【加茂青砂の設計図 #1】馬が36頭いた集落

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、99人が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

土井敏秀】今からおよそ170〜180年昔、人の寿命を「100歳」時代と掲げる現代基準で計算すると、たった2世代前の江戸時代末期、秋田県・男鹿半島の一隅・加茂青砂集落には、300人近くの住民が暮らしていた。現在の3倍である。それを記した「絹篩」は、当時の村役人鈴木平十郎重孝がまとめた「村政要覧」であり、掛け軸として飾りたくなるような、集落の絵図が載っている。たなびく雲の上に顔を出す山のふもとの、海辺の小さなムラは、「私たちは今も、ここで暮らしているんですよ」と、大声をかけたくなるような、柔らかな自然に包まれている。

絵図には、どっしりとした、かやぶき屋根の家々が、弓上に湾曲した海岸線に沿って建ち並ぶ。背に、山からの吹き降ろしの風にそなえた防風林、ハマには引き揚げられた小舟が、のんびりした静かな時間を演出する。里山のあちこちに、段々畑がきれいに整備され、峠道がくねくね上る。地形は今と、ほとんど同じ。加茂村と青砂村の絵なのだから、当たり前か。人っ子ひとり登場しなくとも、安定した暮らしぶりが伝わってくる。

江戸時代末期の「村政要覧・絹篩」に描かれている「加茂村、青砂村」の絵図(転載厳禁、個人蔵)

記録では加茂村は、こんな風に描かれている。「この村は西南向きなり。東北に本山あるか故に旭おそし、夕日は海上に暮る限りなり。當所の濱小石にして海藻を乾すこと他村に勝りたり」。産物を紹介する欄では、四季漁で「南北磯一の漁場なり」。天草が「諸村にあれとも當所上品とす」、ワカメは「城下湊に出名産なり」と記されている。事実を記載しただけなのだろうが、ここで暮らしている者にとっては、胸を張りたくなるうれしさが募る。

2021年(令和3年)3月末現在で人口99人の集落に、当時は54世帯295人が暮らしていた。それだけでも驚きなのに、馬も36頭いた。この数字に下心がわく。(このムラには、特別な事情があって、馬が必要だったのではないか。特別な事情とは何か。この地にだけ、騎馬民族の伝統がひそかに、培われていたのかもしれない。その目的を探れないものか。それを解明するために、私は引っ越してきたのだな)

ただの無知だった。

馬が一緒でなければ成り立たない暮らしが、普通にあったのだ。男鹿半島の、加茂村、青砂村以外のどこのムラでも、人口に応じた馬を飼っていた。秋田、東北、日本、世界各地で、馬が必要不可欠だった時代があり、現代も続いている地域がある。

私の体にはその想像を育む、こん跡すらひとつも残っていないだけの話だった。段々田・畑を耕す。煮炊き用、暖房用の木材を運び出す。糞と草木を混ぜ合わせ発酵させた肥料・厩肥(うまやごえ)は、田畑を栄養豊かにした。ひとつひとつ指摘を受けて、消え入るように納得できた。(つづく)

エッセイ:季語の刷り込み

加茂青砂集落に引っ越してきて、驚いたことはいくつもあるが、その代表格の一つに、セミのヒグラシが挙げられる。

「カナカナカナ」という、このセミの鳴き声が連れてくる連想は、ずっと①晩夏の日暮れ時②もの悲しさ―だった。それが「やっかましい」に変わってしまった。特に朝の鳴き声が、さわやかさからは程遠い。夜明け前から高音での大合唱が、心地よい眠りをたたき起こす。間もなく、夜明けとともに厳しい暑さを、予感させる時間帯である。

今年の集落での「初鳴き」は、7月8日の夕方だった。最盛期はまだだろうに、何気なく「明日の朝から寝覚めが悪くなるなあ」。ため息をついてしまった。

俳句の世界はどうして、ヒグラシを秋の季語に選んだのだろう。一例をあげれば「人の世を悲し悲しと蜩が」(高浜虚子)の句で、ヒグラシのイメージが作られてしまっている。「よよ」と、泣き崩れてしまいそうな叙情が感じられるではないか。「昆虫少年」だった小学生のころには、すでに刷り込まれていたのだろうか。もともと数が少ないせいもあって、アブラゼミやミンミンゼミとは違い、「価値」も高かった。小学生の夏休みの宿題「昆虫採集」で、胸を張れたのである。

それが急転直下。夏に男鹿半島にやって来るオートバイの集団と同じ、静けさを打ち破る騒音の主に、なってしまった。身勝手な人間によって今や、「あの野郎」呼ばわりである。

鳴いている期間は長く、6月から9月末までだという。9月になると、ほかのセミが姿を消し、ヒグラシだけが残っているのか。それで目立つ。季節は晩夏、初秋。人は感傷的になっているのかもしれない。

これを書くために、図鑑を開いた。セミは「カメムシ目・セミ科」。初めて知った気がする。セミが、あの臭いカメムシの仲間だなんて。確かに形態は似ているが、私の中でセミの評価が、ガクンと下がってしまった。

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