山形・大石田の住職と石巻の陶芸家 地蔵さまが結んだ縁から生まれた、新しい供養の形

  • 2024年4月22日
  • LIFE

寺島英弥(ローカルジャーナリスト)】ほのぼのとした笑みと祈りを湛える、丸いお顔。小さな焼き物の地蔵さまが、山形県大石田町の寺の住職と石巻の陶芸家の縁を結んだ。住職の地元では東日本大震災の後、石巻の多くの犠牲者が荼毘に付され、住職は弔いの読経や遺族の支援をしてきた。陶芸家の作品である地蔵と偶然に出合い、多様な事情で寺が預かる「お骨(こつ)」の器として作れないか、と相談。寺の釈迦堂に納めたり、遺族がいつも身近に置いたり、さまざまな人の悲しみを包む新しい供養の形を広めたいという。 

石巻の震災遺族と長い縁はぐくむ

西に月山を望む大石田町鷹巣に、田んぼと竹林に囲まれた曹洞宗地福寺がある。取材で訪ねた宇野全匡住職(79)が見せてくれたのは、大小の焼き物の地蔵。土の色と肌触りが素朴で、目を閉じた祈りの表情が深く優しく、合わせた小さな手もかわいらしい。ごろんと横になった「寝釈迦」のお姿もある。 

「数年前、気に入った山形市内のレストランに行くと、店内で展示販売している地蔵さんに目が留まり、かわいくて、最初に寝釈迦を買い求めた。それ以来、店に行く度に新しい地蔵さんが置かれてあり、気に入って買わせてもらった」 

「どんな人が作っているのか気になった。店の主人に聞いてみると、女性スタッフの母が作者の陶芸家だという。何より、東日本大震災の時にたくさんの縁が生まれた石巻に彼女の工房があり、さっそく連絡を取ってもらったんだ」 

石巻との縁を深めた地蔵を見つめる宇野全匡住職=山形県大石田町の地福寺(筆者撮影)

縁とは震災直後、石巻の火葬場が稼働できず、津波犠牲者たちの遺体を宇野さんの地元・大石田町と尾花沢市が運営する斎場が受け入れた13年前にさかのぼる。 

当時は多い日で4、5家族が遠路来訪。合わせて178人の遺体が火葬され、地元仏教会の会長だった宇野さんらが付き添い読経した。弔う時間も場もない遺族を、宇野さんは地福寺に招いて本堂でお骨を供養し、妻八重子さんが山形名物の芋煮汁などを振舞った。「避難所のつらい毎日に戻る前に、少しでも心身を休ませてあげたかった」 

宇野さんはまた携帯電話の番号も伝えて相談にも乗り、全国の仲間の寺に呼び掛けて、避難生活の日常に足りないものも寺に取りそろえていた。しかし、遺族にとって問題だったのはお骨(こつ)の安置場所。避難所の狭い居室に仮置きするしかなかったが、それさえも周囲がはばかられ、寺に託した遺族も多い。そんなお骨を宇野さんは今も預かり供養している。以来、石巻の遺族たちとの長い縁ができた。 

旅で魅せられた「地蔵」を人生かけて

その陶芸家は、石巻市蛇田にある「道祖窯」の窯主、高橋佳代子さん(64)。自宅の一角に、1994年に工房を構えてからの歩みは30年。そこには多彩な暮らしの器の作品とともに、愛らしく深みある表情と姿の地蔵が並んでおり、高橋さんのライフワークなのだという。なぜ、地蔵さん? 

