【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】福島県相馬市の浜の景勝地、松川浦。11年前の東日本大震災の津波、福島第一原発事故の風評などの荒波の後も、度重なる地震が観光復興を妨げてきた。今年3月16日にあった最大震度6の地震で街全体が被災した中、家族が一丸となって先月から宿泊を再開した旅館がある。4月7日の記事でも紹介した「海游の宿 はくさん」(同市岩子)。地震の被害を受けた浴場の改修が難航したが、現在、年末年始まで宿泊予約は盛況という。休業を余儀なくされた手作りスィーツのカフェも復活、女性や若者のファンが戻ってきた。
心遣いの積み重ねが生きる
3月の大地震の爪痕は相馬市内で大きく、被災家屋の解体申請は1000件を超えるという。宿泊施設が集まる松川浦の周囲の旅館街でも、改修中のための休館が相次ぐ。
「うちでは、2階にある浴場の被害が特にひどかった。なじみの業者に翌日から修理を頼んだが、漏水箇所を突き止めるのも難しく、工事は手間取った。宿泊うけ入れはできず、それでも『食事だけでもしたい』というお客の要望が多く、ランチ営業だけは4月から続けていた」(4月7日の記事参照)
「はくさん」代表の坂脇忠雄さん(69)は、12月9日の取材にこう振り返った。
「9月23日に宿泊と日帰り入浴、カフェを一緒に再開する予定で進めていた。コロナも落ち着いて、秋の観光シーズンに少しでも間に合わせようとね。ところが、お湯を入れた浴場のうち男湯に水漏れが見つかり、下の広間の畳も濡れて入れ替える状態になった。松川浦の眺望を楽しんでもらう自慢の風呂だけに、再工事を急いだ。娘たちも営業再開のチラシを作って常連さんに送り、ネットでも発信してくれたからね(『はくさん』のfacebook)」
この緊急事態もやはり大地震の置き土産だった。フロントを担当する長女の遠藤以津子さん(39)によると、家族らは「すでに大勢の宿泊予約を受けており、復旧した女湯の方を時間で男女に区切って利用してもらい、その旨を了解してくれたお客様に泊まっていただこう」と話し合った。その結果、予約客たちは「待っていたんだから」と快く泊まってくれたという。
以津子さんらは先着100名の宿泊者に、知り合いの花屋に特注した可愛い花の鉢植えと、妹の鈴木正子(しょうこ)さん(35)がパティシエを務める「カフェスマイル」(館内3階)の焼きたてクロワッサンをプレゼントし、喜ばれた。こうした心遣いの積み重ねが、「泊まるのを待ちきれない」という「はくさん」ファンを増やしてきた。
スイーツの美味、松川浦の絶景
「はくさん」再訪の楽しみは久しぶりのランチだった。2階の個室でご一緒した女性二人組が頼んだのは、美しい器に盛られた海鮮丼。茶碗蒸し、マグロと山芋、卵の和え物、タラフライのタルタルソース添え、サラダ、香の物、フルーツ。これで1500円。「女性が目を喜ばせ、いろんな味を楽しめ、値段もリーズナブルなランチを。作り手でもある女性スタッフが意見を出し合い、料理に合った器を福島市の専門店に行って吟味し、お客さんの声も取り入れ―」。ランチ企画のチーフになった以津子さんの話を思い返した(4月7日の記事で紹介)。前回は海鮮丼を食した筆者が新たに注文したのは海鮮フライのランチ。エビ、ホタテ、イカの大きさ、香ばしさに驚いた。
そして、ランチに付いた楽しみが「カフェスマイル」のコーヒー券。3階に上がると、地震でめちゃめちゃに壊れていた工房に新しい機械類が入れ替わり、当時カーテンが下ろされていたカフェは外光でまぶしいほど。ガラスが割れていたショーケースは、おいしそうなスイーツ、ケーキがいっぱいだ。筆者が選んだのはホイップクロワッサン。そのパン生地とお洒落な皿の両方にチョコとジャムで笑顔が描かれている。
パティシエの正子さんは語る。「やっと復活できました。毎日パンを焼き、ケーキを作っています。地震の前から来てくれた女性たちや若い人の常連客も戻っています」とパティシエの正子さんは語る。今月中に出産を控え、「その間もスタッフにパンを焼いてもらい、休まず営業を続けます」。多くの客を引き付けるカフェのもう一つの魅力は他にない絶景だ。カフェの2面を占める大きな窓の外には、津波に耐えて残る島々と穏やかな松川浦、彼方の青い太平洋。ランチで一緒になった女性たちも、ホイップクリームやプリンと一緒に「はくさん」自慢の景色を味わった。
被災地の知恵で観光客を呼び戻したい
「お客様と一緒にコロナに用心しながら、早めの忘年会が始まっており、年末の宿泊予約も順調です。30~31日は休館しますが、正月三が日はすでに満室。地元のリピーターと共に福島市など中通りの方々、また全国旅行割を使う関東のお客様も増えています」。以津子さんはこう話す。地震の影響が長引き、街が意気消沈したような相馬にも遠来の客が訪れているという。魅力づくりはこれからでも遅くないようだ。
「はくさん」の前身は、坂脇さんの父親が1980(昭和55)年に開業した民宿。潮干狩りや釣りの客でにぎわったが、東日本大震災の津波で全壊。坂脇さん一家は仮設住宅で過ごした。多くの同業者が廃業する中、坂脇さんと妻米(よね)子さん(67)は再開を諦めず、津波被災後の難しい条件下で県と交渉を重ね、震災から10年目の2020年10月25日、「地元になかった新しいホテルづくりの発想を娘たちからもらい、開館できた」と話す。
松川浦の岸近くにある「はくさん」は、海抜10メートルにかさ上げした土台の上に立つ。天空のリゾートホテルの趣だ。その理由について、坂脇さんは「『安心安全の宿』を造った思いをまず伝えたい」と言う。「震災の後、住むところも食べる物もなかった辛さから、ここにはコメの貯蔵庫と精米機を備えた。一週間分くらいは食材もある。私たち家族の被災と避難所の体験を生かし、もし新たな災害が起きても、ホテルそのものを安心安全な居場所にしてもらえる。被災地の知恵も発信し、松川浦に観光客を呼び戻したい」
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