【連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。
【土井敏秀】11月初め、誘われて男鹿の隣の潟上市内、旧飯田川町地区にある和田妹川(わだいもかわ)神社境内などを会場に開かれた、「和田妹川豊年万作祭」に出かけた。菊地晃生さん、みちるさん夫妻が運営する「たそがれ野育園」の主催で、地元の人や仲間たちがそれぞれ、得意なことを持ち寄った。会場作り、音楽のステージ、食べ物や射的といったゲームの屋台などに、「みんなで作る喜び」があふれていた。雨交じりの天候を気にすることもなく、子供たちの歓声が走り回っていた。
「たそがれ野育園」は「耕さない田んぼ」を核とした、自然農法による農業を営む菊地さん夫妻の拠点である。農家イコール生産者、その一方には消費者がいる、というありように、疑問を投げかける。だれもが農的暮らし、自給体験をするって素敵だよね、自然と向き合う中でこそ、学べるものがたくさんある、と。
野育園は2013年に開園した。1家そろって、夫婦2人で、あるいは農業に関心を抱く学生、さまざまな人たちが集まり、菊地さん、その友人らの指導を受けながら田んぼに通った。それからの10年が培った成果は、今回掲載した写真がすべてを物語っている。この日の祭りの最後に撮った集合写真だが、どうです、みなさんの表情。「生きてるって、ものすごくすごい」。何度見てもほおが緩み、年のせいか目がウルウルしてしまう(死語だけど)。こう書いてきて、今さらながらに気づいた。菊地さん夫妻は、野育園開園10周年の節目として、この祭りを開いたのかな。後で聞こう、話を進める。
祭りは計画、準備の段階から、SNS内にグループを作ることで、情報を共有している。会議を開くとか、個人個人で相談する必要もない。誰かが誰かを知っているだけで、グループのメンバーになって、解決策を提案したり、すばやく、よびかけにこたえたりできる。今時、当たり前なのだろうけど、なるほどなあ、効率的で便利だあ―と感心。この初めての体験に、爪先立って少し興奮してしまった。「大工で参加します。よろしく」という自己紹介から「誰かテントやカセットコンロ持ってない?」「ゴム鉄砲作れる人いないかなあ」といった、細かだけれども大切な情報が、次から次へと寄せられ、その返事も同じようにやってくる。分かりやすくするため、現地の写真やイラストが添えられる。時折、互いを励ます「みんなで助け合って、盛り上げよう」が、はさみこまれる。
なんだかなあ、ちょっと恥ずかしいけれど、共有させてもらっている気持ちを味わえ、嬉しい。「耕さない田んぼに通ってないのに、ごめんね」である。あらためて納得した。ここに集まったメンバーに共通して流れているのは、「耕さない田んぼに通った仲間意識」なのだと。それも、込み入った言い方になって申し訳ない。田んぼそのものが、誰が踏み入っても、そのまま受け止めるように、「排除」という言葉を持たない「仲間意識」なんだな。
祭りをほんの少し手伝っている中で、何もできずに立ちすくんでしまった後悔がある。小学生の兄弟だろう、ふたりと一緒に来た母親が、表情をこわばらせ、しかり飛ばしながら、会場に向かっていた。「前をちゃんと見ないと、側溝に落ちるよ。落ちても助けないからね」。兄弟はしっかりと手を繋ぎ、母親を見つめている。「あぁ、この人はこんな自分が嫌いなんだろうな。『また言ってしまった』悲しさがにじみでている。そんな自分を変えたくて、この祭りに来たのかもしれない」。「そう思うんだったら、声をかけろよ」である。しなかった。「どうしたらよかったのか」を、ずっと引きずろう。来年(?)の祭りには、もう少しましな態度でいるのを期待して。
いやあ、しかし、子供ってホント、よく走る。スピードを落とさずにカーブを曲がれるなんて。その子供たちのさまざまな表情の声が、夢心地の世界に連れて行ってくれる。自己主張するしっかりした口調、親にねだる甘い声、泣きわめく大声、初めて会った相手を気遣う言葉、けんかを収めようとなだめる論理、机の片づけを手伝おうとする幼児が、おぼつかない足取りで、大人に注意する「はぶなひ、おぼひよ」。たどたどしい発音が「あぶない、おもいよ」と伝わってくる不思議。いいなあ。
夢心地には、大きな「気づき」が隠れている。これは、私が暮らす、男鹿半島の加茂青砂集落で、久しく忘れていたからこそ、浸れたことなのかな、と。思い出した。集落に引っ越してきたばかりのころ、最初に歓迎してくれたのが、小学生6人、保育園児2人の計8人だった。「おじゃましまーす」と、交代交代でウチに上がっては、狭いところを走り回った。「何してんの?」「どっから来たの?」と質問攻め。みんなからよくせがまれたなあ。「アメっこ、ちょうだい」。慌てて幾種類ものアメを用意したっけ。24年前の話である。それを自覚して祭りに戻ろう。(つづく)
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