【連載】新聞記者から社労士へ。定年ドタバタ10年記
「貴君の大学採用の件、極めて困難な状況になりました」。新聞社を60歳で定年退職したら、当てにしていた再就職が白紙に。猛勉強の末に社会保険労務士資格を取得して開業してからの10年間で見えた社会の風景や苦悩を、元河北新報論説委員長の佐々木恒美さんが綴ります。(毎週水曜日更新)
社会復帰へセミナー受講
再就職が駄目になり、悶々として、会社近くにある専門学校を訪ねたのは、退職1か月前ぐらいの頃です。「司法書士資格取得の攻略法」というセミナーがあるのを新聞で知って、勤務終了後、帰る途中寄ってみたのです。「資格を取れば、いずれ社会復帰ができるかもしれない」。
東京から来た40代とみられる講師のお話しで印象的だったのは、合格難易度が高く、資格取得までは長期間を要する、ということです。
「どんなに頑張っても最低2年はかかります。自分の場合は勉強でへとへとになり、家に帰ることができなくなって、駅構内で何度か寝てしまったことがあります」。最低2年といっても、3、4年はかかると察しました。60歳を過ぎた身にとってはあまりにも長過ぎます。もう少し易しく、取得可能な資格はないものか。
記憶にあったリーマン・ショック
実は、会社の人事担当者が私の退職後のことを気に掛け、労働審判員になるよう勧めてくれました。労働審判は、裁判官である労働審判官と、経営側、労働側が推薦する労働審判員2名で構成する労働審判委員会が、個々の労働者と事業主との間に生じた労働関係に関する民事上の紛争を迅速、適正に解決するため始まった制度です。月に1、2度ですが、地方裁判所に出向き、案件を審理します。
およそ1年前、世界に大不景気をもたらしたリーマン・ショック。「派遣切り」された労働者が社員寮などを追われ、東京・日比谷公園にできた「年越し派遣村」で炊き出しに預かっている様子が度々報道され、鮮明に記憶しておりました。正規・非正規社員の格差。労働審判員になるに当たって、労働関係の法律をかじっておきたい、と思っていたのです。
論述がない社労士試験
そしてたどり着いたのが、社会保険労務士です。社労士の試験は、労働基準法、労働者災害補償保険法、雇用保険法、国民年金法、厚生年金保険法など10分野から出題され、選択式(1時間20分)と択一式(3時間30分)で行われます。出題される分量が多いため、速読が求められますが、回答は論述がありませんから取り組み易いと言えます。
退職すると同時に、今度は別の専門学校に行き、テキストと講義録を収めたDVD二十数枚を買い求め、 大学受験に失敗し自宅浪人をして以来40年ぶりに再び浪人をすることになりました。とにかく時間はいっぱいあります。午前、午後、合わせて4、5時間DVDを視聴する毎日でした。
退職後5か月して8月末に仙台市宮城野区の仙台港近くにあるコンベンション施設「夢メッセみやぎ」を会場に行われた社労士試験。東北から集まった受験生が2000人を超えていたでしょうか。20代から60代、70代まで。皆、最後まで参考書を手放さず、シーンと静まりかえっています。
苦戦、苦戦。マークシート方式に慣れず、焦っていたのでしょう。午後の択一式は、自信を持って回答できる問いの箇所を塗りつぶし、飛び飛びにしていたところ混乱し、どの問題に取り組んだかあやふやになり、時間切れとなりました。「これでは駄目か」。試験会場の出口で専門学校が配っていた回答例を帰宅後にチェックし、失敗を納得しました。約2か月経って発表された結果は予想通り不合格。
ようやく合格できたのは2年目です。躓いた年金、特に何度も改正され、継ぎ接ぎだらけとなった厚生年金の制度などに時間を割きました。それにしても、制度は特例が多く、煩雑です。
今度は、若い方々に交じって模擬試験を3回受験。合格すれすれのラインに達していましたが、本番の試験はぎりぎりで通ったようです。2回目も失敗したら、諦めようと考えていましたからほっとしました。
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