【PR記事】9月28日(土)に予定され、今年で3度目の開催を迎える「東北未来芸術花火」。華やかな花火大会をゼロから創り上げ、継続させてきた裏側には、長年の情熱と強い信念が刻まれている。総合プロデューサーの中田源(なかた・はじめ)さん、そして、会場である宮城県亘理町荒浜地区「鳥の海公園」で半世紀にわたり花火を打ち上げてきた「佐藤煙火」六代目の佐藤晃朗(さとう・てるお)さん。お二人が歩んできた軌跡と、積み重ねてきたストーリーを伺った。(黒田あすみ)
▶︎前回の記事はこちら
『持続可能な地域創生』を目指して
東北未来芸術花火総合プロデューサーの中田源さんが所属する GREAT SKY ART(グレートスカイアート)は、国内唯一のツアー型花火大会「芸術花火シリーズ」の企画・演出・運営を手がけるスペシャルチーム。
2014年の札幌初開催を皮切りに、茅ヶ崎・浦安・名古屋・京都・大阪・福岡・宮﨑など全国各地で展開。2023年には年間13万人(有料観覧のみ集計)の動員を達成し、四季を通して花火ファンから愛される花火大会へと急成長した。
チームが目指す先にあるのは『持続可能な地域創生』。芸術花火が次世代に受け継がれる風物詩となるため、地域と相互に高め合う関係性を築いていく過程を大切にしている。
地元行政・企業・市民の協力を得て安全な大会運営に取り組み、特産品をPRするフードイベントや住民参加型のステージを大会コンテンツとして企画し、開催地の魅力を発信し続けてきた。
芸術花火のメインを飾るのは、国内最高峰の花火師たちが丹精込めた一級品の芸術玉。さらに、花火コレオグラファーの大矢亮(おおや・りょう)氏が演出する、花火の滞空時間や残光を30分の1秒単位で音楽とシンクロさせた圧巻のエンターテインメントが、会場中を感動の渦に巻き込む。
2022年より東北未来芸術花火の開催地となった宮城県亘理町荒浜地区は、東日本大震災の津波で最大7.3メートルの高さまで浸水し、甚大な被害を受けた。
荒浜は古くから水産と観光で町の賑わいの中心地だったが、復興が進められた現在の「鳥の海」周辺も、町の再起の拠点となっている。なかでも、災害危険区域〔※〕に指定された27ヘクタールが都市公園に生まれ変わった鳥の海公園を会場に、東北未来芸術花火は毎年、町の夜空をきらびやかに彩っている。
〔※〕居住用建物の新築・増改築ができない区域。既に建つ住宅を修繕して住み続けること、店舗など居住用ではない建物を新築することはできる。
亘理町公式ウェブサイトより
中田さんが目の当たりにした亘理町の被災
東北未来芸術花火の総合プロデューサーを、初開催から連続して務めている中田源(なかた・はじめ)さん。数多の困難とも真摯に向き合ってきた、その背景を聞きました。
ーー 芸術花火シリーズのタイトルに「未来」が使われたのは、東北が初めてだそうですね。
中田さん(以下、省略):「未来」のコンセプトは、僕のルーツになった「東北とのつながり」が由来なんです。僕は札幌市出身で、東日本大震災発生時も札幌にいました。地震が起きて、ニュースで見て、「すごいことが起きたな」と。ここまでは遠方の反応として一般的ですよね。ただ僕が違ったのは、同僚の実家が鳥の海周辺だったんです。
両親と連絡が取れなくて当惑する同僚の姿がとんでもなくリアルだった。でも、僕らは何にもできない。そういう状況を目の当たりにして初めて、「本当にとんでもないことが起きちゃった」という印象に変わりましたね。
そこで僕はすぐさま募金と支援物資を集めて、しかるべきところへ幾度も送りました。元々ファッションや音楽のイベントを札幌で主催していたつながりがあったので、自粛するよりはできることをやろうと。それでもどこか現実感がもてない自分に引っかかりを感じて、実際に被災地へ。同僚の帰郷とともに東北へ向かいました。
ーー そうして、2011年5月に初めて亘理町へ足を踏み入れられた。
同僚のご両親は幸いご無事だったんですが、住まいは流されてしまっていて。やはりその現地に立つとむちゃくちゃショックでしたね。驚愕するほど何もない。同僚も20年近く通った地元の道が全く分からなくて、自分がどこにいるのか、自分の家がどこだったのかさえも。
二人で必死に探したらなんとか落ちている表札が見つかり、「ああ、ここだったんだな」って飲み込む彼の姿を前に、なんとも言えない気持ちになったのを覚えています。
札幌へもどった後は「自分に何ができるのだろう」と考えあぐねました。けれども、その時の僕が被災地へ届けられるのは、最低限の生活が成り立った上で楽しめるものばかりだった。
だから「今の仕事を辞めて、東北の地でできることをやってみよう」と決断し、2011年7月には車とテントを頼りに再び東北へ。支援物資の配布や泥かきなど何でもやりながら、宮城県気仙沼市、次は石巻市と移って、最終的には、半移住のようなかたちで岩手県陸前高田市に辿りつきました。
よそ者だからこその復興支援プロジェクト
ーー 陸前高田市にはどのくらい滞在されましたか?
