【高校生記者がゆく】陸軍の宿舎を残し、戦争の記憶を伝える仙台市歴史民俗資料館

高校生記者がゆく!2023】仙台市の高校生が記者となり、高校生目線で地域の魅力や課題を発信する連載。宮城野区中央市民センターのもと、高校生たちが地域の気になるテーマを取材・執筆した成果を掲載します。過去の記事はこちら

石垣美保、菅野舞桜、氏家花梨】仙台市宮城野区に所在し、家族で賑わいをみせている榴岡公園。その中に建てられている仙台市歴史民俗資料館。この公園や資料館は戦争を経験し、多くの兵隊や市民を見守ってきた壮絶な過去があった。その過去とは何だったのか。学芸員の畑井洋樹さんにお話を伺ってきた。

戦争を繰り返さない。その決意の背景を探りに

「歴史は繰り返す」この言葉は誰もが聞いたことがあるはずだ。現在、実際にロシアによるウクライナ侵略が行われている。こうした国同士の間で争いが起きている中で、どうして日本は二度と戦争を繰り返さないと決めたのか、どのようなことを日本は戦争で経験してきたのか。当時の苦しい、悲しい、つらい気持ちを現代の私たちがこの先の日本のためにも知っておかなければいけないと思ったから、昔の人々の様子や戦争について展示している仙台市歴史民俗資料館に取材に行った。

仙台市歴史民俗資料館=仙台市宮城野区榴岡

衝撃を受けた「4連隊」の展示

仙台市歴史民俗資料館には企画展示、農家の台所、農家の庭先、農村の暮らし、町場のくらし、4連隊コーナー、体験学習室の7つからなっている。農家の台所では実際に囲炉裏がおいてあり、障子や木の感じから昔の人々の暮らしを想像することができる。農村の暮らしは、手作りの藁草履やスリッパが飾ってあり、町場のくらしでは銭店屋を見ることができ、お菓子やおもちゃなど細かく再現されている。自分がタイムスリップした感覚になりとてもワクワクした。

このように沢山の魅力が詰まっている仙台市歴史民俗資料館だが、私たちが一番衝撃を受けたのが4連隊コーナーだった。当時、兵士が寝ていたベッド、使用していた銃、身につけていたカバン、戦時中のことが細かく記されている資料。過去にあった変わらない事実。経験していなくても、絶対に色褪せてはいけないこと。私たちは戦争という悲惨な出来事をこれからも後世に語り継いでいかなければならないと思った。

兵士の寝台

もともとは陸軍の宿舎だった資料館

現在、戦争についての日記や、昔の市民の暮らしの道具などの資料を展示している仙台市歴史民俗資料館は、もともと日本の軍隊(旧陸軍第2師団・歩兵第四連隊)の宿舎だった。宿舎は全部で11棟あったが、今の資料館(旧宿舎)のみが残った。この理由は二つある。

一つ目の理由は、戦争が終わり宿舎としての役目を終え、警察の学校になりその後は近隣住民の火事・地震などの災害が起こった時のための避難場所になった。もちろん一般住民も時々使うようになった。当時、戦争に行っていた兵士の親族の方々からは「戦争の嫌な思い出が蘇ってしまうので取り壊してほしい」という声が度々あったからだ。

戦争の痕を示す資料

二つ目の理由は、当時は木造の建物ばかりだった。火事になってしまうと火が燃え移り、大規模な火事になってしまうのでそれを防ぐために、11棟のうち10棟取り壊し1棟だけ残した。1棟だけ残した理由は将来の人々に戦争のことを忘れてほしくないという思いがあったからだそうだ。

資料館の建物は洋風の建築で、明治七年(1874年)の竣工以来、149年の歳月(2023年2月現在)がたっているが、現在の建物を支える柱も当時のものがそのまま使われている。純白で塗られた塗装や、おしゃれな階段がとてもヨーロッパを感じさせられた。

西南戦争から太平洋戦争まで、多くの兵士が参戦

当時、宿舎には250人の兵士が暮らし、戦争がはじまると約400人もの兵士が待機した。1877年の西南戦争から始まり、日清・日露戦争、第一次世界大戦のシベリア出兵、満州事変、ミッドウェー海戦やガダルカナル島の戦いで激戦を繰り広げた太平洋戦争など、多くの兵士が明治時代以降のほとんどの戦争に参戦していたという。

兵士といっても、一般の人が多く、「やりたくない」「行きたくない」といっても行かなくてはならない現実。自分の兄や父親、子どもが出兵すると決まったときの覚悟。亡くなってしまった兵士の家は殉国勇士の家となり、めでたいこととされた。人前で涙を流すことは許されず、戦争を反対する言葉を言っただけで罰を受ける。

戦地の兵士たちは認識票という、死んだ時の身元確認に使う金属の札を持っており、亡くなってしまったとき一体誰なのかというのが分かるようになっていた。この認識票はウクライナとロシアの戦争でも使用されているという。

取材に応じる学芸員の畑井洋樹さん(左)

資料収蔵庫は仙台市内に3か所あり、令和4(2022)年3月末の資料件数は96,359点。資料の約90%は寄付されたもので、「昔のことを知ってほしい。」「どんな苦しい中で生きてきたのかも知ってほしい」という気持ちで寄付してくださるそうだ。資料を保管する際には、温度・湿度の調整のほか地震の影響で壊れないようにするためにゴムバンドを付けるなど工夫している。

戦時中のそれぞれの立場に思いを馳せて

今回仙台市歴史民俗資料館取材を通じて、気づいたことは2つある。

1つ目は、仙台市歴史民俗資料館はもともと宿舎だったものをそのままの状態で資料を展示しているため、わたしたちは兵士が歩いていた廊下を歩き、過ごしていた部屋を別の形でその場所を見学できることになる。それはその時代の人達と時代を超えて重なり合うことでもあるとても貴重な経験だった。

2つ目は仙台市歴史民俗資料館に訪れる人は修学旅行生がいるものの、小学生が中心となっていることだ。実際にわたしたちも小学生の頃に校外学習として訪れたことがある。今回訪れてみて、小学生のときには感じなかった戦争に対しての感情や兵隊になった方々の想いだけでなく、出兵を見送った家族の気持ちについても深く考えることができた。

また、兵隊として出兵していった方々は私たちと近い年齢ということもあり、今の自分たちと照らし合わせてみることができた。幼いときは自分の父親や兄弟を見送らなくてはならないときの気持ち、学生になれば自分たちが戦いに行かなくてはならないという決意、大人になれば自分の子供がお国のために命を捧げないといけないことを受け止める度胸。それぞれの年代によって見方も考え方も少しずつ変わっていく。この仙台市歴史民俗資料館はもっとたくさんの人が実際に目で見て、当時のことを想像して、なぜ日本が二度と戦争をしないと決めたのか感じ取ってほしい。

(取材・執筆:石垣美保、菅野舞桜、氏家花梨)

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