■マイナー競技をメジャーに押し上げるパイオニアになりたい
色川:はい、ありがとうございます。あの、今黒岩くんの方から紹介があったんですけれども、ボブスレーをもともとやっていて、ボブスレーの選手として日本の代表としてオリンピックに出場したと。まずひとつ知ってほしいのは、この仙台、宮城という街にですね、オリンピアンがいると。これをなんかもっとひとりでも多くの人に知ってほしいなあというのはもちろんありますし、今、彼の言葉の中にあった、あくまで彼の目標は「金メダルを穫ること」なんだと。その上で、自分の持っている強み、身体能力を活かせるスポーツを選択しているというのも、非常になかなかな僕みたいに野球「だけ」を続けてきた人間ができる選択でもないなあというのも、すごいなあと思いますし、ボブスレーでオリンピアンになった男が今度はスケルトンで、やってやるぞと。こういったアスリート・ライフの送り方っていうのは、非常に、まあ僕はずっと団体競技をやってきたので面白いなあと思って聞いておりました。で、あとはですね、マイナー競技であるというところも含めて、その壁と競技を続ける壁と、色んなものとぶち当たりながらやっていると思うんですけれども、是非、今どのようにしてというか、このスポーツの将来性も含めて聞かせてもらえたらなあと。
黒岩:はい、まあこのスケルトン競技ということで、日本では正直マイナーな競技なんですけれど、世界ではものすごく今盛んな競技であります。で、今までフェンシングの太田選手であったり、フィギュアスケートも一昔前まではなかなか注目を浴びない競技という中で、メダリストが出ることによって、ものすごく有名になる。ということを、僕自身がやってみたいなと、そういうところでは、マイナースポーツのいいところというのは、そこにあるんじゃないかなと思っております。
色川:はいはいはい。まさにマイナーからメジャーへ!みたいな感じですね。
黒岩:はい、そうです。その「マイナー」を「メジャー」にしたのは僕だと、黒岩だという風に言ってもらえたら、いいなと思っております。
色川:いいですね〜!これは面白いですね〜!?僕が初めてお会いした時もまさに今の話を聞いて、で、何もないところからそれを作り上げていくと。そのパイオニアというか、革命・改革を起こしたのが黒岩俊喜なんだと。それを自らやりたいと。その上で、今までやっぱりこういうマイナー競技をやってる人たちがぶつかってきた壁っていうものがやっぱりあって、今も尚マイナー競技、という意味では、日本で言えばやっぱり競技人口が少ない、だからこそ、協会も安定していないというか、それなりの資金がない。資金がなければ、国際大会で名を馳せることも出場することもできない。4年に一度のオリンピックに向かって、このスケルトン、ボブスレー業界を変えるために、ま、俺が次は一旗揚げてやるというところですよね。
黒岩:そうですね。
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