約3年ですね。被災地の皆さんは自分たちが苦しいのにもかかわらず、よそ者たちにものすごく優しくしてくれました。それで僕も何かしらで地域に還元したくて、この期間に2つのプロジェクトを立ち上げています。
まず、皆さんは等しく家も仕事も失っていた。男性や若い方は力仕事をしていたけれど、高齢の女性や障がいがある方の働くあてが見つからない状況がありました。これを受けて「進まないがれきの処理と雇用の課題を一手に解決できるのでは」と考案したのが、復興支援グッズ「瓦Re:KEYHORDER(ガレキーホルダー)」の製作・販売です。
本来がれきはごみではなくて、暮らしの跡が残る大切なもの。「Re」に「Re:MEMBER(忘れない)」の想いを込めて、がれきをキーホルダーに仕上げる工程を僕らよそ者が地元の方々へ発注し、手仕事で収入を得てもらったんです。
すると、全国から集っていたボランティアスタッフによる拡散やその先の支援から世界へと販路が広がり、日本で最も売れた支援グッズとして約10万個を売り上げることができました。
とはいえキーホルダーは無限に売れ続けるものではないだけに、始まりの段階から終わりを見据えていました。売上の一部を貯蓄し、力を合わせて編み出した予算を使うのだから、街に意味のあるものを創りたかった。そうして1年近く街の人々と会話を重ねるなかで、「世代を超えて集まれる場所が無い」ことが最も気にかかったんです。
そこで、2013年に全て手づくりでオープンしたのがコミュニティカフェ「ハイカラごはん職人工房」でした。カフェをきっかけに地元で就労したい若者が出てきてくれたし、子どもたちが来店したらとんでもなく料金を安くするなど、とにかく楽しんでもらうのが第一義。結婚パーティーも最高でした。
しばらくして、「こういう街にしたい」「こんなチャレンジがしたい」なんて会話がわきおこる光景を見届けられたのを区切りに、地元スタッフへカフェ運営を引き継いだ。そうして僕は、2014年に札幌へと帰郷しました。
東北で見上げた花火の素晴らしさを札幌でも
ーー 札幌に戻られてからはどう過ごされていたのですか?
「東北のチカラに」と駆け抜けた3年を経て、僕は人生が変わりました。「故郷ではない土地であんなにも熱くなれたのに、なぜ生まれ育った札幌で行動してこなかったんだろう」という原点に立ちかえり、ここから花火の縁につながっていきます。
2011年「LIGHT UP NIPPON(東北沿岸部11ヶ所で同時に花火玉を打ち上げた慰霊祭)」が始まって、2012年は陸前高田でも打ち上げられることになり、初めて僕も花火のサポートに入りました。この時の感動から、東北で見上げた花火の素晴らしさを札幌の人たちにも伝えたくなって、地元の仲間たちと「LIGHT UP NIPPON HOKKAIDO」を立ち上げています。
さらに当時の僕の勤め先で、事業の一環として手がけていたのが芸術花火シリーズでした。コロナ禍で一層加速したところもありますが、この時すでに花火大会の数は減少していたんです。
世界に誇る日本の花火文化が途絶えてしまう危機感から、「花火師たちの卓越した技術を世に示すことで、花火文化を再燃させよう」と、2014年に、個人協賛というかたちで全席有料制のモエレ沼芸術花火(現・北海道芸術花火)初開催を実現させました。年を追うごとに開催地域と規模が拡大していき、やがて株式会社GREAT SKY ARTを設立。芸術花火に特化したスペシャルチームを立ち上げて現在に至っています。
内閣総理大臣賞など数々の受賞歴を誇る国内トップレベルの花火師たちが集結し、約50分間ノンストップで音楽と花火が見事にシンクロする、大迫力かつアート性の高いオリジナルプログラム。これを、僕ら一丸となって生み出しました。全国的にもこうしたライブパフォーマンスは稀で、いや、ほぼ例がないと言っても過言ではない自信がありますね。
東北未来芸術花火は亘理町と「未来」を進む
ーー いつ頃から東北初開催が企画されたのですか?
