【ひとりあるき】10000本のこけし収蔵!福島市「西田記念館」で、東北の豊かな文化を確かめる。わたしとこけしの交差点①

黒田あすみ】記者は好奇心の赴くままに“ひとりあるき”するのが好きです。面白い発見をしたり、嬉しい出会いがあったり。些細な疑問から、芋づる式に増えていく知識も楽しい。たまの遠出はもちろん、日常のそこかしこにも心満ちるひとときは散らばっている、そんな暮らしの記録をお届けします。

今回の舞台は福島県福島市。東北の豊かな文化のありようを確かめる“ひとりあるき”旅です。

吾妻連峰を望む「原郷のこけし群 西田記念館」

宮城県南部の自宅から東北自動車道を南下すること約80km。福島西ICで降りると、だんだんに、フロントガラスの向こう側が雄大な峰々でいっぱいになっていきました。

この2000m級の山塊は、福島県と山形県の県境に沿って東西にのびる吾妻連峰(あずまれんぽう)。最高峰は西吾妻山の2035mで、日本百名山や新日本百名山、うつくしま百名山にも挙げられる迫力の火山群です。

貫禄のある稜線に迎えられ、勇んで向かった先は、最初の目的地「原郷のこけし群 西田記念館」。ここは、みちのくとこけしを愛した故西田峯吉氏を記念する伝統こけし展示館です。

蚕糸業の黄金時代といわれた大正期に、西田氏は農林省の役人として東北の蚕糸業に深く関わりました。その一方、行く先先で土地固有の文化を継ぐこけしを求めつづけ、収集・研究・振興に尽くしたそうです。

西田記念館には西田コレクション3,500本を含む約10,000本のこけしが収蔵されており、さらに専門の学芸員を抱え、学術的な視点からの多彩な企画展が催されています。

館内には3つの展示室。地階ロビーはゆったりと腰かけられる展望スペースになっていて、麓から望む吾妻連邦は圧巻の景色です。

記者が訪れたときは快晴で、まだ幼かった頃にたびたび祖父母が連れていってくれた吾妻小富士が山頂までくっきり。その山景を目にしたのは数十年ぶりなこともあり、すり鉢型の火口を一周するお鉢巡りを家族で楽しんだ当時が思い起こされて、胸がじいんとしました。

東北の多様な文化が生んだ多彩な「こけし」

さて、それぞれの展示室でこけしのストーリーを見ていくことに。

こけしが生まれたのは江戸時代後期の東北地方。山から刈りだした材木をロクロで削り、椀や盆などの日用雑器へと仕上げることを生業とする木工職人「木地師(きじし)」の手によるものといわれています。

彼らは仕事の傍らに、残材から独楽や人形などの木地玩具を子どもたちに与えることもあったようですが、元来の東北の木地師には色を付ける慣習はなかったそうです。

江戸時代は、参勤交代のために街道が整えられたことで、江戸の庶民や東北の農民が、金刀比羅宮(香川県)や伊勢神宮(三重県)を詣でる長旅へと出かけるようになった頃です。

東から西へ下る人みんなが通る宿場町・箱根宿では、郷里への土産として、木の色と木目を組んだ寄木細工や彩色を施した木地玩具が評判でした。

その影響から、東北へ来た箱根の木地師が技術を伝える、伊勢参りに行った東北の木地師が箱根で見た玩具を模倣する、箱根で修行した木地師が東北で雇われるなどして、東北でも、色を付けた木地玩具が作られるようになったと考えられています。

地域の伝統によって味付けがされながら、東北の色付きの木地玩具はそれぞれに土地風のものへと改良され、こけしも、その一つとして誕生したのです。箱根ではこけしは生まれなかったのですから、不思議ですよね。

また、江戸時代の農民には湯治の習俗があり、農閑期には、自分たちの田畑に流れ込む川の上流の温泉地へと出向いて、その年の疲れを癒していました。そこで、家に残してきた子どもらへの土産としてこけしが買い求められ、東北の外にも人気が広まっていったようです。

この歴史が語るように、こけしの三大発生産地とされる福島県の土湯と宮城県の遠刈田・鳴子は、いずれも今につづく温泉郷です。

ただし、こけし誕生説にはいくつかの考察があるようで、古くから民間に伝承されてきた信仰の対象物に起源がある、とする説も西田記念館では紹介していました。

東北に分布する伝統こけしの12系統

明治中期にかけて、こけし人気はますます高まっていきます。それとともにこけしの造形はより精巧になり、気風や暮らし方など、産地固有の文化を巧みに投影した特長が育まれました。

けれども大正の終わり頃には、郷土の玩具にとって代わって都会的な新しい玩具が人気となり、こけしは子どもの遊び相手という役割を終えてしまいます。

迎えた廃絶の危機からこけしを救ったのは、当時こけしの美を見出した大人たちでした。昭和3年に日本初のこけし専門書『こけし這子の話(天江富弥著)』が発行されると、種々のこけしが醸す美しさが広く人の知られるところとなり、収集・研究をする大人たちが現れはじめたのです。

