連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、99人が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

「元慶二年(878)三月廿九日。出羽国守正五位下藤原朝臣興世、駅を飛して上奏す。夷俘叛乱して、今月十五日秋田城幷郡院の屋舎と城辺の民家を焼損す。仍て且つは鎮兵を以て防守し、且つは諸郡の軍を徴発す」

これは「元慶の乱」勃発(878年)を記した古代の公文書「日本三代実録」を、田牧久穂が著書「元慶の乱・私記」で、読みやすくしてくれた文章である。

秋田市の秋田城跡歴史資料館は、その「日本三代実録」の複製を展示しているが、「元慶の乱」そのものについては、次のように説明している。

「律令国家、秋田城司のかこくな政治に対して出羽国、秋田城下の蝦夷の人々が蜂起した事件です。秋田城と秋田郡家、秋田城周辺民家を襲い、焼き打ちし、秋田城を一時占拠するなどして、官軍は苦戦して鎮圧は難航しました。中央から派遣された藤原保則が鎮撫して終息しました」

「鎮撫」して「終息」したのか。鎮撫って朝廷側が、反乱を起こした蝦夷たちをなだめたってこと?征討したのではない。終息という表現も怪しいな。戦いの勝ち負けで終わったのではなく、話し合いで互いに納得して解決した―ということではないか。あちこちに気を遣った文章だなあ。戦いの終わり方が、権力側vs.住民側では、あまり見かけない結果だったからかもしれない。

出羽国の秋田城は、大和朝廷が北海道のアイヌ、中国大陸の渤海などと交流を図る拠点でもあった。日本最古の「水洗トイレ」が使われたのも、その象徴の一つ(?)。遺跡として残っている
出羽国の秋田城は、大和朝廷が北海道のアイヌ、中国大陸の渤海などと交流を図る拠点でもあった。日本最古の「水洗トイレ」が使われたのも、その象徴の一つ(?)。遺跡として残っている

元慶の乱の前提として当時の勢力図を大雑把だが、説明する。大和朝廷は東北の太平洋側(現在の福島、宮城両県と岩手県の南部、茨城県の一部)に「陸奥国」(654年建国)、日本海側(山形県、秋田県南部)には「出羽国」(712年建国)を作り、その勢力内とした。岩手、秋田両県北部、青森県は蝦夷の居住地であった。この地には蝦夷以外に、出羽国から集団で逃げ出した百姓も、暮らしていた。蝦夷は集団ごとに暮らし、朝廷に抗う集団ばかりではない。朝貢交易で友好を結ぶ集団もあった。

出羽国には、朝廷の役人(国家公務員)、百姓(良民とも言う。北陸、関東から集団で移住した)や奴隷に似た存在、俘囚(ふしゅう、蝦夷のうち、さまざまな理由で朝廷に従った人たち)がいた。秋田城は出羽国の出先機関である。

もう一つ、忘れてはいけないのは、蜂起した人たち、その戦いに駆り出された兵士(出羽だけでなく、陸奥国、関東の下野、上野両国からも)は、普段は双方とも、稲作に従事する農民、一家の大黒柱だったことである。

この、結構複雑に絡み合う「地図」を念頭に置いて、以下を書き進める。

元慶の乱の約10年前の869年(貞観11年)に津波を伴った貞観三陸地震(推定マグニチュード8・3)が起こった。津波だけで1000人が死んだとされる。その2年後の871年(貞観13年)には鳥海山が噴火するなど、大規模な天災が連続して起きた。それに追い打ちをかける干ばつ、不作、飢餓は、毎年のように続いている。税の負担は厳しさを増す。人々の不満は当たり前に募っていく。

「飢餓窮乏の期間に、彼らは収奪するだけの統治機構である朝廷という存在に疑問を持ち始めたのではないか(後略)」。田中俊一郎は「元慶の乱と蝦夷の復興」の中で、そう分析し、続ける。

「決行の日を満月の夜としたことからも分かるように、この乱は周到に準備されている。蝦夷と百姓は事前に戦略を練って蜂起を決行した」

878年3月15日、元慶の乱が勃発した。(つづく)

エッセイ:トンビがくるりと

「あっ、今の見た?」「見た」

「あれ、葉っぱだよね。おっきい枯れ葉」「一瞬、捕まえた鳥を放したと思ったけど、そうそう、枯れ葉だ」

「また、つかんだ」」「トンビって遊ぶの?」

「秋に繁殖しないから」「やっぱり遊んでんだ」

状況を説明しよう。

一人はタクシーのドライバーで、もう一方はその客の私。場所は男鹿半島の男鹿水族館から加茂青砂集落に向かう途中。くねくね道を走っていて、二人は上空でトンビが一羽、枯れ葉と戯れている姿を目撃したのだ。繁殖期なら、葉っぱを巣作りの材料に、運ぶかもしれない。今は季節が違う。

トンビは両足でつかんでいた、大きな枯れ葉(柏か朴葉かな)をわざと落とし、ヒュイっと回転して、つかみ直したのだ。そのままどこかへ飛び去ったけど、二人は「遊ぶんだね」と納得し合った。

どうしてタクシーに乗っているのか、と思われる方もいるかもしれないので、これも説明しておこう。加茂青砂と、公立病院がある街場の船川地区までは、路線バスが走っている。ただ、乗客が少ない加茂青砂―男鹿水族館間は、前もって予約が必要なデマンドバス(=タクシー)が運行している(上りは午前中の3本だけだけど)。乗客は不定で、この日の「下り」は、客が私一人ということなのだった。

家の前のハマは、魚をさばくときに使う「台所」。切り落とした頭や内臓は、ウミネコ、カラス、トンビ、小さなカニ、ヤドカリ、ボラの幼魚などのエサになるので、さばくそばから、あっという間に平らげてくれる。すぐ元の海に戻る。

トンビはかなりせこい。カラスがウミネコと競い合いでゲット、くわえて飛び立ってすぐを狙い、横取りしたりする。「猛禽類」のプライドが泣くんじゃないか。がっかりしながら、海に向かって、里山を背にして、作業をしていると、すぐ真横をビュン。耳が震えた。

飛び去るトンビの後ろ姿に目が見開いたまま固まった。あっ。悪口を言っていると、気づかれたのか。遊び上手は油断できない、ってこと?

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