根とが正面衝突、なんてことはないのだろうか。どちらか一方が「お先にどうぞ」と脇にずれたり、あるいは逆に、互いに譲らず絡み合ったりするものなのか。

小学生のころ、アリの巣を観察するのに、ガラス板2枚の間に土を入れた、道具を作った。これと似たやつを作れば、イタドリの地下茎とほかの種の根との攻防を研究できそうだ。まだ誰も、気づいていないかもしれない?テンション、上がるなあ。研究者の道を歩むのも悪くない。今から?それは今さら無理だけど、「植物は異種同士でも会話が成り立ちます」なんて、発表する姿を妄想するだけで、伐根作業に耐えられる。

20年ほど前、こういう姿をしていた時代もあった。「本当にやっていたんだなあ」

大友玲子さん(87)は、体験教室で開墾している東隣の土地の畑を、耕していた。年齢の違う4人で仲間を作り、一緒に集落から通っていた。種や苗を分け合っていた。「草刈って、根っこ抜いて、石拾って、それを何回も繰り返して畑を作った。いまみんながやってるのと同じやり方だよ。ジャガイモもサツマイモも、いい芋がとれた。キャベツもな、私のだけ両手で抱えるほど大きかった。不思議と虫もつかなかった」。なぜだろう。手を抜かず、力を惜しまずにやっていた姿が、想像できたからだろうか。内容は自慢話と受け取られかねないのに、全くそうは聞こえなかった。

玲子さんは「いまみんながやってるのと同じやり方」と言った。「いまみんながやっている」のは、植物由来以外の農薬は使わない、刈り取った雑草を堆肥にして使うなどの「自然農法」である。大雑把に言って、農薬、化学肥料を使い、大型機械で耕す―という普通の今の農業から外れた、人の手間がかかる農業である。途中経過のひとつひとつを確認しながら進めるので、効率のいい最新の技術は、教えてくれない。教科書は古びててはいても、昔のものである。

玲子さん家の畑は、覆われた草で見えないが、里山に向かって3つの段々畑になっていたという。「少しでも多く収穫したくて、少しずつ手で土地を広げていった、そう、手で。欲が深くてなあ」。きろっ、きろっと目を見開きながら時々、吹き出す。「うちの土地も好きなだけ使って。分かる、分かる。すぐにはできねべ。一緒に耕せってが? ……うーん、無理だ、みんなに任せた」。玲子さんはそう言った瞬間、出来上がった段々畑に立ったのに違いない。丸く輝いた目が、その情景をとらえていた。

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