【加茂青砂の設計図】「過疎集落」から、若者と描く未来の設計図 

連載:加茂青砂の設計図~海に陽が沈むハマから 秋田県男鹿半島】秋田県男鹿半島の加茂青砂のハマは現在、100人に満たない人々が暮らしている。人口減少と高齢化という時代の流れを、そのまま受け入れてきた。けれど、たまには下り坂で踏ん張ってみる。見慣れた風景でひと息つこう。気づかなかった宝物が見えてくるかもしれない――。
加茂青砂集落に引っ越して二十数年のもの書き・土井敏秀さんが知ったハマでの生活や、ここならではの歴史・文化を描いていく取材記事とエッセイの連載です。

土井敏秀】タヌキが前回、民話の語り口で登場したせいでしょうか。秋田県・男鹿半島の加茂青砂集落は、2023年(令和5年)を迎えると、「にぎやかし」が雪景色に、色とりどりの歌声を、散りばめました。ギターを抱えた歌い手を先頭に、その仲間たちが、声をそろえて「わっしょい、わっしょい」。集落そのものを神輿に見立てたように、「♪加茂の 青砂の ダダダコ わっしょい わっしょい♪」と、「お祭り騒ぎ」の様相です。この日のためにとっておいた「集落のシンボル画」も、一緒にお披露目しましょう。つかの間広がる青空に、大漁旗となってひるがえります。「♪遊びにおいでよ わっしょい わっしょい♪」。盛り上がっているのは、気が早いかもしれませんが、新年度の4月から少なくとも2年間、秋田県立大学アグリビジネス学科の学生たち10人近くが、加茂青砂集落にやってくることになったからです。

秋田公立美術大学院生佐藤若奈さんが描いた加茂青砂集落のデザイン画(2019)。
加茂青砂の海をイメージした大太鼓を、旧加茂青砂小学校にあるピアノの鍵盤を模した、特産の天然クルマエビが包み込む

地域振興を学ぶ学生たちが、集落の暮らしの一部でも体験することで、どんなことを考え、何を見いだすのか。「設計図」という言葉は、この学生たちのために用意されていたような気がしてきました。設計図は学生がデザインするよう、この連載企画を立てた段階から、すでに決まっていたのだ―と、腑に落ちた気さえしました。ここまで連載を続けてきてやっと、自分に課せられた役割が分かったのです。24年前に暮らしの場を移した。資料を読み、話を聞いた。自然の中に飛び込み、さまざまな体験をした。体で覚えた。これらはすべて、男鹿半島・加茂青砂集落の全体像をつかんでいる「人」になるためだったのではないか。うまくいこうが、つまずこうが、それは、大した問題ではない。失敗したら失敗したで、きちんと整理しておけば、些細な事でも、設計図をデザインするための資料になるのだ。慣れない手に、デザインする道具を持つ必要が、なくなったのかもしれない。どんな質問にも答えられる準備をしておこう。受け継いでいく、というのは、こういうことではないのか。後は任せればいいのだ。解放された気分になった。すると、気になっていた物語を、受け入れている自分がいた。

男鹿市教育委員会が編纂した「男鹿の昔ばなし」に載っていた「蝦夷浜の伝説」。ストーリーはこうである。「男鹿半島の山海の恵みを糧に、平和に暮らしていた蝦夷の地を、時の大和朝廷が襲った。理不尽な戦いを強いられた蝦夷は、年寄りや子供たちを逃がした後、リーダー父子らの抵抗むなしく、侵略を許した。北の大地に花開くハマナスの真っ赤な実は、蝦夷たちの無念の涙だと伝わっている」。私は真に受けた。「男鹿半島で生まれ育った人たちの間で永年、語り継がれてきた伝説」という解説を、何の疑問もなく受け入れた。この連載の第一部は、この人々の思いに依拠して書いたともいえる。侵略者に対する怒りであり、抗いつつも滅びるしかなかった「東北の先祖」への挽歌だった。

それが、第2部を書き終えたころだったろうか。私があまりにも真っ正直に信じていたのを、不憫だと思われたのかもしれない。当時を知る人が教えてくれた。「あれは言い伝えではないよ。昔話を収集していた人の創作だよ」。「男鹿の昔ばなし」が出版されたのは、1968年(昭和43年)。「蝦夷浜の伝説」はごく最近、55年前、私が19歳の時に作られた物語だったのである。「語り継がれてきた伝説」ではなかった。裏切られた思いがした。「現代人の創作」に踊らされていた自分自身が、情けなく恥ずかしかった。

シケで荒れた海は、ホワイトアウト。白いキャンバスにも似て、新しいデザインを待っている(加茂青砂海岸)

歴史の表舞台にいるのは、いつも勝者である。歴史書は勝者の物語を主人公に描かれる。これは古今東西、変わりはないだろう。敗れた側の思いが「正史」に記されるのは、ほとんどなかった。「日本書紀」「日本三代実録」など、この国の「正史・六国史」には、東北に暮らしていた蝦夷が、蔑みの対象であり、断片的な抗いが記述されている程度にしか登場していない。理不尽に侵略され「正史」から外れた側の末裔は、いつの時代も「大和」にはなじめない部分を持っていたのだ、と思う。その思いは、語り継がなくても、意識の 「核」に脈々と流れてきていた。「蝦夷浜の伝説」の著者は、どの時代に現れてもおかしくはなかった。「なじめなさ」の理由を、「物語の言葉」として、いつか、誰かが残しておくものだった。でなければ、「男鹿半島の歴史」が、どこか欠けたものになってしまう―そう危惧し続けてきたのではなかったか。

「蝦夷浜の伝説」は「裏切り」でもなんでもなかった。書かれるべくして、書かれたのである。東北に生まれ育った者として、同じ土壌に立っている。向きになっていた気持ちが、すうっと消えた。もう少し踏ん張ってみるか。設計図のデザインを、若者任せにするのは、「丸投げ」して、逃げ出すようなものだ。自分自身を「実験台」のようにして、自然の中での暮らしの手触りを、確かめてきたではないか。それに加えて、ありがたいことに、大学で掘り下げてきた研究、学生の視点などの協力を得られることになった。新たな展開で、「加茂青砂の設計図」に取り組めるのだ。踊りの輪に加わるしかない。「♪加茂の 青砂の ダダダコ わっしょい わっしょい♪」

第4部は今回の12回で終わります。第5部は秋田県立大学アグリビジネス学科のプロジェクトが、加茂青砂集落に入り、住民とどんな交流を深め、新たな地域作りを生み出すのか。その準備段階から、ともに考える歩みで、書き進めていきます。とても小さな取り組みですが、全国各地、どこにでもあるだろう「過疎集落」のひとつから、その地で暮らすことこそが、未来への指針・設計図になるのが、見えてくるはずです。確信めいたものがすでに、芽を膨らませています。

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