「私は大学時代(仙台の三島学園女子大生活美術学科)、休みのたびにバイト代で全国の田舎を一人旅しました。佐渡や遠野、安曇野、旧街道の足助(愛知県)や木曽などを歩き、先々で出会ったのが地蔵。土地々々の生活の風景に根付いた、何気ない佇まいから、その度に安らぎ、癒し、安堵をいただき、たくさんのスケッチを描いた。陶芸を専攻した3年生から、自分でも粘土を焼いて50体の地蔵を作り、卒業の際は佐渡の石仏をテーマに論文を書き、120号の大きさの絵も描きました」 

旅の出会いから、地蔵を多彩に作り続ける高橋佳代子さん=石巻市蛇田の「道祖窯」(筆者撮影)

陶芸家を志し、堤焼の4代目針生乾馬氏に弟子入りして技を磨いた。人生の旅を歩む誰の心をも安らげ助ける地蔵を変わらぬテーマとし、作品に取り組んできた。 

宇野さんから「地蔵さんがとても気に入った。作ってほしい」と、高橋さんに連絡があったのは昨年春ごろ。震災時の石巻の被災者との交流や預かったお骨の話、また最近は檀家にも墓じまいをする人が増えるなど多様な事情を聴いた。その「分骨」を納められる地蔵の制作の相談だった。宇野さんのアイデアを聞いて、素晴らしいことだと思いました」と高橋さんは喜んだ。作品を愛してもらえただけでなく、「地蔵を長年作って、誰かのために役立て、生かしてくれる人に出会えた」。 

分骨の入れ物を兼ねた地蔵は、手のひらに載る、かわいい大きさ。底に空洞を作り、革を素材に創作をする友人から端切れをもらって「ふた」にできる工夫を凝らし、完成させた。高橋さんは100個を制作して、お盆前に地福寺に届けたという。 

高橋さんが手掛けた分骨のための地蔵=石巻市蛇田の「道祖窯」

どんな境遇の人も安らげる場に 

地福寺の境内には立派な「釈迦堂」がある。檀家や親しい業者ら地元の人たちから木材や工事の寄進を受けて、2007年に建立した。中には、大きな白い石で彫られた寝釈迦が鎮座する。ブッダが人生の最期、嘆き悲しむ大勢の人々や生き物たちに囲まれて入滅したという姿(涅槃仏)を表わした仏像だ。その真上には美しい絵がある。 

地元の山野にすむ動物や野鳥、海のクジラなどが四季の草花とともに共生する様子が描かれた天井画だ。建立前、東北芸術工科大(山形市)の4人の女子学生が宇野さんの構想を伝え聞いて共鳴し、寺に通って一緒に案を練り、絵筆を執った。「誰もが縁をはぐくみ、つながれる寺の象徴にしたい」という住職の夢だった。 

 寝釈迦の台座の内部には、お骨を入れる納骨堂がある。「四つのお部屋があり、震災で亡くなった仏たちのほか、今の時代の流れで墓じまいをした家のお骨、弔う人がおらず無縁になったお骨も入っている。そして山形には、昔から身内が亡くなると山寺(立石寺)に分骨を納める風習があり、釈迦堂でも受け継いでいく。どんな境遇の人にも開かれ、つながれる、新しい供養の形として広げていきたい」 

開かれた供養の場とする釈迦堂で語る宇野住職=山形県大石田町の地福寺(筆者撮影)

高橋さんも地福寺を訪れた際、釈迦堂に入って手を合わせた。震災前後の記憶は高橋さんの深い傷でもある。堤焼の陶芸教室で出会い、開窯を応援した夫康政さんは震災の少し前、白血病で53歳の若さで逝った。3月11日の津波では地元蛇田の県道も川と化し、奥まった自宅は浸水を免れたが、工房で地蔵など多くの作品が壊れた。義父勝郎さんも片付けを頑張ったが、息子の死と震災の衝撃に力尽きて翌年、86歳でなくなった。「地蔵は、私自身の心の復興の支えになりました。力をもらい、子どもさんら地域の人の陶芸教室を始めたり、コロナ禍には厄除けのアマビエをたくさん作って差し上げたり」

住職と陶芸家が祈りを込めた地蔵は、家族のお骨をいつも身近な場に置きたいという遺族、釈迦堂に納めることを希望する人たちの思いに優しく寄り添ってゆく。宇野さんは近くの肘折温泉(山形県大蔵村)の職人にも、肘折こけしの分骨の器を作ってもらった。地蔵とともに親しんでもらえたらと願う。 

*連絡先 
地福寺は、電話0237(35)2879
道祖窯は、 高橋佳代子(@dousoyou)さん / X (twitter.com)

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