【連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。
【土井敏秀】秋田県・男鹿半島西海岸にある加茂青砂集落にも、雪の季節がやってきた。日本海は遠くに望む水平線さえ時化で、デコボコにうねっている。そのうねりは、繰り返し波を起こしては、白色をぶちまける。雪が覆い重なるように叩きつける。この「白い海」はほんのひと月前、2021年晩秋。水平線はくっきりと、どこまでも続く一直線だった。
しらしら明け始めの時間帯、静まった凪の海に、去ってはまた1隻、新たなエンジン音を響かせている。太い竿を2本、船体の両脇に据えた小船が、白波を立てて滑っていく。里山から間もなく顔を出す太陽が、あちこちに浮かぶ雲を、淡い朱色のグラデーションでひと筆ひと筆、染め上げていた。漁師は沖を、湾内を回遊しているブリ、サワラ、マグロ類をトローリングで追う。船を走らせながら、仕掛けに食いつくのを待つ。この周辺は成長途上の魚が中心だが、誰しも思い描くのは、まだ出会っていない大魚。幾つになっても、気持ちが弾む。少々の時化など乗りこなす自信を持つ漁師に、定年はない。
生まれ育った海で漁を続けている、7、80代の漁師たちはかつて、北はベーリング海、オホーツク海など、南は南氷洋での漁に携わった。中学校を卒業すると同時に、多くは3月1日の卒業式を待たずに新しい「漁場」に向かった。男子に決められていた進路だった。ハマで拾った木切れを船に見立て、「この船の船長になって、大漁するぞ」と夢見た、幼心の延長線上に、その漁場はあった。
「〇〇を食ったが」「△△あるか」。季節ごとの旬の魚介類を、そのジサマたちは、おすそ分けしてくれる。「おめさ、食わせっど思ってよ」「ことし、まだ食ってねべ」と。「なんだ。まだ寝でんのがあ」と、大声で玄関先まで持ってきてくれる。さり気なく、「ここはな、からっぽやみ(怠け者の意)でなけりゃ、食っていける」ことを教えてくれる。「台風の時は家さ閉じこもって、酒でも飲んでろ。かないっこねえんだから」という、自然に対する「乱暴な謙虚さ」がある。
それは、自然の中で呼吸している暮らしから生んだプライドだろう。何世代もの先人たちが、当たり前に受け継いできた。たとえ、どの時代と交錯しても、通じ合えるに違いない。大昔、東北の地で営まれていた、里山、畑、海の恵みで生きていくという「楽園」の暮らしが、同じく基調を成している。馬とともに田畑を耕し、山で木々を伐採し薪を準備する、冬場に家の中で稲わら、アケビ蔓などを編み、履き物、道具類を手作りしたかつての日々―。そんな肌触りが引き継がれている。
その、自然と織りなす肌触りは、どんな物語を編んでくれるのだろう。加茂青砂のジサマたちが、含み笑いを浮かべ、誘いをかけてくる。「どうだ。おれの人生、書いでみねが。面白いかもしんねえど」。よし、乗った。この連載第2部では、ジサマたちの船に揺られる。(続く)