「いつか東北で『芸術花火』をやりたいね」という声は、チーム内で早い段階から上がっていたんです。2019年より候補地を下見に巡り、鳥の海周辺には2011年以来の訪問となりました。そこで僕は、とにかく胸にジーンときてしまって。「まさかあの何もかも失われた景色が、こんなにもきれいになっているなんて」と。
僕らが企画を詰めるにあたって、最も大切にするのはロケーションなんです。単純に「きれいな花火を見てもらいたい」のが一番だけれども、その深いところにはちゃんと理由があります。「悲しいことはあったけれど、ここでたくさんの人が笑顔になれる花火が打ち上げられたら、ものすごく良いんじゃないか」という希望が、亘理町を会場に選んだ理由のひとつ。正直なところ僕の個人的な感情はデカいですね(笑)。
ーー震災からこれまで、そしてこれからを見つめての「未来」だったのですね。
開催地の申し入れをした際、亘理町長の山田周伸さんが寄せてくださったメッセージに「復興から発展へ」というキーワードがあって。「震災から10年以上経って確実にフェーズは変わっている。心の部分で変わっていなくても、10年前と今は絶対に同じじゃない。ここから新しいかたちで亘理町を知ってもらう意味で『芸術花火』のようなチャレンジは大事なんだ」とも。これらが深く自分に刺さったんです。
僕自身、東北と心の底から携わった3年があったけれど、その後の関わり方が難しかった。どうしても自身の東北が風化していくなかで、山田町長を筆頭に町役場や観光協会の皆さんから半端ない熱量を頂戴して、本当に嬉しくなりました。「東北の地で新たな文化を築けるかもしれないし、共に一生の付き合いができるかもしれない」という夢のような可能性が、選定の決定打になりましたね。
そしてなにより、子どもたちにめちゃくちゃ観てもらいたかったんです。「この町で生まれてよかった」「ここでチャレンジがしたい」と、そんな明るい未来を、夜空の輝きと一緒に描いてほしかった。通常、地域の名前を芸術花火と結びつけてタイトルにしますが、僕たちチーム全体の想いをのせた「未来」を足して、タイトルを東北未来芸術花火に決めました。
ーー 東北未来芸術花火として、2024年に3度目の開催を迎えます。
花火大会を毎年開催できている状況って、実は当たり前じゃなくて。物価の高騰や運転手不足、昔なら普通にできたことが難しくなってきています。でも回数を重ねるごとに、僕らと一緒に面白がってくれたり、楽しんで力を貸してくれたりする地元の方が増えているのを肌で感じますね。
1度目は曇天の影響もあって、ちゃんとした花火を観せられなかったじゃないですか。
それでも2度目を開催できて、やっと観せたかった光景が創れて、荒浜小・中学校の生徒たちを招待できました。ものすごく喜んでくれる子どもたちの笑顔が嬉しすぎたので、3度目は町全域の小・中学校の卒業年度の生徒たちを招待したし、いつかは亘理町の子どもたち全員を招待したい。彼らが将来、僕らと一緒に大きなチャレンジをしてくれる未来も、絶対に実現したいですね。
「佐藤煙火」と亘理町の深い縁
宮城県亘理町荒浜地区で、半世紀にわたり花火を打ち上げてきた「佐藤煙火」六代目の佐藤晃朗(さとう・てるお)さん。地元に根ざす花火師として、東北未来芸術花火にかける想いを聞きました。
ーー 東北未来芸術花火に参加される以前から、佐藤さんと亘理町には深いご縁があったそうですね。
佐藤さん(以下、省略):はい、わたしの父が亘理町の出身なんです。父方の祖父母や親戚は今も亘理で暮らしています。母方が代々花火屋の家系で、「佐藤煙火」は江戸時代末期、陸前国名取郡志賀(現:宮城県岩沼市志賀)の地に創業しました。
