5月25日開幕の相馬野馬追 騎馬武者500人分のわらじ作り、伝承技を学ぶ住民らが一手に担う

寺島英弥(ローカルジャーナリスト】馬が熱中症になるほどの夏の猛暑を避け、今年は5月25日に開幕する相馬野馬追(国無形重要民俗文化財)。福島県相馬・双葉地方から出馬する500人の騎馬武者のわらじを、相馬市「郷土蔵」の教室で学ぶ住民らが一手に作っている。一般のわらじと異なり、合戦同様の激しい動きを支える特別製。地元農家に伝わった技を受け継ぎ、和気あいあいと編む。 

文化の一端を継承している気持ち 

取材に訪ねた「郷土蔵」は、相馬市中心部に立つ市歴史資料収蔵館の一角で、地域の民俗資料を保存展示する。閉館日の月曜に「わらじ作り教室」が毎月2回開かれ、11年目の今年はメンバーが20人が集う。南相馬市や新地町からも通い、古い民具に囲まれた展示室に畳や座布団を敷いて語らいながら、稲わらを編んでいく。 

伝承の技を学び和やかに作業を楽しむ、わらじ作り教室のメンバー=2024年5月7日、相馬市の「郷土蔵」(筆者撮影)
伝承の技を学び和やかに作業を楽しむ、わらじ作り教室のメンバー=2024年5月7日、相馬市の「郷土蔵」(筆者撮影)

「わらじ作りは初めて。やってみたら面白く、昔のことを懐かしく思い出す」。友だちに誘われて通う、市内の池田シウさん(86)は故郷宮城県丸森町の農家で祖父母がわらじを編む姿が浮かぶという。まず太くより合わせたわらのひもの輪を2つ、足の五本指を模した作業台に掛けて縦の芯縄にし、別のわらを4本、横糸にして織り込む。なくなれば別のわらを足しながら45分ほどで半足編み上げるという。 

昔のやり方で両足の親指にわらの輪を掛け、わらじを編む人もいる。荒恒正さん(74)は会社勤めをしていた時に「外で何かに関わりたかった」と教室に参加し、10年目になるベテラン。「今はふだん一人で農作業をやっていて、ここで仲間の皆さんに会えるのがうれしい。野馬追の文化の一端を継承している気持ちにもなる」 

講座の時間で2足のわらじを編み上げるという池田さん(手前)ら受講生たち(筆者撮影)
講座の時間で2足のわらじを編み上げるという池田さん(手前)ら受講生たち(筆者撮影)

運動性、瞬発性に耐えて頑丈な作り 

活動の代表は、郷土蔵を運営するNPO法人相馬生活文化応援隊の阿部純一郎さん(83)で肩書は「草鞋(わらじ)奉行」。旧相馬中村藩士の子孫で、野馬追に参加している騎士たちがつくる「騎馬会」が「野馬追の本番で履く、わらじが足りない」と困っている―と相馬市長から話を聴き、2015年3月、まず野馬追のわらじ作りの伝承者を訪ねて技術指導を請うた。同市玉野の農家、鈴木直江さん=当時86歳=と酒井春雄さん=同91歳=の二人だ。担い手募集のための公開講座と、今に続くわらじ作り教室を同年に開講し、鈴木さんと酒井さんは3年間、指導役を務めた。 

わらじは今の時代、お棺に入れる葬式用や、沢登りなどに用いられるが、合戦同様の神旗争奪戦がある野馬追で「わらじは、騎乗の運動性、瞬発性に耐え、頑丈さが必要。のっぺらぼう(平たい)でなく、人の足に合わせた形状のものを作ります」と阿部さん。踏みつける力が強く入るように、鼻緒をわらじの先端に付け、足裏の前の部分を広くする。土踏まずは絞り込み、後ろの部分はかかとの形がなじむように深く編む。 

「大変だったのは、材料のわらの調達でした」。福島第一原発事故の後で、旧相馬中村藩領の双葉地方の人々は地元から避難し、相馬地方でも風評や高齢化などが重なって稲作をやめたり休んだりする農家が多く、「以前から野馬追のためのわらじを作ってきた農家から、材料の稲わらも確保できなくなる事情がありました」。 

頑丈で鼻緒が太く、かかとを包むように作られる、騎馬武者用のわらじ(筆者撮影)
頑丈で鼻緒が太く、かかとを包むように作られる、騎馬武者用のわらじ(筆者撮影)

野馬追復活の歩みとともに10年で6千足 

相馬野馬追は東日本大震災と原発事故が起きた2011年、原発から北に離れて避難区域がなかった旧相馬中村藩領の宇多郷(相馬市)と北郷(南相馬市鹿島区)からわずか90騎の出陣で催された。それから野馬追は、中ノ郷(同市原町区)、小高郷(同市小高区)、標葉郷(双葉郡浪江町、双葉町、大熊町)まで14年間を掛けて復活している=注・最後に残る双葉町では5月26日に騎馬行列が行われる予定=。 

「わらじ作り教室」のために、阿部さんは近所の農家の協力を得て、約3千株の稲わらを確保することができた。スタートの15年に216足、16年に583足、17年に630足…と野馬追復活の歩みに合わせ、相馬野馬追執行委員会を通して、わらじを各騎馬会に提供してきた。「今年は開催日が早まったことで、メンバーたちが頑張り、先月に515足を寄贈できた」。10年で編んだわらじは総計約6千足になった。 

野馬追に宇多郷から毎年出馬してきた橘充さん(74)は「わらじは、農家で野馬追に出ている仲間に作ってもらってきたが、今の事情もあり、寄贈に感謝している。皆、自分の足に合うようにアレンジしながら履いているようだ」と語る。 

祭りを支える足元の文化と市民たち  

この日のわらじ作り教室に、市内の相馬高校2年の女子生徒3人が参加した。特設探求部(顧問・武内義明講師)の活動で、「先生から話を聞いて興味がわき、やってみたかった」といい、わらから縄をなう基本の行程を阿部さんから教わった。メンバーたちは楽しく談笑しながら手を動かすが、体験した生徒たちは「ちょっとミスをすると、ほどけてしまう」「思ったより力を抜けず、全身が疲れた」「手を水で湿らせながらの難しい作業と分かった」と大変さを実感したという。 

阿部さん(右から3人目)から手ほどきを受け、縄をなう相馬高校の生徒たち(筆者撮影)
阿部さん(右から3人目)から手ほどきを受け、縄をなう相馬高校の生徒たち(筆者撮影)

相馬野馬追は、旧藩主相馬氏の先祖・平将門が下総国(現在の千葉県)の野に馬を放って戦の訓練をしたことに始まり、神事となって千年余り続く。現在も震災、原発事故を乗り超えて同胞の心をつないでいる。生徒たちはその歴史にも触れた。 

引率した武内講師はこう話す。「野馬追って、馬や甲冑や旗に目がいくが、足元は見ない。祭りを支えているのが、わらじであり、作っているのがふつうの市民たち。さらに、農家のわら、それを利用した昔からの知恵もある。一番エコな履物と今の時代に見直されていい。そんな古里の遺産を若い世代に知ってほしいし、もっと多くの生徒が参加できるよう、わらじ作り教室を学校でも開いてもらいたい」 

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