【加茂青砂の設計図 #3】歌い継がれる盆踊り唄

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、99人が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

土井敏秀】かなり雑な言い方になってしまうが、村の状況はさほど変わっていない―を前提に、同じ江戸時代を、末期からさかのぼってみる。たった(?)42年。1810年(文化7年)には、旅に生き、紀行文を書き続けた菅江真澄が、加茂青砂に2泊3日滞在している。

男鹿を書いた紀行文の一つ「男鹿の島風」には、こんな夏の描写がある。「加茂・青砂の人々は、日が暮れると、蚊を避けて浜の砂の上に、厚い衣類をしいて寝たという」「日が暮れると、男女が入りまじって、かの地蔵堂の前に群れ集まり、盆踊りが行われる。笛・太鼓の拍子が、波の音にみだれあい、浜風にのって聞えてきた」(菅江真澄秋田の旅、田口昌樹著)

江戸時代の旅行家菅江真澄は、男鹿半島では5つの紀行文を著した。半島各地の足跡を表す標柱は、82カ所にあり、加茂青砂集落では海のそばに立っている

その「加茂青砂の盆踊り唄」は今でも歌い継がれている。

「盆の十三日 正月から待ヅダ
待ヅダ十三日 今来たエー」

(「男鹿の昔ばなし」男鹿市教育委員会編)

男鹿市北浦真山、農業畠山富勝さん(72)は「この歌詞で、お盆の8月13日を正月から待っていた―に込められた思いがどういうものなのか、分かりますか?」と、問いかける。答えは期待されていない。畠山さんは自らの体験も踏まえて、説明する。

「正月休みが終わると、お盆までずっと働きっぱなしなのさ。お盆でやっと過酷な労働から解放されたんだ。『今きたな』には、その喜びがぎゅっと詰まっているわけさ」

1965年(昭和40年)ころから、男鹿半島でも農作業の機械化が進んだ。それ以前は馬と一緒に耕す日々を送っていた。自分たちが食べるものは、自分たちが育てることには変わりがない。盆踊りに託された思いも、江戸時代と大きな隔たりがない。

慌ただしくて申し訳ない。今度は嘉永5年(1852年)から、24年ほど下った明治時代初期。1875、76年(明治8、9年)調べの「羽後国南秋田郡村誌」には、加茂青砂村の当時の状況が記されている。男鹿市菅江真澄研究会事務局長の泉明さんは、その村誌を2020年(令和2年)発行の「男鹿地域史研究ノート」に、「明治初期の村の姿」として紹介した。

数字の多さに、ちょっと驚いた。75世帯あり、人口601人が暮らし、馬33頭と一緒で、船は154艘(200石未満50石以上1艘、漁船253艘)あり、丸木舟が多かった。家々が沿う湾は端から端まで約800m。その範囲内に、これだけの人が暮らしていたのか。1世帯平均で8人、念を押して8人家族。船だって、狭いハマによく泊められたな、と思える数字である。さぞかしにぎやかだったのに違いない。大きな災害もなかったのだろう、豊かな海だったのだ。

「地勢」には、こう記されている。

「東南北ハ山ヲ負ヒ西ハ海ニ沿フ、山尽レハ海、水ヲ離ルレハ山、耕地少シ、海路ハ便ニシテ山路ハ嶮ナリ、薪ハ剰ナレトモ炭ハ乏シ、漁業ヲ以テ生計ヲ営ム」

「物産」では、魚は小鯛、鱈、鯛、鰊がメイン(ニシンも獲れたんだ)で、海藻は若布、心太草(テングサ)。いずれも「其味美」という評価。「南秋田郡秋田町、土崎湊町(両町とも、現在・秋田市)」に出荷していた。加茂青砂の「海の道」が開けていたからである。(つづく)

エッセイ:続・海の中の思い出

前号の続きです。ウエットスーツを着て、初めて泳いだが(たった10mだけれど)、海の中はほとんど見ていなかった。ウエットスーツなので、沈むことはない。でも、足を底につけない心許なさが、夢中で岩場に向かわせた。岩場で心を落ち着かせる。アワビとまでは言わない。サザエで十分。うつ伏せ状態のまま、顔につけた水中眼鏡で、獲物を探すのだ。この眼鏡は、虫眼鏡と同じで物が大きく見える。後に何度もがっかりするのだが、「うわー、でけえ」と手にした獲物を海から出すと、なんとも小さい。

海の中は、水族館でガラス越しに見ただけである。48歳まで経験したことのない、未知の世界への挑戦、という冒険と大げさに考え、勝手に緊張している。潜るイコール息ができない、ばかりが、頭の中を駆け巡っている。

そっと足を踏み入れて、海の中の世界に誘われる(加茂青砂集落の磯場)

大きな深呼吸を何度か、それっ。落ち着け、シュノーケルを使って息はできている。海は澄んでおり、底まで見通せる。大小の岩の間の狭い砂場が、通路のように走っている。まさに山あり谷あり。「地元なら、頭ん中に地図を持っているが、ほかだと、どこに岩があるか分からない。座礁するかもしれないから、よその海では、船を出せないんだよ」。漁師が言っていた意味は、この「山あり谷あり」だったのだ。

やっと、落ち着いてきた。それにしても、いろいろな海藻、海草があるもんだな。食べられるものかどうか、図鑑で調べないと。海水温が上がってきたので、ワカメは根株だけ残して、溶け落ちている。天草は分かった。乾燥させたのと同じ、赤ちゃんの手のひらみたいな形をしている。浅い場所に生えているのを確認できた。

「楽してるんじゃないよ。早く海に入れ」

今度こそ、と奮い立つ。浮袋を両手で押しながら、海の中のあちこちに目を配る。

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