わたしが六代目になります。百三十余年かけて培った伝統の技を活かし、国産・自社製の花火にこだわってきました。その歴史とともに半世紀にわたり、毎年8月15日は地元の花火屋として、「わたりふるさと夏まつり」の花火を佐藤煙火が打ち上げさせていただいています。
もう古い考えかもしれませんが、ご先祖さまはもちろん町外に出た学生なんかもみんな帰ってきて、実家でわちゃわちゃして、鳥の海の花火を観て、またそれぞれの居場所に戻っていく。お盆の風習には、祖霊を尊び感謝する鎮魂の祈りがあります。わたしも子どもの頃、花火のハイシーズンは父方の実家に預けられていたので、両親らが鳥の海の夜空に打ち上げる花火を観て育ったんですよ。
夏まつりの中止から復興花火の打ち上げへ
ーー 東日本大震災が発生した2011年、わたりふるさと夏まつりは中止の判断がされました。
父方の実家は「鳥屋崎」という海寄りの地域で、完全に津波の浸水域でした。震災では家屋の一階が流されてしまい、二階に避難した祖父母は、神奈川県警によって4日後に無事救助されました。
以前はもっと、良い具合にごちゃごちゃした浜の方だったイメージが残っているんです。裏道もすごく多くて。震災当時はもう本当に津波できれいになっちゃったというか、何もかも無くなってしまった。
みんなで過ごしていたお盆も、そうですね。夏まつりも花火も無くなると聞かされて、絶望しましたね。震災から一ヶ月後がわたしの佐藤煙火への入社時期だったので、修行を終えて、当たり前に鳥の海で花火を打ち上げられるものと思っていましたから。
それでも6月頃に「花火だけはやろう」とお声がかかり、初めて内陸で打ち上げました。ろうそくを灯す方や復興の願いをろうそく文字に描く方がいて、町の皆さんが自主的にされていましたね。亡くなった方とつながるための花火。思い出すための花火。夜空を見上げながら、静かに涙を流されていた様子は忘れられません。
数年かけて、内陸から、東北未来芸術花火の打ち上げ場所でもある鳥の海の堤防へと、花火会場が戻っていきました。それにつれて段々と、鎮魂のみを祈る花火から「もっと元気を出していこう」「少しずつ前を向いていこう」っていう花火に、在り方に変わっていったように感じます。
ーー 佐藤煙火の花火を通じて、佐藤さんご自身も亘理町に寄り添ってこられたのですね。
実際のところ、自分にとっての亘理町は地元というか、家族みたいに近すぎる存在です。だからこそ、うまく客観視できないところもあって。近年、鳥の海にはいろんなスポーツ施設や飲食店ができて賑わいが増したし、堤防も高くきれいになりました。
そうして東北未来芸術花火が始まった2022年頃から特に、「復興したきれいな亘理町を見てほしい」という願いが、自分の中で強まっていくのを感じるんです。とはいうものの、子どもの頃からの想い入れ、本当にショックだった被災、復興して喜ばしい気持ち……それらが全部ごちゃ混ぜになっているのが、素直な心持ちですね。
震災の被害や亡くなった方々のことは、決して忘れちゃいけない。でも、せっかく訪れてくれた方々には、今の亘理町の良いところを存分に楽しんでもらいたい。東北未来芸術花火をきっかけに亘理を知ってくれた方もいるでしょうし、震災前の様子を知っている方には、「こんなに頑張ってきたんだよ」って、鳥の海に打ち上がる花火を通じて感じ取ってもらえたらと願っています。
『亘理町に東北未来芸術花火あり』
ーー 長く大切に関わってきた場所へ全国から花火師たちが集うこと、どう感じながら迎え入れましたか?
