【陸前高田 h.イマジン物語】ジャズ喫茶主人の夢路はるか ③津波に消えた夢の店(上)

【連載:陸前高田 h.イマジン物語】東日本大震災で店舗が流出し、2020年に復活した岩手県陸前高田市のジャズ喫茶「h.イマジン」。ジャズの調べとコーヒーの香りに誘われて、店内には今日も地域の人々が集います。小さなジャズ喫茶を舞台に繰り広げられる物語を、ローカルジャーナリストの寺島英弥さんが描きます。

すっかり変わった風景

【寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】東日本大震災の大津波から丸10年を刻んだ3月11日。黙祷を呼び掛ける陸前高田市の防災無線のサイレンが終わり、「h.イマジン」のお客さんが一人二人と帰っていくと、主人の冨山敏勝さん(79)はふっと一息をついてカウンターを離れ、店を出た。

雲一つない晴天の下、ドアの外の景色はすっかり変わっている。東北の被災地で最大級の約300ヘクタールもの復興土地区画整理事業が完工したばかり。 h.イマジンは昨年10月、震災前と同じ場所に鮮やかなチョコレート色の店を復活オープンさせた。海抜10メートルを超えてかさ上げされた人工地盤の上には、新しいショッピングセンター「アバッセたかた」や新築の飲食店、商店、事業所が立ち、7階建ての新市役所庁舎もできた。だが、狭い中心街の外の住宅用地には、「売地」「貸地」の立て札の並ぶ土色の未利用地が広がる。10年の歳月は、復興を待ちきれず帰還を諦める住民も増やした(震災前年に23300人が住んだ同市の人口は昨年、18443人に減った)。

「売地」「貸地」の立て看板が目立つ陸前高田市内(筆者撮影)

店のすぐ近くに、本丸公園(旧高田城址)の小山に続く長い石段がある。海から約2キロ離れた公園に、冨山さんは10年前、取材で訪ねたこの日と同じように上った。こう振り返る。

「大地震の後、この石段の途中で、防災無線が津波警報を流すのを聞いた。予想の高さが『6メートル』と言っていた。そのころ、海岸の防潮堤は高さ5・5メートルあったと記憶していたから、それを少し越えてくるなと思った」

本丸公園から新しい街を眺め、10年前の3月11日を回想する冨山さん(筆者撮影)

当時のh.イマジンはもちろん、現在の店の姿とは異なっていた。一言でいえば、石垣の上に立つ美しい洋館のたたずまいで、古い旧高田町役場庁舎を冨山さんが買い取り大改修して前年12月22日に店開きしたばかり。「昭和ロマン風」と話題を呼んだ店だったという(そのいきさつと失われた面影については、一つの物語として次回で後述したい)。

目撃した津波襲来の瞬間

あの日は午前10時に店を開け、さっそく、ご贔屓になってくれた年配の女性客らを迎えたという。ランチタイムの終わりごろ、男女5人のグループにコーヒーを出した刹那、午後2時46分の大地震が陸前高田を襲った。激しく長い揺れだったが、シュガーポットやカップが落ちて割れたくらいで、2階の自室も建物そのものも全く無事だった。片づけを始めようとしたら、店の改修を手掛けた塗装会社の社長が心配して見に来てくれて、2人で本丸公園に様子を見に行った。

「店は高台の公園の付け根にあり、海抜で12メートルはあった。街の中にあった当時の市役所の建物よりも高いくらいだった。それで、津波から逃げてくる街の人のために、うちの店を避難所にしようと考えたんだ」 

石段を上り切って本丸公園の広場に至ると、東側は斜面になって、木々の間から海まで眺望が開ける。かつて7万本の美しい松林がどこまでも海岸に連なり、国の名勝だった高田松原は、永久保存されている「奇跡の一本松」のある「高田松原復興祈念公園」に名残をとどめるのみだが、それが10年前に消失した瞬間を、冨山さんは目撃した。

「本丸公園から海の方を眺めると、高田松原があるあたりは黒っぽい水面になっていた。大津波襲来のその時だった。海の水がみるみる溢れて、松原と国道の間にあった三角屋根の道の駅も沈めてしまい、ものすごい勢いで街に押し寄せた。グォーとうなるような地響きが鳴り、バリバリという音を立てて、土ぼこりを巻き上げて家々をのみこみ、そのたびにパチパチという音と一緒に折れた柱が無数に水面から舞い上がった」

「JR陸前高田駅から眼下にあった商店街まで津波に押し潰されて、木っ端みじんという表現しかなかった。どれほどの人が巻き込まれたか、どうなってしまうのか。わめいてもどうしようもなく、じっと見届けるしかなかった。それでも、自分の店は丈夫だと思っていた」

2011年3月11日の津波で被災した陸前高田市内=同年3月19日、筆者撮影

身一つでの避難

そのうちに、公園の木立の陰になって見えない左手の方から、でっかい黒い屋根がぽっかりと浮かんで、激しい引き波で流されていくのが見えた。「あんな大きな家、あったかな」と眺めているうちに大屋根は、家々の残骸で埋まった水面をゆっくりと海の方に流され、3階まで水没したスーパー「マイヤ」の建物に引っかかって、しばらく姿をとどめていた。

この間、およそ2時間と冨山さんは記憶する。はっと我に返って後ろを見ると、「上って来た時は15人くらいかな、と思った人の数が倍になっていた。津波から逃げてきたのだろう、全身を濡らした人もいた」。

夕闇が迫っており、本丸公園の下はおそらく、がれきがいっぱいで店には戻れなかった。

「公園から山越しに裏道をたどれば、どこかに通じるだろうと考えた。獣道のような所を歩いていくと、鳴石という団地に出た。途中、近くの市立一中に避難所が設けられたとの情報が耳に入り、人に道を尋ねながら5時半ごろにたどり着いた。身に着けたものといえば厚手の手編みのセーターだけで、財布はなく、ポケットに携帯電話があるだけだった」(続く)

かつての高田松原のあった一帯に建設された復興祈念公園(筆者撮影)

                     

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