震災を機に、寿司職人見習いから創作料理の道へ 仙台・キッチン八木山

【文・写真/萩野暁通信員=宮城県仙台市】7年前の東日本大震災は想像を絶する津波被害をもたらし、人々の運命を変えた。仙台市中心部に近い住宅地、八木山地区で創作料理を専門とする「キッチン八木山(やぎやま)」を経営している阿部憲太郎さん(34)もその一人だ。当時、阿部さんは宮城県亘理町で寿司職人の見習いをしていた。それがなぜ創作料理の店を開くに至ったのかについて話を聞いた。

震災で全壊した店舗の再建と、自立への決意

「キッチン八木山」は2015年秋に開業した。仙台駅から車で25分ほど。周辺は仙台市でも有数の住宅団地が広がっているほか、動物園や遊園地といったレジャー施設、各種教育機関も多い。学生向けの低価格メニューや主婦にも喜ばれるパンケーキなどのメニューが、多くのファンを引き付けてきた。

阿部さんにとって、このお店を開業させるまでの道のりは長かった。「震災以前は、亘理町の鳥の海近くにある『あら浜』というお店で(寿司職人見習いとして)料理について勉強していました。震災による津波の影響でお店は全壊し、一時休業にまで追い込まれました。幸い、仙台市内で営業を再開することができ、2代目店主とのご縁で、手伝わせていただきました。その後、お店が亘理に再建できたのを機に自分は自立することを決意して今に至っています」

東日本大震災当時、海岸部にあった多くの飲食店がいったん休業を余儀なくされた。その後、7年という長い時間はかかったものの、内陸部に新たな店を開いたり、再び懐かしい元の場所に戻ったりした例は数多い。

阿部さんの場合も、自然災害によって手ひどい打撃を受けたが、その一方で、人の縁には恵まれた。『あら浜』の2代目店主の指導を受け、料理の勉強を基礎からし直すことができたのもその一例だ。

「多くの人に、低価格で楽しんでもらえるお店を」

ただし、自分の店を持つに際しては、寿司に限らず「自分に合ったメニューを幅広く、低価格で提供できるお店を」と考えるようになった。震災が契機だったとはいえ、自立を考えるようになって初めて見えてきた、阿部さん自身の視界でもある。学生や主婦向けのメニューを少しずつ増やしながら客の反応を確かめてきた。

学生たちには「午後の授業も頑張れるように」と、低価格で満腹になってもらうことを考えている。憩いの場として主婦たちに気軽に使ってもらうにはどうすればいいかという課題も常に頭にある。店内にはいつもビートルズが流れている。仕事の手をほんの少し休めながら阿部さんは「唐揚げ定食やパンケーキといった根強い人気メニューを残し、新たな創作料理を作り出したい。今以上に多くの人に食べてもらい、楽しんでもらうのが目標です」と笑顔で話してくれた。

仙台市中心部にほど近いお店「キッチン八木山」※車のナンバープレートを加工処理しています