【連載:大学生が取材した3.11】「3月11日に向けて記事を書こう」。震災で大きな被害を受けた宮城県名取市にある尚絅学院大学で、ローカルジャーナリストの寺島英弥さんが今年もそんな目標を掲げた実践講座を催しました。大学生たちは、地元名取市の被災地・閖上で取材を重ねる中で何を感じ、自らの言葉で何を伝えようとするのか。シリーズで掲載します。
【石井理帆(尚絅学院大学3年)】2011年に起きた東日本大震災からまもなく12年。「震災を知らない世代」が増えてきた。毎年、3月11日が巡るたびに「風化」が語られ、その危機感の表れともいえる動きが報じられる。津波被災地の一つ、宮城県名取市の閖上地区では、震災の記憶を伝えようとする活動が今も続けられている。教訓を風化させないのと同時に、その記憶を未来へ引き継いでいくために、私たちがなすべきことは何なのか。
被災地・閖上を取材で訪ねて
昨年10月22日、閖上地区を授業の取材で訪ねた。尚絅学院大のバスから外を眺めながら被災当時の状況を想像し、その後、震災前から残る日和山(海抜6.3㍍)に上った。地元の被災者であり、現在は閖上中央町内会長の長沼俊幸さん(60)から話を聴いた。
閖上を一望できる日和山からの眺望に唖然とした。震災前にあった古い町の何もかもが流され、今は見渡す限り、かさ上げ工事で生まれた真っ平らな土地だ。長沼さんからは当時の状況、これからへの備えなど、色々な貴重なお話を聞くことができた。
地元のNPOが運営するプレハブ造りの追悼伝承施設「閖上の記憶」に移動し、震災当時、閖上を襲った津波による凄惨たる様子の記録動画を見た。轟音をたてて迫り来る津波とともに、逃げ惑う人々の悲鳴や嘆きの声も生々しく残されており、真っ黒い海が町をゆっくり、むしばむようにのみ込む姿が強烈に印象に残った。
災害体験を今後どう残すのかー語りは災害伝承の手段
災害が発生した地域では、その記憶と経験を後世に残そうと、さまざまなカタチで伝承の活動が行われている。特に東日本大震災の被災地では、体験者による「語り部」の活動が盛んだ。
実体験の語りは、より強く訴えかける力を持つ災害伝承の手段の一つである。そのことを踏まえて私は、当事者の語りを何らかの媒体に記録し、いつでも再生し共有できるようにしておく「バックアップ」づくりの方策を考えた。
閖上には昭和8(1933)年3月3日に起きた三陸地震津波の「震嘯記念」の碑が立っており、同日の大地震により発生した津波の様子や被害の内容が記されている。しかし、先人が石碑に残した過去の事実を含め、閖上で起きた災害、震災の経験と伝承が地元の人々に共有されず、東日本大震災では住民の対応が混乱した。
長沼さんの証言によれば、閖上で800人近い犠牲者が出た原因として、「閖上には津波が来ない」という固定観念があったという。
犠牲者の中には、避難を開始したが逃げ切れなかった人、被害を軽く考えて避難しなかった人、家族を助けようとして避難が遅れた人、任務のため避難が遅れた消防、警察の人など理由は多様であったという。しかし、それらの人々の声は伝わっているのか。
東日本大震災から12年という時間の経過に伴って、震災を経験していない人が増え、地元からの情報発信が共有されづらくなっている。震災の記憶と教訓を広く全国や世界、そして次世代に伝え続けていくことによって、未来に起こり得る災害に私たちは備え、同じ犠牲と混乱を繰り返さない覚悟を持つことができる。
一番に伝えたいことー風化を止め、自分にできることを続けたい
「3.11」の教訓を風化させないためには、時とともに変容する被災地の状況を写真や映像で記録し、終わらぬ現実であることを同時代に、そして後世に伝えていくことである。
毎年3月11日には、閖上をはじめ各地の被災地で追悼イベントが催され、「3.11を忘れない」というメッセージを世界に向けて発信している。震災を経験した世代だけの追悼行事ではなく、次の世代に共有されていくことが大切である。震災経験のない若い世代に防災意識を受け継いでもらうため、新たな当事者の意識を持って参加してもらうべきだ。
過去の災害をいつでも振り返り、災害の記録や記憶を集約し、防災・減災を地域の暮らし、文化にまで根付かせる。そのためにこそ共有のための「バックアップ」づくりと活用の普及が必要だ。これから予想される南海トラフの大地震・津波だけではなく、全国で毎年のように新たな被災地を広げる豪雨・土砂災害や洪水などの巨大災害への備えにも役立つのではないか。震災体験者の一人として、風化を阻止し、3.11を忘れないために、これからも自分にできることを続けていきたい。
取材・執筆:石井理帆(尚絅学院大学人文社会学群人文社会学類3年)
編集:寺島英弥(尚絅学院大学客員教授、ローカルジャーナリスト)
協力:尚絅学院大学(http://www.shokei.jp/)