コロナ禍乗り越え再開、閖上の住民とお茶会にぎわう 尚絅学院大ボランティア「TASKI」リーダーの思い新た

寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】尚絅学院大学(名取市)の学生ボランティアチーム「TASKI」。東日本大震災の翌2012年に発足し、地元の被災地・閖上の住民への訪問支援を重ねてきた。が、昨年までの3年間、コロナ禍のあおりで活動がほとんど見合わせに。ようやく7月下旬、閖上集会所での「お茶会」が復活し、住民との和やかな交流が再開した。3年生の新リーダー、中野愛菜さん(21)は気仙沼市出身。古里での体験を重ね、能登半島地震の現地で子どもの支援にも参加している。東北の震災も風化する今、「経験をTASKIの仲間に伝え、閖上へつなげたい」と話す。

閖上集会所に響く住民と若者の歓声

13年前の3月11日、高さ約9メートルの津波で歴史ある漁港の街がすべて流され、住民750人が犠牲になった名取市閖上。現地に再建された街並みに5年前、新しい住宅や災害公営住宅の住民たちの閖上中央町内会(長沼俊幸会長)が発足した。復活した「ゆりあげ港朝市」や新設の「かわまちてらす閖上」など観光商業施設にも多くの人が訪れている。

街の一角にある閖上中央集会所で7月下旬、住民と大学生が交流した。訪れたのは、尚絅学院大のボランティアチーム「TASKI」のメンバーたち。ペットボトルのお茶や菓子を持参しての「お茶会」だ。15人ほど集った年配の住民に交じり、最初は緊張気味ながら、次第に和やかな茶飲み話の輪が生まれた。

盛り上がったのは、後半に企画された「卓球バレー」。ネット付きの卓球台を使い、両サイドに6人ずつのチームが向かい合って座り、長い板のラケットでボールを打ち合う。年齢に関係なく楽しめるスポーツで、打ち損ねや相手のミス、ナイスプレーで得点が動くたびに、「やった」「惜しい」と歓声、笑いが溶け合った。

「お茶会」を盛り上げた住民・学生合同の卓球バレー

TASKIのお茶会は久しぶりだ。昨年まで3年間、コロナ禍のため大学の授業の多くが遠隔となり、学外活動も制限された。コロナが「五類」扱いなった昨年も、新人勧誘を兼ねた恒例の閖上バスツアーは行われが、お茶会は見合わせになった。

「昨年は学生さんと交流できず残念でした。私たちもマスクをして飲食も避け、ほそぼそと集いを続けた」と、町内会副会長で民生委員の桜井幸子さん(68)。「若い人が来てくれると、皆がエネルギーをもらえて活気が出る」と喜んだ。

交流に部室に活気よみがえる

住民の集いは、町内会の発足前から、桜井さんら有志がコミュニティーづくりのために続ける空き地にテーブルとパイプいすを並べた茶飲み話の場から始まり、市サポートセンター「どっと.なとり」が月1回のサロンとして引き継いでいた。コロナ明けの今春、新たに「ほのぼの会」という毎月1回の語り合いの場が生まれた。

桜井さんも津波で家を奪われた一人。仮設住宅を経て、閖上に建った公営住宅に入居した。「閖上の人の絆は、9カ所の仮設住宅に分かれ住んでバラバラになり、公営住宅の部屋にこもる人も。そのつなぎ直しは今も続いています」

「お茶会」で語り合った閖上の住民とTASKIのメンバー=2024年7月23日、名取市閖上の集会所

TASKIのお茶会は「ほのぼの会」に参加した形で、この日は外の草刈りも手伝った。リーダーの中野愛菜さんは「一緒に体を動かして笑い、喜んでもらえ、自然につながることができた。私たちの大切な役目として続けていきたい」と語った。

大学キャンパス(同市ゆりが丘)にあるTASKIの部室にもにぎわいが戻った。閖上の住民支援を担ってきたTASKIは、必修科目の授業「尚絅学」で新入生に紹介され、今年度は1年生が5人も入会して総勢44人になった。「去年までは顔を合わせる機会のない人も多く、部室が寂しかった。やっとコロナが落ち着いて、活動にアクティブに参加するメンバーが多い」と、3年生になった中野さんは話す。

8月には、閖上で催された「なとり夏祭り」にゲームやお菓子を準備して参加し、大勢の子どもと交流した。秋にはお菓子を配るハロウィンのイベント、12月にバスツアーを行い、住民と新しい防災グッズを作るワークショップを企画する。「毎週、部室で打ち合わせがあります。授業の合間にもメンバーが友だちを誘って集まり、活気が戻りました」

気仙沼で震災を体験、能登の子どもたちを支援

メンバーたちが集い、語り合うTASKIの部室=名取市ゆりが丘の尚絅学院大

中野さんは3月に能登半島を訪ねた。正月の大地震に襲われた被災地から小中学生50人が集う、国立能登青少年交流の家(石川県羽咋市)の「リフレッシュキャンプ」にボランティアとして参加した。班のリーダー役になって生活を共にし、遊んで友だちづくりを応援し、夜は語り合いに耳を傾け、子どもたちに寄り添った。

「楽しみを思い出し、つらいことを忘れる場なのに、食事の時や寝る時、子どもたちは被災の体験や自宅の様子を語りました。私も古里・気仙沼の鹿折で小学1年生の時、東日本大震災を経験し、そのころの自分に会ったような思いでした」

中野さんの自宅は高台にあり津波を免れたが、同じ学校の友だちの多くが家や家族を失って、避難所、仮設住宅から通学した。「家が残った私は何も言えず、震災のことを話せず、苦しかった。中学、高校になって防災教育の時間があり、やっと『私もしゃべっていいんだ』と思えて、自分と古里に起きたことに向き合えた」。そして、13年前を思い起こさせた能登半島地震の惨状に、「じっとしていられなかった。私にもできる支援をやりたいという思いがこみ上げました」。

被災地の声を仲間に届け、閖上へつなげたい

2回目の能登行きは5月で、地元の高校生と交流した。「復興が遅れている」という声を彼らから聴いた。自身も送迎を担当して輪島市など被災地を訪れ、街並みが倒壊したり焼けたりした状況、人の姿が見えない印象を目と心に焼き付けた。

「でも、悲観的にとらえる高校生は少なかった。『今もじいちゃん、ばあちゃんは家にいるから』『つぶれただけで、大切なものはある』という子と、『早く復旧して』という子が半々。気仙沼も13年経って、復旧は今なお現在進行形。多くの支援とともに、移住して新しい街づくりの力になっている人も多い。時間はかかるけれど、能登を良くしたいと願っている子に多く出会えて心強かった」

夏休みの8月にも能登でボランティアをした中野さんは、「東北の経験、教訓、課題を次の被災地につなぎ、同じ失敗を繰り返さない仕組みづくりを考えることも大切」と思いを込めて話す。「メディアだけでなく、私たちも現地の声をもっと届けなくては」と話す。「TASKIの仲間たちにも伝え、閖上との交流につなげたい」

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