サクランボ40年の山形の農家、75歳の「卒業」を決意。高齢化、後継者不在の現実進む 

寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】「体力の限界。75歳になった今年が潮時…」。縁ある山形県村山市のサクランボ栽培農家から、突然の「卒業」の知らせをもらい、先月、取材に訪ねた。筆者は今年、農家の「佐藤錦」を贈答品にさせてもらい、送り先から喜ばれたばかり。青森のリンゴなど東北の果樹地域から、栽培農家の高齢化、後継者不在による廃園のニュースが届く中、観光で人気のサクランボも現実は同じよう。40年余り、手塩に掛けた園地の木々も切るという農家の思いを聴いた。 

たくましい木々に感慨は深く 

高橋久一さん(75)のサクランボ園は、仙台から車で約1時間半、最上川そばの村山市大槙にある。小さな丘の約30㌃の斜面に雨除けのパイプハウスが連なり、佐藤錦や紅秀峰の収穫を終えた後の太い木が55本ほど並ぶ。幹も枝もどっしりとたくましい木々を、Tシャツ姿の久一さんは、栽培農家の苦労と喜びを分かち合ってきた妻善子さん(75)と感慨深く眺めていた。 

「太い木だけ残し、あとは切るつもり。来年は趣味のつもりで、親しい人たちに喜んでもらえるくらい作りたい。木はまだまだ丈夫だが、こちらが負けたんだ」 

サクランボの木の下で語り合う高橋久一さん、善子さん夫婦=2023年9月、村山市大槙

今年も、サクランボの旬の6月は忙しかった。毎年の収穫は1200~1300㌔に上り、その6、7割を1㌔の箱詰めの贈答品の注文が占める(残りが農協出荷)。送り先は、久一さんの友人がいる東京や千葉県、娘さんの友人が暮らす愛知県などが中心だという。「そうした親しい人が紹介役になって、知り合いにいっぱい広めてくれた。毎年注文をしてくれる人ばかりで、多い人は70㌔も。うちは人に恵まれ、助けられた」  

栽培農家が繁忙を極める「旬」 

サクランボの旬は、サトウニシキが6月半ばから末、7月になると紅秀峰が上旬いっぱいという。その間、栽培農家の生活はどんなものなのだろう。「ひと月前から葉っぱを摘んで満遍なく日に当て、きれいな色づきに気を配る。旬になれば朝は4時ごろ起き、最盛期の2週間は手伝いのアルバイトを3、4人くらい頼んで収穫と箱詰め、発送に明け暮れ、家に入るのは夜8時。それから伝票を整理、チェックをし、『注文の品が届かない』という電話も入るし、ご飯が10時ごろ。寝るのは夜中だな」 

良質なサクランボ栽培に取り組んできた久一さんの自己紹介カード

収穫前の厳しい品質管理もある。防除薬の種類と散布料、回数、記録と報告を地元のJAみちのく村山が細かく定め、全部の木にスピードスプレーヤー(散布車)を使って10回くらい。久一さんは水田1㌶も営むが、繁忙さから稲作は人に委託してきた。病害虫だけでなく、実割れしやすい梅雨の天気にも神経を使い、「収穫時期が終わると、やっと一息つけるんだ」。 

どこも後継者がいない現実 

75歳になったら、きっぱり栽培をやめようー。そう決めていたのだという。 

「ここは小さな丘を開拓した果樹畑で、傾斜地に木を植えてあり、上り下りの疲れに加え、脚立に上がっての作業も危ない。雨除けのビニール(天幕)掛けも7棟分あり、その作業をほとんど一人でやってきた。去年、今年と風が強くて、(天幕が)はがされたり破れたりで、いやになったよ。苦労もきりがない。70歳くらいから、いつやめようか、と考えていた」 

何よりも後継者がいないという現実が、品質の良さを守らねばならない不断の努力に加え、「収穫の量をこなさなくてはならない」サクランボ栽培を続けていくことを難しくした。高橋家の子どもたちは親元を離れて暮らし、長男も農業の道を選ばなかった。地元では仲の良い同級生3人でサクランボ栽培を営んできたが、「どこも後継者はいない。サクランボは魅力的に映るかもしれないが、苦労ほど収入も上がらない。生産費の高騰もある。露地で栽培できるスイカの方がずっと条件は良いかもしれないな」。 

お得意客に送られた最後の挨拶状

得意客から「最後」を惜しむ手紙 

農家の長男だった久一さんが就農したのは、村山市のある山形の内陸地方の農業が昔ながらのコメと養蚕だったころ。冬の出稼ぎもまだ盛んで、久一さんも愛知県の自動車工場に働きに行った。父親は果樹農業の走りだったデラウエアを取り入れるなどの模索をしていた。やがて地元では加工用サクランボの「ナポレオン」を経て、甘くて輸送にも耐える「山形生まれの生食の星」、サトウニシキが主役に。久一さんは仲間との「みちのく村山さくらんぼ研究会」で研鑽しながら、パートナーとなった善子さんと二人三脚で本格栽培に取り組んだ。それから40年余り―。 

久一さんの自宅には、長年のお得意様たちへの最後の発送に添えた挨拶状に多くの返信が届けられた。〈あまくておいしいサクランボ、いつも心待ちにしていました〉〈食べ納めかと思うと、とても残念です〉〈八十七歳の親が「これからも食べたい」と訴えています〉〈長い間、ご苦労さまでした〉 

久一さんに届いた、多くの「残念」のメッセージ

便りの束を見せてくれた久一さんは、「ありがたいばかり、申し訳なさと感謝の気持ち。でも、サクランボをやめると決めた今はホッとしているよ」と語った。「 ただ山形の果樹産地をあちこち見てまわると、同じように後継者のない果樹園があちこちで伐採されて荒れ地に変わり、農家の手作業が支えてきた『果樹王国』のこれからに心配と寂しさを感じる」 

これから2人で「楽しむ農業」を  

来年からは木を三分の一ほど残し、農協に出荷しつつ、親戚や親しい人たちに喜んでもらうための栽培をしたいという。「農協の『ふるさと納税』の返礼品にも役立ててもらうんだ」と久一さん。

善子さんも、年齢と体力の限界という夫の決断に賛成し、「これからは気持ちを楽にして暮らせるね。やっと念願の旅行もできそう」と話す。サクランボの園地の傍らには、秋から春にも実りがあるように育てたリンゴの「つがる」「ふじ」、ブドウの「スチューベン」「シャインマスカット」、そして見事なタラノメの畑がある。サクランボを卒業し、これから2人で生きる「楽しむ農業」の景色だ。 

「卒業」の感慨を胸にサクランボ園の丘を下りる夫婦

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