【加茂青砂の設計図】三番目の船「政運丸」②「じゃん」を使う人

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

土井敏秀】「うわぁ、何年、いや十数年ぶりだろう」。身を引き締める風が顔をたたく。エンジン音が心地よく体に伝わってくる。振り向けば、白い航跡が船の後ろに続いている。1月下旬の凪の日、船は冬の水平線に向かった。

加茂青砂集落の港を出て、5分も経っていない。捷昭さんは船を止め、リール竿を取り出しひと振り。イカ釣りの仕掛けを海に投げ入れた。「しゃくり」を繰り返す捷昭さんが「来た、来た」と大声を出すまで、5分もかからなかった。40㌢を超すジャンボサイズである。「写真撮ったか。こういうの英語で『グッド・タイミング』て言うんだぞ」。釣りをしていても、口が減らない。数分後にもう1杯。「寒い。ちゃんと着込んでこなかったから、帰るど。いやあ、よかったじゃん。1日頑張って2杯という日だってあるからな」「ん⁈じゃん⁇」「若いころ、横浜に暮らしてた。伊勢佐木町に『根岸家』という有名な店があってな。生バンドの伴奏で客に歌わせたんだ。生のカラオケじゃん」

話があちこちに飛び、振り回されるが、落ち着いて考える。こんなにすぐさま、簡単に釣れていいものなのか。仕掛けは、割りばしの太さぐらいの板に、釣り針を数本つける。その板には、えさの「サメの塩漬け」をきつく巻き付けておく。えさにつられてそばに来たヤリイカは、針に引っ掛けられてしまうのだ。曇り空とはいえ、正午近い時間。ヤリイカの釣れる時間帯とは違う。これまでに大漁をしたポイントなのだろうか。本人は「まさか釣れるとは。神様がついているんだなあ」と、理由を明かさない。

捷昭さんは1968年(昭和43年)、24歳の時、加茂青砂集落に帰った。北海道のトロール船などで下働きから修業を積み、関東方面の海では、しゅんせつ船に並走する動力船で作業員を運んだ。操船技術の腕を磨いた上での、帰郷だった。当時、男鹿半島は海からの情景に惹かれる観光客で、にぎわっていた。その船長をやってみないか、と誘われたからである。観光船は日中だけで勤務時間も決まっていた。朝夕は漁師仕事ができた。以来、ほかにも民宿経営、釣り船など海にかかわる仕事なら、何でもこなしてきた。

「だけど、海はよ、一体どうなってるんだ。夏の車エビ、去年は1匹も捕れなかったぞ。正月のお節(料理)に、エビを飾れなかったなんて、今年が初めてだ。そんで、去年の11月だ。加茂の海は、水温が16度あったぞ。おがしんでねえが。高いから、マグロのちっこいやつ、この沖にうようよいた。年間を通して南の魚、口が大きく歯が生えている「エソ」って魚が、英語では『トカゲ魚』って呼ぶんだと、たくさん釣れた。やはり南の海のハガツオも初めて釣った」

捷昭さんは、24歳からこれまで50年以上、「加茂青砂の海」と向き合ってきた。何種類もの魚の生態を覚え、それに合った漁法を試みてきた。南の魚が来ても、臨機応変に対応しないと、漁師はやっていけない。

「冬場はヤリイカだろう。春と言えばかつてはサクラマスだった。川に帰っていく途中のマス、淡水ではヤマメというやつだ。仕掛けの針がついた糸を、船を走らせながら引っ張って釣るトローリングでやる。それと磯場の根魚のメバル。男鹿では春告げ魚だよ。これは釣りもあるけど、刺し網が多い。今はめったにかからなくなった。根魚の意味か? 回遊しないで、デコボコの岩場に、体を隠すためもあるだろうけど、すみついている魚のことさ。一緒にソイ、アイナメ、カサゴなんかもいる」

刺し網漁には、「三枚網」という網目の大きさが違う3種類の網を使った漁法があり、ヒラメやカレイ類、タイなどが対象となる。岩の際ぎりぎりに網を下ろすテクニックが必要で、下手すると、網が岩に引っかかる。釣りでよく「地球を釣った」と冗談交じりで言うが、釣り糸の先の針を岩に引っ掛けた「根がかり」のことを指す。「網もよお、根がかりして、地球を引き揚げようとするんだよ。はっはっは」(つづく)

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