【文・写真/若栁誉美通信員=仙台市】ふかしたてのもち米が四升入った木臼、そして私の手には、杵。人生2度目の餅つき。力で杵をコントロールして、足元がふらつく。5回搗(つ)いただけで、両腕が痛い。「杵の重さで餅をつくんだよ。力で振り下ろすと、餅じゃなくて臼自体をついちゃうから」とアドバイスをもらう。今年1月に開催された「荒浜のめぐみキッチン」でのひとこま。
仙台市東部、荒浜地区。その地名は、東日本大震災で大きな津波の影響を受けた場所のひとつとして知られている。現在は、仙台市の災害危険区域として指定され、住宅の新築や増築ができなくなった。人の暮らしがなくなり、このまま失われるかもしれない荒浜地区の文化や、住んでいた方の知恵などの地域資源を活用し、新しい価値体験を提供する試みが行われている。
昨年1月から始まった「荒浜のめぐみキッチン」の活動は、荒浜(沿岸部)と都市部(仙台駅周辺)の2箇所を拠点としている。この2つの拠点で毎月交互に活動を行うことで、都市部から沿岸部への人の流れを作るのが狙いだ。
記者が参加した第15回目の活動は、もち米“ハツキネモチ”の再生のお話を伺い、復活したハツキネモチとミヤコガネ(コガネモチ)を70年以上も使い込んだ臼と杵で、参加者が餅を搗(つ)いて食べ比べる会。
「あの餅がいちばん美味しかった」の一言から始まる物語
荒浜で暮らしてきた佐藤善男さんは、40年近く前に雑誌でみた「ハツキネモチ」の種籾を取り寄せ、自家採種で育てていた。しかし、手元で大事にしていた種籾は、津波によって流されてしまう。同じハツキネモチを育てていた人に聞いてみても、作るのをやめていたり、佐藤さんと同じように津波で籾が流されてしまい手元にはなかった。
「あの餅がいちばん美味しかった」と、いう善男さんの言葉を聞いた方の中の一人が、県内の農業試験場に問い合わせ。巡り巡ってたどり着いた先は、福井県の農業試験場。ここに、保存用の種籾としてハツキネモチが残っており、2013年、善男さんの手に届いた。その種籾から育てられたのが、今、目の前にあるハツキネモチだ。
会場には、たっぷりと水の讃えられた臼と、水につけられた杵が用意されていた。使用頻度の少ない臼や杵は、乾燥した状態で餅を搗くと衝撃で割れてしまう。特に臼は数日前から水を入れて、木に水分を吸わせることで衝撃から守るそうだ。
ハツキネモチ四升、ミヤコガネ四升。搗き立てを手早くちぎり、一口サイズにまとめる。お雑煮、炊きたてのつぶあん、納豆餅、いくら膾と4種類の味が振舞われた。
ハツキネモチは、搗き立ての餅なのに、おはぎのようにしっかりとした歯ごたえがある。そして歯切れもよい。ミヤコガネは、柔らかくふわふわで、口の中で弾むような食感。どちらも同じ臼と杵でついた餅。どちらも、私が幼少に食べたもち米ではない・・・では、我が家のもち米はなんの銘柄だったのだろう・・・という我が家のもち米ルーツを辿る物語も、ここから始められそうだ。
思えば「お餅」はすでに「お餅」として売られており、わざわざ自分で搗かなくても完成品が手に入る。完成品で売られている食品は、その前の姿がどんなものか、とか、どういう種類があるか、と意識することはほとんどない。
今回、自分たちで餅をつく経験をして、お餅はもち米からできているし、搗くことよりも、その前のこねる/つぶす工程が大事で大変だと知った。どんな簡単なレシピでも、自分自身でつくることで、食卓に並ぶ前の姿におもいを馳せることができる。今回いただいたハツキネモチには、荒浜の佐藤善男さんの物語が隠されていた。こうした物語があるから、食事の前と後には「いただきます」「ごちそうさま」を言えるんだな、と改めて思う。