【鈴村加菜】仙台市在住の研究者・李善姫さん(東北大学男女共同参画推進センター講師)の著書「東北の結婚移住女性たちの現状と日本の移民問題―可視化と他社化の狭間で―」が今年2月に出版された。李さんは10年以上にわたり、1980年ころから「外国人花嫁」として中国、韓国、フィリピンから東北地方に移り住んだ女性たちから聞き取り調査を行ってきた。同書では、移住女性の来歴や現状など、プライバシーを確保した形で個別のケースを紹介しながら、東北、そして日本の外国人受け入れ政策にまで触れて考察している。「東日本大震災を機に、被災地の移住女性が抱える困難が改めて浮き彫りとなった」と語る著者の李さんにお話を伺った。
「見えなくなった」、東北の結婚移住女性
移住女性をめぐる問題は、その種類や程度は千差万別であるものの、共通してみられるものに「不可視化=見えない存在となること」があり、その要因はいくつかあります。
東北地方の移住女性には、嫁いだ先の家庭や地域に馴染み、家事、子育て、夫の両親の面倒など、「嫁」としての役割が期待され、結果、居場所が家の中に限られてしまい、社会(外の世界)との繋がりがないまま生きていくケースが多く見られます。
当時の東北地方の移住女性の結婚は、恋愛結婚ではなく、斡旋や仲介によるものがほとんどであったため、トラブルも少なからず発生しました。そのことがマスコミやメディアで取り上げられると、結婚移住女性には「詐欺」「金目当て」といったネガティブなイメージがついて回るようになり、移住女性たちは、そのような偏見や差別から逃れるため、意識的に「外国人」としての自分を隠してきました。
例えば、移住女性たちは、「外国人」であることを隠すため、また1日でも早く嫁ぎ先や地域に馴染むため、日本の名前(通称名)を名乗って生活しました。結果、出身国が同じ者同士でさえ、お互いの本名を知らないといったことがあります。 また、「外国人」として目立つことを避けるため、移住女性同士の交流を避ける傾向も見られました。
「被災地に外国人がいない」?東日本大震災で浮き彫りになった不可視化の問題
このように移住女性たちが「見えない存在」であったことによって、東日本大震災では、「移住女性たちへの支援の手が届かない」という問題が発生しました。
通称名の使用は、移住女性たちの安否確認を困難にしました。大使館は本名しか把握していないのに、被災地では「家族でなければ本名を知らない」という状況でした。
また、移住女性たちが社会から隔絶され、コミュニティが形成されなかったことによって、震災発生から間もなく被災地入りした外国人支援団体は、「支援したくても(移住女性たちが)どこにいるか分からない」「東北(被災地)には外国人がいない」という状況に陥りました。
震災を経験して「見えない存在」から「見える存在」へ
このような経緯から、震災後、被災地では、何人かの移住女性を中心に、中国やフィリピンなど、同国出身者の移住女性組織が作られるようになりました。就職支援などの受け皿となったり、子どもたちに母親の母語と文化を継承させるための教室が開かれたりする中で、「見えない存在」となっていた移住女性たちが地域のなかで「見える存在」に変化してきたのです。
しかし、このような移住女性組織も、震災から年を経るごとに活動が停滞し、今では活動を停止、休止している団体やコミュニティもあります。活動が続いていくには、行政や支援団体といった地域のバックアップや承認が必要です。
そしてこれは、移住女性に限らず、日本に定住する外国人にも当てはまります。日本では、結婚、留学、技能実習…様々な理由で日本に定住する外国人に対して、「移民」という認識がありません。「移民」にとって必要不可欠な日本語を学ぶ機会、日本で働き、生活するために必要なスキルを学ぶ機会はもちろん、そういった機会へのアクセスの仕方を知る権利すら十分に保障されていないのが現状です。
日本では、外国人に対する支援は自治体任せになっており、東北でも自治体によって支援の厚さが異なります。地域の特性や偏見を理由に、弱い立場にある人を「見えない存在」にしてしまえば、支援が届かない以前に、どんな助けが必要かを知ることもできず、さらに悪い状況に陥ってしまいます。彼ら、彼女らにとって何が必要かを「可視化」し、日本社会で生きていけるような仕組みを作っていく必要があります。
【李善姫】東北大学男女共同参画推進センター講師。韓国ソウル生まれ。博士(国際文化学)。文化人類学専攻。日韓の結婚移民研究。社会活動として「EIWAN運営委員」「ハングル学校ミヤギ」教師など移住女性と子どものエンパワメントにも関わっている。
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