こけしに熱い視線を送る大人が増えるにつれ、こけし工人たちも大人向けの観賞品として耐えうるよう技巧を凝らし、こけしは遊ぶものから飾るものへと昇華していきました。

こうして、産地の伝統文化として受け継がれるようになったうちの5系統(弥治郎系、遠刈田系、鳴子系、作並系、肘折系)が、昭和56年(1981年)に「宮城伝統こけし」として国の伝統的工芸品に指定されました。

なお、「宮城伝統こけし」に指定されている肘折系は、山形県肘折温泉から仙台へ移住したこけし工人によって親子継承がされてましたが、2023年現在は工人不在となっています。

第79回企画展「こけしの胴模様」

この日の企画展では「こけしの胴模様」に着目。記者が福島市を訪れたきっかけが、実はこの胴模様にあります。

繰り返し何度も描かれた模様は作業の流れの中で形式化され、無駄のない、削ぎ落とされた美しさが見られます。今となっては何の模様かわからなくなってしまったものもありますが、こけしの模様は表情をうまく引き立たせるデザインとなっています。

企画展パンフレットより

手描き模様の多くは草花をモチーフにしていて、中でも菊が最も描かれているそう。ほかにも梅、ぼたん、あやめ、桜、なでしこ、楓、木目、あるいは蝶やとんぼ、着物、井桁、だるまなどの多種多様な絵柄が展示されていました。

また古くは、穢れを祓う火から生まれた文字で表す赤は魔除けの色でした。赤く彩色した玩具は疱瘡除けの効能があると信じられていたため、人びとは、子どもの無事な成長を願ってこけしを買い求めたといいます。

インテリアの一部としての役割が増える中で、現代のこけしにおいても赤は多く用いられ、黒、緑、黄、紫を加えた五色による彩やかな胴模様も継承されています。

福島伝統こけしから新たに気づけた魅力

山形県で生まれ育ち、宮城県で暮らす記者にとって、こけしはずっと身近な存在でした。

例えば、街の中心地がこけしをコンセプトに装飾されていたり、旅行好きだった祖父母の家に大小さまざまなこけしが飾られていたり。かつてお土産にもらったのだろうこけしのスプーンが、今だ手元に残っていたりもします。

これら、記者が親しみを持てるこけしには共通点があります。それは、表情が穏やかな笑みを浮かべ、胴模様が草花をモチーフにしているところ。そこで、西田記念館の展示を通して福島県発祥の2つの系統を知ることで、こけしの新たな魅力に気づけました。

まずは中ノ沢系の迫力あふれる風貌。見開いた目や大きな鼻を描く異色さを生んだのは、岩本善吉という一人の流れの木地師だったと伝わっています。

長い放浪を経て中ノ沢温泉に居を落ち着かせた善吉は、その破天荒で気むずかしい性格もあって先人を真似ることを嫌い、独特の表現を編みだしたといいます。しかしながら、宴の席では善吉のおどけた振る舞いが大いにウケて、あちらこちらから声がかかっていたようです。

このエピソードから、中ノ沢系がみんなから愛称「たこ坊主」と呼ばれ、どうしても見入ってしまうほどに魅惑的なのは、善吉の人柄が故かと記者は感じました。

芸術家・岡本太郎氏のようなアバンギャルドな吸引力というのでしょうか。近年は人気の高まりから市場にほとんど出回らず、工人と直にやり取りしないと手に入らないというのも納得です。

次に、土湯系のロクロ線を基本とした描彩。色の組みあわせや線の太さ、木地の余白などのバランスを工夫しないと、美しいロクロ線模様にはならないそう。

折り返して流れるような線模様は「返しロクロ」と称され、足踏みロクロの回転を利用して描く土湯系独特の技法。

職人の熟練の末の確かな技工から生まれる調和は、とてもシンプルで潔い美しさをたたえていました。この無機的な中にこめられた静かな熱量が、モダニズム好きの記者の心を打ちます。

ご来館記念スタンプ置き場にも、手作りらしきロクロ線模様があしらわれていました。土湯系こけし発祥の地「土湯温泉郷」と西田記念館は車で10分弱の距離なので、他の遠方の系統に比べ縁が深いのかもしれません。

いざスタンプしてみると、これまたロクロ線模様が登場!「返しロクロ」も見事に再現されていました。

これまで、こけしのことは日常の中で当たり前に目にするものの、可愛らしすぎるところがなかなか記者の嗜好に刺さってこなく、実のところ、その歴史的背景までは思い入れがうすいまま訪れていた「原郷のこけし群 西田記念館」。

ところが、東北の文化風土から誕生・発展した流れを理解したうえで表現の豊かさを目の当たりにした退館時には、こけし熱スイッチががっつりONに。マイベストこけしを手に入れたくてたまらなくなっていました。

さて、「こけしとわたしの交差点①」はここまで。次回②では、土湯系こけし発祥の地「土湯温泉郷」での“ひとりあるき”へ、ずずいっと足を伸ばしていきます!

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