当初はいろんな感情が入り混じっていました。先ほどのように亘理町は家族みたいなものなので、家に友だちが来るみたいな感じで、おかあさん取られるのかなみたいな若干の心配は、なんかこう(笑)。取られないんですけどね、別に、おかあさんは(笑)。
「佐藤煙火だけじゃ足りなかったのかな」とハンカチを噛む気持ちも少しありつつ、「実力派の花火師たちが、これだけ鳥の海にそろうのってどうなっちゃうんだろう」なんて、なによりワクワクしましたよ。わたしが修行させていただいた「伊那火工堀内煙火店」さんとも、地元でご一緒できることが嬉しかったですしね。
ーー 各社が提供する花火玉が贅沢にコラボする芸術花火のプログラム。現場の花火師たちはどんな様子なのでしょうか?
芸術性の高い花火師たちが集結していますから、打ち上げの現場はおのずと競い合う空気に包まれます。そもそも負けん気が強いからこそ、極上の花火を目指してひるまず突き進みますし、バチバチに新作を出す花火屋も少なくないんです。「自分らの花火が一番!」って、みんながみんな胸に秘めていますよ。
その一方で、他社の新たな挑戦に鼓舞させられたり、他社と自社とを比較して修正点に気づかされたりする場面もあります。口に出すことなく感化し合うというか、花火そのものでガチンコファイトするというか。インスピレーションを受けて、与えて、高みを目指す。進化にとことん貪欲な現場なのは、回数を重ねても変わらない根っこの部分だなと感じますね。
ーー 2022年6月の初開催は、悔しい結果となりましたね。
あの日はなんと言っていいのか、なんの言葉も浮かばなくて、我々花火師はみんな落胆していました。気持ちが沈んでしまって、翌日に予定していた片付けをその日のうちに終えたんです。東北未来芸術花火のために最高の花火玉を仕上げていたので、それを満足に観ていただけなかったことは、誰もが失意の中で語りたくないという感じでした。
「わたりふるさと夏まつり2024」佐藤煙火による当日設営の様子(2024年 記者撮影)
一転、成功した2度目の開催は「リベンジが果たせたな!」という高揚した雰囲気にあふれていて、花火師たちのテンションは最高潮でしたね。そして再び、翌日予定していた片付けを、その日のうちに喜び勇んで終えたんですよ(笑)。どっちにしろ片付けるのかよ!っていう(笑)。わたしも安堵の気持ちにひたりました。2度目にしてようやく、東北未来芸術花火が観てもらいたかったプログラム、音楽とリンクする花火の魅力を伝えられた達成感がありましたね。
「わたりふるさと夏まつり2024」佐藤煙火による当日設営の様子(2024年 記者撮影)
ーー 3度目となる2024年開催が、9月28日に迫っています。
もっともっと上のレベルを目指して、東北未来芸術花火を観に来てくださる方々の驚きと感動を、毎年更新し続けなければいけないと思っています。わたし自身、前回を超える花火以外は絶対に出さないと決めています。『亘理町に東北未来芸術花火あり』という印象を定着させるため、大切な地元のために全力を尽くしていきたい。東北未来芸術花火では尺玉〔※〕も打ち上がりますから、花火師たちが磨き上げた技術の真骨頂を、心ゆくまで楽しんでもらえたら嬉しいですね。
〔※〕10号玉の通称。直径が一尺(約30cm)あり、上空で花火が開いた時の直径は約300m。花火大会では主に3〜5号玉が使われるため、尺玉は花形となる。
東北未来芸術花火2024 開催詳細
開催日:2024年9月28日(土)
開催時間:開場14:00、開演18:30~終演19:30予定 ※雨天決行、荒天の場合中止
開催場所:宮城県亘理町 鳥の海公園/宮城県亘理郡亘理町荒浜築港通り9−2
【東北未来芸術花火 公式ウェブサイト】
https://www.tohokumirai.geijutsuhanabi.com/
【東北未来芸術花火 公式SNS】
X https://x.com/tohoku_hanabi
Instagram https://www.instagram.com/tohoku_hanabi/
Facebook https://www.facebook.com/tohokumirai.hanabi
▶︎前回の記事はこちら