- 2024年8月26日
コロナ禍乗り越え再開、閖上の住民とお茶会にぎわう 尚絅学院大ボランティア「TASKI」リーダーの思い新た
【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】尚絅学院大学(名取市)の学生ボランティアチーム「TASKI」。東日本大震災の翌2012年に発足し、地元の被災地・閖上の住民への訪問支援を重ねてきた。が、昨年までの3年間、コロナ禍のあおりで活動がほとんど見合わせに […]
【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】尚絅学院大学(名取市)の学生ボランティアチーム「TASKI」。東日本大震災の翌2012年に発足し、地元の被災地・閖上の住民への訪問支援を重ねてきた。が、昨年までの3年間、コロナ禍のあおりで活動がほとんど見合わせに […]
こんにちは。通信員の鈴木千絵です。2024年5月に仙台市内で行われた「働き女子(単身・独身)のための防災カフェ」(以下「防災カフェ」)というイベントに参加しました。防災カフェはお茶を飲みながら、災害時の女性の悩みをシェアする交流の場です。主に、地域と […]
【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】福島第一原発事故で「帰還困難区域」となった福島県浪江町津島。地区のわずか1.6%が昨年3月末、国から「特定復興再生拠点区域(復興拠点)」に指定され、除染とともに役場支所などが開いた。が、この1年で風景は変貌した。 […]
能登半島地震から3カ月。私たちに何ができるのか?東北の農山漁村をくまなく歩き、地元の暮らしに寄り添う「地元学」を提唱してきた仙台市の民俗研究家・結城登美雄さん(78)に話を聴く記事の後編です。 (聴き手・ローカルジャーナリスト 寺島英弥) […]
2024年の元日、新たな震災が能登半島を襲い、多くの命と生活の場を奪った。東北の風土と通じる自然、古い町や集落、住民の声に、13年前の東日本大震災で経験した苦難をよみがえらせた人も多いのでは。あれから3カ月、私たちに何ができるのか?それには、表層を切 […]
【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】また、3月11日がめぐってきた。2011年の東日本大震災が起きた、あの日から丸13年。陸前高田市のジャズ喫茶「h.イマジン」店主の冨山勝敏さん(82)は、今年も、店を閉めて隣接する本丸公園(標高40㍍)の石段を上 […]
穏やかな風景と暮らしと人々 【吉野葵(尚絅学院大学健康栄養学類1年)】「ふるさと」を失った経験があるだろうか。ふるさとを離れると、ふと恋しくなり、帰りたくなる瞬間がある。しかし、なくなってしまえば、それが叶うことはない。2011年3月11日の東日本大 […]
【佐藤和文】東日本大震災の翌年、2012年から宮城県大崎市岩出山地区で活動してきたグループ「ジェムストーン」が2024年3月10日、活動を締めくくるコンサートを岩出山文化会館(通称「スコーレハウス」)で開きました。バンド活動にはそれぞれの経緯と事情が […]
【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】2011年3月11日の東日本大震災で、犠牲者を1人も出さなかった岩手県大船渡市綾里の白浜地区。明治、昭和の三陸津波で多くの命を奪われ、生き延びた住民たちが集落の高台移転を決断。「復興地」と名付けた場所に、13年前 […]
津波があと少し、階段を上がっていたら 【鹿野愛心(尚絅学院大学健康栄養学類1年)】「津波が来たぞ―!!」 叫び声が聞こえ、一人の男性が必死に走る姿が家の窓から見えた。2011年3月11日に起きた東日本大震災。当時5歳の私は、ただ母の後ろについて2階に […]